小形鉄道車両の絵 その2



これらの絵は 素材として使う事も考慮して描いているため、使用色数が少なく軽いのが特徴です。
改造素材や、ホームページや冊子のネタとして、ご自由にお使いください。※注 絵を単体で商用・営利目的使用する場合を除く。
小さな手直しは頻繁にあり、更新履歴に載せない事も多いいため、古いキャッシュを消去して、利用直前にコピーする事をお勧めします。
ご使用の際は、知らせて頂けるとうれしいです。
なお、絵や解説文の根拠たる参考文献等は ここに記載しきれないので、直接私にメールか掲示板で問い合わせて頂ければ幸いです。また、基本的に解説文は作画当時に書いたものなので、情報が古い場合があります。

このページの絵は特記以外1ドット50mmで描いています。


小形鉄道車両の絵 その1は こちら

蒸気機関車の絵は こちら  ディーゼル機関車の絵は こちら  電気機関車の絵は こちら  客車の絵は こちら

表紙へ

日本陸軍 鉄道連隊 双合機関車 公式側 左方向に前進位置

日本陸軍 鉄道連隊 双合機関車 公式側 左方向に前進位置

日本陸軍 鉄道連隊 双合機関車 公式側+炭水車 左方向に前進位置

日本陸軍 鉄道連隊 双合機関車 公式側+炭水車 左方向に前進位置

日本陸軍 鉄道連隊 双合機関車 非公式側+炭水車 左方向に前進位置

日本陸軍 鉄道連隊 双合機関車 非公式側+炭水車  左方向に前進位置

双合機関車は日露戦争前後に導入された 鉄道連隊の主力機関車です。
双合機関車は当時すでに バイエルン・プロイセン方面で野戦用に活躍しており、それに着目した日本陸軍が明治34年(1901年)に5両輸入。 軌間は600mm。
創設されたばかりの鉄道連隊で試用され、明治38,39年(1905,06年)に量産。 計188組376両、それと炭水車94両が導入されました。
ちなみに明治38年(1905年)時点の日本全国の蒸気機関車の両数は599両との事。それに比べて すさまじい両数が一気に導入されたことが分かります。

設計・試作5両はクラウスで、同じメーカーの伊予鉄道のいわゆる“坊ちゃん機関車”と通じるところがあります。
量産はハノーバー36両、クラウス10両、ヘンシェル10両、ハルトマン20両、シュワルツコップ35両、ユンク15両、ボルジッヒ37両、コッペル25両となっています。

以後、千葉県の演習線で訓練に励み、日中戦争を機に続々と満州に送り込まれ、例の如く終戦時に ほとんど行方不明に。 国内には数えるほどしか残りませんでした。 よって、不明な点が多いいです。

では、双合機関車の構造は?
双合機関車は 貧弱な軌道に大きな機関車を実現するために考えられました。
でも、ボイラーの大きな機関車では急曲線で苦労するし、現地までの輸送が大変。 そこで小型機を多数という事になり、背中合わせにすれば機関士・機関助士が1組でも運転できます。
双合機関車は ただ単に2台の機関車を背中合わせにしただけでなく、1台の機関車として機能するようにA車B車で機器の配置が逆転しています。
逆転テコ、加減弁テコとも片側に揃えてあるため 横向きになって機関士1人でも運転できます。
実際の写真を見ると、だいたい機関士1名、助士1名、炭水車に制動係1名で運転(絵、参照。)してますね。

また、A車B車で分解して使用することも可能。 その場合はそれ用の連結器を用意されています。
とくに 55パーミル(55/1000)以上の急勾配では缶水が傾いて 双合のままでは運転出来ないので 分割していたようです。

足廻りは 当時一般的なスチーブンソン式弁装置。 この装置は一般的には台枠内に隠れていますが、この機関車のように狭軌の機関車や、ボトムタンク(台枠内水タンク)を備えた機関車では外側につきます(外側スチーブンソン式弁装置。)。
写真を見るとブレーキ(手ブレーキ)は第3軸のみにしか作用しないようです。

