ストラクチャーの絵
これらの絵は 素材として使う事も考慮して描いているため、使用色数が少なく軽いのが特徴です。
改造素材や、ホームページや冊子のネタとして、ご自由にお使いください。※注 絵を単体で商用・営利目的使用する場合を除く。
小さな手直しは頻繁にあり、更新履歴に載せない事も多いいため、古いキャッシュを消去して、利用直前にコピーする事をお勧めします。
ご使用の際は、知らせて頂けるとうれしいです。
なお、絵や解説文の根拠たる参考文献等は ここに記載しきれないので、直接私にメールか掲示板で問い合わせて頂ければ幸いです。また、基本的に解説文は作画当時に書いたものなので、情報が古い場合があります。
このページの絵は特記以外1ドット50mmで描いています。
のりものの絵は こちら
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詰所
1間=1818mmを36ドット前後で書きました。
明治後期から昭和30年代に、官民を問わず建築された 標準的な構造の詰所です。
この手の建物は沖縄・北海道以外 全国的に基本的構造は変わりありません。
あとは部屋数が増えたり、高さ方向に大きくなったり、若干の地域差があったりするだけです。
詰所以外でも、業務用建築物で油庫等 特殊用途のもの以外は ほとんどこの構造でした。
タクシー車庫
古くからの小地方都市の駅前にある、車2台分の車庫を備えた タクシー会社の駅前出張所です。
営業所兼 事務所兼 運転手詰所と 運転手の仮眠室が併設されており、車の簡単な日常整備も出来ます。
この手の建物は色々なデザインがあり 平均値的な絵を描くのは難しいのですが、数多くの実物を観察し、その機能・流行を理解する事で何とか描き上げます。社名も何処にでもある社名に。
事務所&仮眠室部分が二階建になっている実物も多いいようですが、私の趣味で平屋にしました。
仮眠室は事務所の奥の方にあり、外に布団が干してあります。仮眠室は、終電後が稼ぎ時のタクシーとしては 必須な装備なのです。
庫内に色々置いてありますが、ドラム缶(エンジンオイル入り)は出張所としては過剰装備かもしれません。
「つばめタクシー」の文字は安直にPhotoshopの文字ツールで出力した物に 味付け。他は手書き。それから、絵の時代設定としては テレビ普及後〜現代。建物自体は昭和20〜30年代製か?
住宅
集合住宅がはやる以前、公営住宅や社宅用として全国に建てられた戸建の住宅です。
材質はさまざまあるものの、基本的レイアウトはどれも似通っており、どなたでもご覧になっているはずです。鉄道官舎もレイアウトは大体同じです。
左はトタン波板張りでセメント瓦屋根のいささか古めのタイプ。
右は化粧板張りのタイプを描きました。
北海道の炭鉱住宅
北海道の建物は 本土の建物とだいぶ違い さまざまな特徴があります。
また、かつての北海道と言えば炭鉱ですが、炭鉱住宅も地域、財閥によって いろんなタイプがあります。
描いたのは木造の古い炭鉱住宅の仕様で、間口より奥行きの長いタイプです。長屋状に何件も繋がっているのが普通ですが、絵は二軒分のタイプです。
屋根はトタンで、傾斜は急。雨樋はナシ。雪が軒下に滑り落ちないよう 雪止めが吊られています。
煙突は土管で、はしご状の枠で支えられ、煙突手前の屋根には 破風(三角形の屋根状のヤツ)が設けられて 雪に備えています。
これが少し新しい建物になりますと、さらに北海道らしい独特の煙突になります。
ラーメン屋
ラーメン屋は その外見に特徴があります。
まず色。
基本的に赤、黄、白、で構成されており、観察したところ、どうやらその店の麺や スープの特徴が そのまま外装の色になって 表れているようです。
窓は正方形格子窓が基本で、何故か出窓の構造になっている事が多いいです。
そして花壇やノボリが花を添えて ラーメン屋の完成です。
喫茶店
喫茶店です。
そば屋
庶民感覚の街のそば屋です。
床屋
床屋とは基本的に常連で成り立っている商売である。
親の手による坊主刈りを卒業したガキが、初めて入った近所の床屋。 あるいは、ものごころ付く前から親に付き添って・・・。
そしてそのガキどもは大人になり・・・。その多くが、やはり同じ床屋に通うのである。
だから、床屋の主人が じいさんになっても 後継ぎがいなくても 客が途絶えることは無く、営業を続けるのである。
そんな感じを描きました。
一見、店じまいしてしまったような 薄汚れてひっそりとした姿。
やや投げやりな鉢植が、店の美観にお構いなく配置され、住人がいることは分かります。
「しもたや」か?
いやいや、ちゃんと薄汚れたトリコロールカラーのサインポール(「ねじりん棒」とか「ぐるぐる」とか俗称多数。)のコードがつながれ、回転しているじゃ〜ないですか。
これでは、たとえ床屋に用が無くても、営業中な事が遠くから一目で確認できてしまいます。
それに、場違いに新品な「全国理容組合加盟店」の四角い「チョキちゃん」看板が、ドア横に(絵では側面ですが・・・。)。
描いたのは戦後昭和に流行した 典型的床屋(クリーニング屋)建築。大きなRの付いた 大きな窓。 下廻りのタイル張り。 洋風な化粧屋根。
こんな建物、どこかで見た事ありませんか?
東武変電所
戦前の鉄道電化時に建てられたモルタル造りの美しい建物。だいじな建物という事で、多少の装飾が施されています。
東武鉄道沿線で見られるタイプを描きましたが、当時の変電所といったら どこもこんな感じです。
変電所は今では無人・遠隔操作が常識ですが、昔は機械式の回転変流器に代表される原始的な装置で所要の電気を作っていたため、それら機器の保守のために有人でした。機器は屋内配置が基本です。
有人なので 結構大きな明かり窓が目に付き、また、冷却換気のためのベンチレーターは必須です(これは現在も。)。
東武の実物は、屋上に出るための小屋が設けられていますが、後天的改造のような気もし、デザイン上も美しくないので省略しました。
屋根は緩い傾斜のコンクリート製で 内側にはめ込まれた形になっていて下からは見えません。
うるさくなるので受電側鉄柱も省略。裏手にでもあると想像して下さい。
また、配線もかなりいい加減ですが、時代によって配線方法が違うような気がします。なにぶん素人なのもので、何か決定的に違うようでしたら教えて下さい。
土蔵
直訳すると「土で出来た蔵」で、構造的には 柱間に竹+ワラ等で編んだベースを造り、そこに粘土を塗っていき、最後に漆喰(石灰+粘土+ふのり等を練り混ぜたもの。)で仕上げます。
美しい建物なので 今でも趣味的に新築されたりします。
もともとは農産物を貯蔵するための蔵として誕生したようですが、その耐火性能が注目され、都市部に進出しました。
まず、風雨に対する対抗性や、美しさを求めて漆喰仕上げになり、火に強い瓦屋根になりました。
次に火の一番廻りやすい「軒下部分」がすっぽりと覆われました。この構造は のちに建てられたレンガ造、石造、コンクリート造の蔵でも共通します。
下廻りは風雨に晒されやすく、漆喰が傷んでしまうので 何らかの加工が施してあるのが普通で、一般的には木板やトタン板で囲って保護します。それでも ちゃんと管理されて無くボロボロに崩れている事がありますね。
さて、耐火目的の都市部建物密集地の蔵(=金持ちの蔵)では、その下廻り保護の木板も不安です。
そこで替わりに瓦平板を貼り付け、漆喰で目止めして保護した「なまこ壁」が誕生しました。これは見た目も美しく、隣家の蔵とそのデザインが競われました。同時に 鬼瓦等のデザインも凝っています。
その後、火に強いという事で さらに発展して「店蔵造り」等も誕生しましたが・・・。
それが大大火、震災や空襲とかには耐えられず、壁だけ残して屋根が焼け落ちてしまいました。それでもある程度中の物品は守られますが・・・。
なまこ壁の解説までしましたが、描いたのはごくごく普通な農家の土蔵。
右側妻窓は開位置としました。大砲の尾栓みたいな厚みのある どっしりとした扉です。内側には格子がはめられています。
農業倉庫
この構造の建物は鉄道趣味者の間では一般的に「農業倉庫」と呼ばれています。
おもに農産物用に建てられるためですが、酒蔵や醤油蔵など 用途は色々です。
土蔵(漆喰)構造、レンガ製、石積み製、コンクリート製・・・。大小様々材質は違っても形状はどれも似通っています。
描いたのは土蔵構造で 軒下部分を覆い隠したタイプで、比較的小柄なものです。
差掛け屋根の下に 直接トラックなりトロッコなりを乗り付けて荷役が出来ます。