双合機関車はサイドタンクとボトムタンクを備え、さらに野戦用機関車ならではの河川等から直接給水する「揚水器」が装備されており、そのホースが砂箱にトグロを巻きます。野戦軌道は突貫工事で敷設されるので、充分な給水設備が確保されるとは限らないのです。
ボイラーにとって水は燃料よりも はるかに大事。 ぼんやり空焚きなどすれば ボイラーを破壊してしまいます。
燃料の石炭は非公式側、サイドタンクの後半部分がコールバンカーになっています(非公式側参照。)。

双合機関車用の炭水車は簡単な構造で 機関車とは水の連結はなく、機関車への給水は 途中停車して機関車の揚水器で機関車の水タンクに移し替える方法を取ります。
また、炭水車の水槽は 戦闘破損による水漏れを考慮して3分割に仕切られており、それぞれに給水口があります。
炭水車に燃料を積む場合は 絵のように上部に適当に積み上げたようですが、貨車代わりに物資を積む事も多かったようです。

D-Foxさんの改造作品は こちら

外側スチーブンソン式弁装置

外側スチーブンソン式弁装置

上から
中立 メインロッド下
左方向に前進 メインロッド下
中立 メインロッド上
左方向に前進 メインロッド上。

日本陸軍 鉄道連隊 双合機関車 更新車 中立位置

日本陸軍 鉄道連隊 双合機関車 更新車 中立位置

双合機関車の何両かは戦前、更新工事がなされました。
写真を見ると、ブレーキシリンダーが備えられたっぽいです。それに伴って運転室裾を大型化。
あと、煙突の火の粉止めの改良、前部砂箱の大型化が目に付きます。

また、少数が軸重増減を目的にB型機やD型機に改造され、その一部が森林鉄道や炭鉱に払い下げられています。

千葉県営鉄道 B6号

千葉県営鉄道 B6号

鉄道連隊の支援で建設・運行されていた千葉県営鉄道では、双合機関車が単機で活躍しました。

日本陸軍 鉄道連隊 ペショ型 蒸気機関車

日本陸軍 鉄道連隊 ペショ型 蒸気機関車

ペショ型とは双頭式(フェアリー式)蒸気機関車の一種で、2台の小型蒸気機関車を背中合わせにくっつけた構造をしています。
ボイラーや焚口は前後分離していますが、蒸気溜・加減弁は 中央で統合されています。
この構造が開発された経緯は、双合式と同じく 貧弱な軌道に1組の機関士・機関助士で牽引力のある機関車を走らせたかったからであり、フランスの野戦軌道に大量導入されました。

日本の鉄道連隊では、欧州で活躍する軍用車両を研究する目的で 大正9年(1920年)にボールドウィンから購入しました。
試用した結果は、双合式よりも使い勝手が悪かったようです。

鉄道連隊 ペショ型蒸気機関車は鉄道連隊の調査記録のD-Foxさんのリクエストにより作画しました。
人物無しの公式側・非公式側は D-Foxさんの上記サイト用に差し上げました。詳しい解説もされていますので、ぜひ訪問して下さい。

日本陸軍 鉄道連隊 E型 蒸気機関車

日本陸軍 鉄道連隊 E型 蒸気機関車 公式側 日本陸軍 鉄道連隊 E型 蒸気機関車 非公式側

E型蒸気機関車は、鉄道連隊が大正10年(1921年)にドイツのコッペルから輸入した 待望の大型5動軸のタンク機関車です。
キモの5動軸の急曲線対策には ルッターメラー式を採用し、これは中央3軸をロッドで連動し、第1・第5軸に自由度を持たせてギヤー連動しています。
このタイプの機関車はインドネシアの製糖工場で現在も活躍しています。
E型は、31両導入されましたが、後期車は前灯用発電機や給水ポンプを備えていました。

さて、この機関車は期待されていたのですが、軍用に使うには欠点がありました。
まず、重心が高く、転覆事故も起きてしまいました。
野戦軌道用なのに 不整地を走れないのでは仕方ないので、ボイラー位置を下げる低重心化改造が施されました。絵は改造後の姿です。
また特殊な走行装置のため脱線した際の載線に手間がかかり、走行装置の保守そのものも めんどくさいものでした。
このため、どちらかというと前線よりも後方で働いていたようです。