また、貨物ホーム上に建てれば 雨に濡れずに貨車から荷役が出来ます。
差掛け屋根の一部を壁で囲って部屋にしたものや、全面囲って本体と一体化した構造のものも良く見かけます。
描いたのはちゃんと管理されてるので?白壁が美しいですが、土蔵と同じく風雨に晒されやすい下廻りを木の板で囲う場合も多いいです。
換気が重要なので、屋根上にはベンチレーター(描いたのはクローブベンチレーター)や小屋根があるのが普通です。また、換気窓も必要に応じて設けられます(私が描いたのは妻面と背面に計4箇所あるタイプ。)。
地域によっては、それを外から開閉するためにランボードが設けられる場合もあります。
99式重構桁鉄道橋
重構桁鉄道橋とは 自衛隊で言うところのパネル橋の事で、あらかじめ組み立ててある部材を ピンで連結する事により、短時間での架橋を可能にした野戦兵器です。
99式の場合は長さ3m 幅500mmの部材を基本に 長さと幅を調整し、最大スパン32mの橋が架けられ、大陸の大型機関車の走行に耐える設計です。
鉄道連隊を語る上では外せない装備ですが、鉄道の名を冠しているものの 当然 道路橋にも使用できます。
大陸や南方で多数が活躍しましたが、国内でも使われ、戦後は上絵のような平和な情景が展開しました。
国鉄 腕木式信号機(出発停止)
停車場から列車が発車する場合、この出発信号機の現示に従います。
腕木式出発信号機の腕木の長さは900mm、腕木の高さは主本線用が5.8m、副本線用が4.6m。
腕木が水平の場合は停止現示(R現示)と言い、斜め45度に傾くと進行現示(G現示)となります。
国鉄 腕木式信号機(場内進行通過注意)
国鉄 腕木式信号機(場内停止通過注意)
場内信号機 ―― 停車場(駅、操車場、信号場)の入口に設けられた信号機。停車場に入って良いのかを現示します。
この場内信号機から反対側の場内信号機までの間が「(基本的に)停車場構内」となります。
場内信号機が無い駅は停留所と呼ばれ、運転取扱上 明確に区分されています。
腕木式場内信号機の腕木の長さは1200mm、腕木の高さは主本線用が7m、副本線用が5.5m。
この絵の場合は通過信号機が併設されています。
通過信号機は出発信号機の現示を予告するもので、出発信号機が進行現示(G現示)の場合は 進行現示(G現示)を表示し、そのまま停車場を通過できます。
出発信号機が停止現示(R現示)の場合は 注意現示(Y現示・45km/h制限)を表示し、停車場に停車するための減速を掛けさせます。
なお、45km/h制限と言っても、実際にはポイント制限35km/hとかがあったりするので、制限大の方の指示に従って運転します。
通過信号機は(1か0しか表示できない)2位式信号機で色々やろうとした苦肉の策で、
3位式信号機ならば場内信号機に直接 制限信号を現示出来ますので、蒸気機関車時代の遺物と言えましょう。
国鉄 腕木式信号機(遠方進行)
国鉄 腕木式信号機(遠方注意)
遠方信号機は場内信号機の現示を予告するもので、場内信号機の400m手前に設置されます。
場内信号機が進行現示(G現示)の場合は 進行現示(G現示)を表示します。
場内信号機が停止現示(R現示)の場合は制限信号を現示し、減速を掛けさせます。
遠方信号機が設置されるような線区は、停車場間を1閉塞区間としているような所で、これも蒸気機関車時代のなごりと言えましょう。(閉塞区間=1列車が占有出来る区間。他の列車を入れてはならない。)
国鉄 腕木式信号機(場内信号機スペシャル)
しゃれたデザインの場内信号機。
左から主本線用場内信号機+通過信号機、副本線用場内信号機×2を、一本の柱にまとめてあります。
上本線、中1番線、中2番線と3つの進路がある停車場で例えると、上本線場内がG現示、通過信号がY現示(出発がR現示)なので 上本線に進入して停車する列車に対しての現示となります。
なお、停車場で通過できる線路は主本線上下各1本で、それ以外の本線路(副本線)では通過禁止、必ず停車しなければなりません。
三位式三現示 色灯信号機(進行)
この信号機は場内信号機、出発信号機、閉塞信号機に使用される ごくありふれた信号機です。
上からGYRの順に電灯が並んでいます。
鉄道では進行信号をG信号(緑信号)と言いますが、これが道路信号の青信号と並ぶと、なぜか鉄道信号の方が“青い”という不思議な現象が稀に見られます。
閉塞信号機とは 停車場間に列車を何本も詰め込みたい場合に 閉塞区間を分割して、その軌道回路の入口に設けられる信号機です。
三位式五現示 色灯信号機(警戒)
都市部等で列車本数が増えるにつれ 閉塞区間を短縮してさらに列車を詰め込む必要が生じました。
そこでY信号(注意信号)制限45km/hの他に制限信号を増やして対応することになり、YG信号(減速信号)制限65km/h、YY信号(警戒信号)制限25km/hが誕生しました。
それに伴い色灯信号機も四現示式、五現示式と、種類が増えました。
なお、信号機柱の中ほどの黒い四角板には 白抜き文字で信号機の名前が書かれています。
その下の黒円盤に黄色三角形の板は、次の信号機を指差喚呼する位置を示しています。黒文字で次の信号機の名前が書かれています。
中継信号機(制限)
これは、見通しが悪い区間で次の信号機の現示を予告する信号機です。
停止信号の予告は 灯列が水平に点灯、制限信号の予告は 灯列が斜めに点灯、進行信号の予告は 灯列が縦に点灯します。
入換信号機(進行)
入換信号機は車両の入換に用いられる信号機です。
進行は 灯列が斜めに点灯、停止は 灯列が水平に点灯します。
運転士はこの信号を見て 運転士の責任で車両を動かします。
柱の中ほどに紫灯が点灯していますが、これが滅灯している場合、もしくは無い場合は、入換標識と呼ばれ、操車係が入換標識を確認して 操車係の誘導によって運転士は車両を動かします。
貨車の入換等 デリケートな操作が必要な場合は入換標識となります。
電信柱
いつもは晩春から初夏をイメージして描いてるのですが、今回は秋です。電信線は省略。
無線の発達、ケーブル化以前は このような電信柱+裸銅線で 電信が行われていました。
回線分の電線が必要なので、横木の本数が 多ければ多いいほど その電信線は重要な幹線だと解ります。
その形状から 鉄道趣味者からは「ハエタタキ」の愛称で親しまれています。電柱は目的によって形状が違うので、よく観察してみましょう。
木製電柱の色は いろいろな見え方があり、防腐剤が染み出て黒ずんでいるヤツ、潮風、風雨にさらされて 防腐剤が抜けきってしまい 枯れた木の色なヤツ、何故か緑がかっているヤツ、の三種に大別されると思います。表現が難しいですね。
街灯A
裸電球の古めかしいタイプです。
街灯B
蛍光灯なタイプです。
傍らにあるのは防火用水槽で、古くからある街に よく見られました。
ここに水を溜めといて イザという時に使うのです。
街灯C
絵の時代設定は昭和50年代で、このタイプの街灯は昭和40年代製と思われます。
現在でもたまに見かけますが、急速に姿を消しています。
ちなみに自動販売機の標準高さは1830mmだそうです。昭和60年代頃から幅広のタイプが主流となりましたが、高さは変わりません。
自販機という略称も昭和60年頃からだったでしょうか?最初は違和感があったものです。
消火栓標識
これは、消火栓標識の中で「全国消火栓標識連合会」所属の民間会社によって設置されている 広告付きの物で、広告収入によって設置・維持管理費をまかないます。
広告下辺までの高さは 歩道上2.5m以上、車道上4.5m以上。広告の寸法80cm以下×40cm以下だそうです。
設置する側からすると、よほど見通しが悪くない限りなるべく低くして、広告は なるべく大きくしたいわけですから、歩道上で全高3.7m位でしょうか?