鉄道連隊 E型 蒸気機関車は鉄道連隊の調査記録のD-Foxさんのリクエストにより作画しました。
D-Foxさんに様々なバリエーション改造して頂いているので、ぜひ訪問してみて下さい。

日本陸軍 鉄道連隊 K2型 蒸気機関車

日本陸軍 鉄道連隊 K2型 蒸気機関車

鉄道連隊K2型は、E型機関車の増備機として1942〜1944年(昭和17〜19年)に47両が製作されました。軌間は600mm。
急曲線に対応するため中空軸を用いた特殊な構造(クリーン・リントナー式)の足廻りが特徴です。
双合機関車と同じように川等から直接給水出来るように、揚水ポンプとホースを装備しています。

対ソ連方面での使用を考えて製作されたようですが、戦地に送り込まれたものは少なく、ほとんどが国内で使われました。
国内での使用に当たっては600mm軌間はマイナーなので、16両が足廻りの特殊機構を廃して1067mm軌間に改造されています。

絵はデッキに揚水ホースを巡らせた状態。

D-Foxさんの改造作品は こちら

B20形 蒸気機関車

B20形 蒸気機関車

B20形蒸気機関車は、戦時中 軍需工場専用線の入換用機関車が不足した事から計画された小形機関車です。
当時 各種専用線・地方鉄道用小形機関車について 標準化設計が計画され、軌間は1435mm〜610mm、軸配置はB形とC形、整備重量は6tから30t の各種機関車がシリーズ設計(国内向けは10種類)されました。
その内の1067mm軌間、軸配置B、整備重量20.3tのモノが国鉄に採用されて、15両が発注されましたが、完成したのは1945、46年(昭和20、21年)と、戦争には間に合いませんでした。
戦時設計のため極限まで簡略化設計が取り入れられ、飽和蒸気式という古典的なボイラーを採用しています。

残念ながら完成した時点で すでに どこからも必要とされておらず、機関庫等で細々と小入換用として使われましたが、早々に お役ごめんになりました。
しかし 鉄道ファンには意外と人気の機関車で、現在 10号機が梅小路蒸気機関車館に動態保存されています。

D-Foxさんの改造作品は こちら

日本陸軍 鉄道連隊 100式鉄道牽引車(軌道上)

日本陸軍 鉄道連隊 100式鉄道牽引車(軌道上)

日本陸軍 鉄道連隊 100式鉄道牽引車(道路上)

日本陸軍 鉄道連隊 100式鉄道牽引車(道路上)

100式鉄道牽引車 戦後 保線機械仕様

100式鉄道牽引車 戦後 保線機械仕様

鉄道連隊で使用された 現代で言う所の「軌陸車」ですが、現代の軌陸車が 軌道上も走れる自動車であるのに対し、100式鉄道牽引車は 道路上も走れる機関車です。

鉄道牽引車には何種類かありましたが、100式鉄道牽引車は ディーゼルエンジンを備えているのが特徴です。
鉄道連隊の多くの車両と同じように軌間を調整でき、1067mm、1435mm、1524mmに対応可能です。
若干改造して1000mm軌間に対応出来るようにしたものは 1式鉄道牽引車と呼ばれたようです。

性能はトルク重視で ウォームギアで動力を伝達していおり、97式軽貨車5両を牽引できます(90馬力)。また、変速機の最前列が逆転機になっているので 前後進同じに走れます。
形や機構はトラックですが 性能は鉄道車両であり、操舵機構を廃して軌道専用に改造された車輌もありました。

生産数は不明ですが、大戦末期、本土決戦用に内地に温存された車輌(軍需工場の入換用とかに使用)が けっこうあり、戦後、国鉄・私鉄・工場専用線等にて 保線用機械や入換動車等として活躍しました。

資料としてはRailMagazine誌100号〜102号の「100式鉄道牽引車ものがたり」が大変参考になります。
また現車が、現在 朝霞駐屯地で保存されています。
が、
これはあくまで100式鉄道牽引車の一例であり、残された写真を見ると、写真毎に何処かしら違いがあり、板金加工が いかにも一台一台手作りといった感じで、新製時から微妙に個体差が見られますので注意が必要でしょう。

日本陸軍 鉄道連隊 5t積軽便貨車

日本陸軍 鉄道連隊 5t積軽便貨車日本陸軍 鉄道連隊 5t積軽便貨車日本陸軍 鉄道連隊 5t積軽便貨車

日本陸軍 鉄道連隊 5t積軽便貨車+軌匡 鉄道連隊で双合機関車と共に働いたのが この5t積軽便貨車です。
軌間は600mm。連結器は双合機関車と同じく中央バッファー方式です。
基本形態は 台車の上に平台枠の車体(荷匡)を載せ さらに側枠を被せる構造で、側枠は外周に棒を立てて固定します。
また、外周の棒は長物車の さく柱の役目もあり、手すりや、ホロ屋根固定のためにも使われます。
重量物を運ぶ際は車体を使わず、台車数組を使って大物車を仕立てたり、長尺物を運ぶ際は旋回架を取り付けて、森林鉄道の運材台車みたいな使い方をしました。

土砂を積んだ場合の荷役は側枠を外して行う箱トロ方式です。※箱トロの解説参照。
ただ、側枠は相当重いはずなので、現地では改造も含め色々と工夫されたことでしょう。

たくさん作られバリエーション豊富ですので何パターンか描きました。左端が基本的なやつで、制動手用の折畳椅子が付いています。

下段の絵の積荷は軌匡(ききょう)と言って、レールと鉄枕木を梯子状に組み上げた物です。鉄道模型のフレキシブルレールと同じ感じです。
これを ならした土地にペタペタと置いていくと 即席軌道が完成します。
鉄道連隊で使用されたものは長さ5mで鉄枕木が8本。
5t積軽便貨車には上下互い違いに重ね合わせて、なおかつ左右並列に積む事により30枚載せたそうですから、1枚の重量は160kg少々でしょうか?
人力で運ぶ場合は6人で担ぎました。
また軌匡は、民間でも河川工事現場等、軌道を頻繁に移動させるような所で使われました(もともとの誕生経緯が農耕用。)。
例えば、横に数メートル移動させたい時、繋がった軌匡の端をクレーンで少し持ち上げてズルズル引きずるという、かなり乱暴な移動方法もOKです。

日本陸軍 鉄道連隊 91・97式軽貨車

日本陸軍 鉄道連隊 91式軽貨車日本陸軍 鉄道連隊97式軽貨車

日本陸軍 鉄道連隊97式軽貨車+レール日本陸軍 鉄道連隊97式軽貨車+枕木日本陸軍 鉄道連隊97式軽貨車+99式重構桁鉄道橋

日本陸軍 鉄道連隊 レール敷設風景 鉄道連隊 91式軽貨車は軌間1000mm〜1524mm用の5t積軽便貨車として昭和6年(1931年) に誕生しました。
軌道の緊急敷設には軌匡方式の600mm軌間が便利なのですが、この頃になると戦術の変化もあり、野戦鉄道よりも後方の輸送用鉄道の需要が高まったのではないでしょうか?
後方の輸送用とあらばソ連、中国、南方、日本の各種の線路幅と直通する必要があり、直通しないにしても 高規格で作りたいのは職人の人情でもあります。
なのでこの車両は 車軸のスぺーサーで1067mm(1000mm)、1435mm、1524mmと3段階に軌間を調整できるのが特徴です。
連結器は鉄道牽引車と同じく朝顔カプラーです。
車体の方は600mm軌間の5t積軽便貨車と同じ仕組みです。互換性もあったのではないでしょうか?