いずれしても 電柱なんかよりは かなり低いです。
ガソリン計量器
燃料給油施設の地下タンク化(昭和30年代あたりか?)が行われる以前、車両への燃料給油は 主にこれが使われていました。
ガソリン計量器という名前ですが もちろんディーゼル燃料でもOKです。
塔の下の方に付いているハンドルを 右にグルグル廻すと給油、左にグルグル廻すと吸油となり、給油の時 タンクから吸い上げられた燃料は、塔の上部のガラス筒に一旦蓄えられます。
で、ココに目盛が描かれており、必要な分を目盛まで 汲み上げます。
汲み上げ終わったら、ホースのノズルを車両の給油口に差込み、コックを開いて重力で給油するわけです。
めんどうですね。
描いたのは 600リットル(ドラム缶3本分)入るタイプで、給油しやすいように枕木で少し嵩上げしてあります。塗装は何となく赤にしました。
横っ腹には 石油会社や、○○タクシーとかの会社名が入ります。
ガラス筒部分は金網で保護されている場合がほとんどですが、絵は私の好みで省略しました。
傍らのドラム缶に 突き刺さっているのは「サイフォン式ロータリーポンプ」。要するに このポンプが「ガソリン計量器」に内蔵されているわけです。
構造は、ハンドルにロータリー羽根車が直結されており、ハンドルをいきよいよく右回転させると パイプ内が真空になって油が吸上げられる仕組みです。
逆回転させると逆に作用します。簡単な給油なら これでもOK。絵の想定では 計量器への給油用を想定しています。
計量器単体でも ドラム缶から直接吸い上げられるのですが、ホースの先のノズルを いちいち外さなければなりませんので・・・。
なんにせよ、今では結構貴重な存在なので、ガソリンスタンドの裏手なんかに放置されてたら 写真を撮っておくこと!
郊外のバス停
カーブミラーとパイロンの色で、昭和50年代以前を表現しました。
時代の再現には小物の“色”が非常に重要で、レイアウトを作る場合でも良く研究する必要があります。
たとえば、道路標識なんかも昭和50年代末期頃から段々と、反射塗料を使うなどして視認性が高いものに なっていきました。青なんかも 昔はもっと暗い色だったのです。気付いている人は何人ぐらい いるんでしょ?
ベンチの内田歯科に特に意味はありません。まあ、何処にでも在りそうな名前という事で。
ただし、医療機関の名前にしたのは意味があって、電柱の広告ともども、この手の広告には何故か「医療機関」と「質屋」の広告が多く、それを表現しました。
さて、本題のバス停ですが、郊外のタイプですね。バス会社別に標識が立ってます。
標識についている時刻表は、土日ダイヤがある場合や路線が多いい場合は 二段になったりします。
吸殻入れとか描こうとしたけど「内田歯科」が隠れちゃうので省略しました。代わりに忘れ物の傘を立てかけときました。
火の見やぐら
この手の火の見やぐらは 戦前から見られました。
現在でも結構残っているのは、消火ホース(標準長20m)を干すのに都合がよく、また、防災用のスピーカーを取り付けたりと、色々便利なためです。
うちの近所じゃ消防団が移転する時、わざわざ移転先に移設してました。
色は送電鉄塔とかと同じく亜鉛メッキの銀灰色が主流で、次点が銀ペイント。赤く塗ってあるのも見かけます。
丸型ポスト&半鐘
通称、丸型ポストと呼ばれるこれは、正式名称を郵便差出箱1号丸型というそうです。
1949年(昭和24年)から設置で、根石直径 約600mm、高さ約200mm。本体直径約400mm、高さ1350mm。思ったより小さいですね。
このタイプのポストは上部に砂が詰まっており、火災等で熱せられると底蓋が落ちて 郵便物に砂がかぶさり 火災から郵便物を守る構造になっているそうです。
傍らにあるのは半鐘(ハンショウ)。
現在でも公民館等の脇に残っていたりしますが、昭和30年代まで 実際に叩いていたそうです。
ちなみに近場の火事の時は叩き方?が違って、鎚を半鐘の内側に入れて内壁を擦る事によって音を鳴らし 危険を知らせていました。これを擦半(スリバン)と言います。
箱型ポスト
正式名称、郵便差出箱7号。箱型の中でも大柄なタイプです。
1962年(昭和37年)から設置。柱直径約270mm、高さ約330mm。本体幅約650mm、高さ約1060mm、奥行約540mm。
郵便物の区分作業効率化のために、差入口を2分割したのが特徴です。郵便物の需要の多いい所に設置されています。
絵は、カーブミラーとパイロンの色で昭和60年代以降を表現。昔、黄色が使われていたのは塗料の性能もさることながら、警戒色としての先入観もあったのだろうと思います。
丹頂型電話ボックス
丹頂型という電話ボックスです。1954年(昭和29年)から製作とのこと。
絵は、昭和30年代の風景です。
A型電話ボックス
この電話ボックス、正式名称はA型屋外公衆電話室と言うらしいです。1969年(昭和44年)から製作とのこと。
絵は、昭和40〜50年代の風景。この金網のクズ入れが またナツカシイ。
のりものの絵は こちら
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