昭和12年(1937年)には台枠を強化して荷重を8tとした97式軽貨車に生産が移行しました(91式と97式は台枠が違うのですが、このサイズの絵だと描き分けは難しいです。)。

91・97式軽貨車は、軌道の敷設目的が野戦や築城のトロッコではないので、軌匡をバッタバッタで済ませるわけにいかず、しかし迅速に敷設する必要があるので、軌道敷設用のレール繰り出しローラーを備えています。
レール繰り出し用ローラーは敷設する軌間によって狭軌と標準/広軌の2段階に幅を設定でき、また、後位側は未使用時に下方に折り畳めます。
レール積載時は車体は使わず旋回架で済ませる事もあります。

建設機械が普及する以前、昭和の中頃までは土建分野でトロッコは重要な地位を占めていました。
戦時にはなおさらで、築城するにも輸送するにも 鉄道連隊が来てくれなければ人力でやるしかなく、需要に追い付かなかったのではないでしょうか?
5t積軽便貨車も 91・97式軽貨車も 沢山作られて前線に送られましたが、国内に残った車両もあり、これらは戦後 使い勝手が良いトロッコとして全国に散らばって活躍しました。

日本開発機 RA18形 圧縮空気機関車

日本開発機 RA18形 圧縮空気機関車

圧縮空気機関車(エアーロコ・AL)は 主に鉱山で使用された機関車です。
鉱山では爆発性ガス・粉塵が発生する危険が常に付きまといますが、ここに火花を散らす機関車を投入する事は 自殺行為です。そこで考えられたのが圧縮空気で動く機関車。
坑道内に張り巡らされた圧縮空気配管網(削岩機の動力用etc...)を有効利用し 圧縮空気をタンクに蓄えます。
しかし性能は単機で500〜600m、10t鉱車牽引で200〜300mしか走れず、目論みに反して経済性も悪く、のちに防爆型蓄電池機関車が登場すると 早々に姿を消しました。
描いたのは小形なタイプ。
同様のコンセプトで 蒸気を蓄えて走る「無火機関車」がありますが、こちらは火気厳禁な工場とかで まともに働いています。

加藤製作所 4tDL

加藤製作所 4tDL 加藤製作所 4tDL 加藤製作所 4tDL 非公式側

産業用内燃機関車といえばKATOという位 有名な量産機ですが、実物は森林鉄道や工事用軌道、工場内軌道が主な用途で、非常に地味〜な存在です。
しかし 知らず知らずの内に みんなの視界に入っていた 愛すべき機関車です。

住友セメント 栃木工場 日立製10t機

住友セメント 栃木工場 日立製10t機

住友セメント 栃木工場 唐沢鉱山で活躍した10tディーゼル機関車です。一見、無個性な産業用DLに見えますが、あちこちに作業灯を取り付け、屋根には長さの違うタイフォンが3器も備わっています。
5両が活躍し、晩年に鉱車が大型化した際には 総括制御化改造されて重連で働きました。

日立製 15t車両移動機

日立製 15t車両移動機 日通

この絵は一般型客車資料室の宇田惣郷さんの作品のおすそ分けです。私の絵と同様に非営利目的に限り利用・改変自由の許可をいただいております。

これは上と同じく日立製の車両移動機。
軌間は国鉄と同じでサイズも違いますが、デザインに共通点がありますね。
駅構内の専用側線で 貨車の入換等で活躍しました。

JR貨物 DB500形 入換用ディーゼル機関車/北陸重機製 25t 入換用ディーゼル機関車

JR貨物 DB500形 入換用ディーゼル機関車 1号機 公式側JR貨物 DB500形50番代 入換用ディーゼル機関車 公式側JR貨物 DB500形50番代 入換用ディーゼル機関車 非公式側坂城駅 DB25形 入換用ディーゼル機関車 1号機 非公式側坂城駅 DB25形 入換用ディーゼル機関車 2号機 公式側

国鉄時代に一大勢力を誇った貨車移動機(小形入換機関車・入換動車)ですが、車扱い輸送の減少と共に もはや珍しい存在となってしまいました。
しかしながら、残っているところには残っているもので、そのうち自社が所有している老朽入換動車の更新用として、JR貨物は北陸重機製の25t機をDB500形として導入しました。

ところで、平成以降 駅構内の入換においても入換信号機用ATSなどの保安装置が充実してきました。
かつての入換動車は アントなどと同じく「機械」として扱って、気ままに駅の側線で活躍していましたが、今では本線直結ルートに乗り入れる入換動車には各種保安装置が必須で、その管理がしやすいようにDB500形は「鉄道車両」として取り扱われています。

DB500形は平成28年(2016年)に1号機が下関駅に配置され、令和3年(2021年)に西大分駅と延岡駅に50番代3両が投入されました。
1号車と50番代では機関車そのもののマイナーチェンジの他、保安装置にも違いがあります。 また、この25t機関車は北陸重機の吊るしの商品なので、各地の専用線で同形機が活躍しています。 絵の若草色と水色の2両は坂城駅で活躍している奴です。

坑内用防爆式ディーゼル機関車 日車 8t UDL

坑内用防爆式ディーゼル機関車 日車 8t UDL

この機関車は、トンネル工事現場向けに開発された機関車です。
本来 坑道では、排ガスを出す内燃機関車は不向きなのですが、蓄電池式機関車では やや力不足な場合があります。
そこで、排ガス処理と防爆処置を徹底した 防爆式ディーゼル機関車が開発されました。
防爆仕様と言っても 可燃性ガスや粉塵爆発の懸念のある所など、どこでも使える というわけにはいきませんが、土木工事現場とか石灰石鉱山とかで活躍しています。

日本車両のUDLシリーズは 防爆式機関車の代表的存在です。描いたのは8t機ですが、坑内用なので屋根が低くて、運転も窮屈そうですね。なので運転席の屋根は 坑道の大きさに合わせて、現地改造で高くしたり撤去したりしています。

ニチユ BL2-F形 蓄電池機関車

ニチユ BL2-F形 蓄電池機関車 ニチユ BL2-F形 蓄電池機関車

蓄電池機関車――バテロコ(BL)は、工事現場、鉱山、工場等で今も見られますね。
メーカーはニチユ(日本輸送機)や、トモエ電機工業のモノが特に有名です。種類は大から小まで様々。
描いたのはニチユの2トン機。鉱山のエレベーターに積めるように 運転席部分が折りたためるタイプです。

鉱山用電気機関車

明延鉱山 18号(三菱製5.5t) 明延鉱山 5号(三菱製6t) 明延鉱山 5号(三菱製6t)非公式側 三菱製5.5t機 三菱製6t機

鉱山用電気機関車を代表して、明延鉱山タイプの三菱製の物を描きました。
鉱山軌道の架線電圧は250V〜750Vと低く、張架高さも 坑道にあわせて低いです。当初はポール集電が一般的でした。
明延鉱山のものは、パンタやぐらの横に 脱線復旧用の丸太を装備しています。

鉱業は重工業に直結しているので、大きな鉱山の車両は 系列メーカーの物を使用しています。また、特に大きな鉱山では 自前で機関車製造部門まで有していて、他の鉱山向けの車両まで作っていました。

鉱山用電気機関車は、片寄った運転台の配置とか どのメーカーの物でも似たり寄ったりですが、細かく見ると同じ形式のものでも製造時期によるマイナーチェンジがあり、また、現地改造・改修が繰り返されるので、同じ物は1つとしてありません。

明延鉱山 赤金号

明延鉱山 赤金号 旧色 公式側明延鉱山 赤金号 旧色 非公式側明延鉱山 赤金号 新色 公式側

運賃1円でマスコミに取り上げられた 兵庫県の明延鉱山(金 銀 銅 鉛 錫 亜鉛 硫化鉄鉱山。昭和62年(1987年)閉山)で、小規模人員輸送に使用された電動客車です。
1形式1両の現地改造品で、前後左右非対称。運転台もドアも片側のみ。軸配置A−1。車輪の大きさが 前後で違います。
何度か色が変わっているようで、絵は左から旧色 公式側、旧色 非公式側、新色 公式側です。

最晩年は 窓が開くように改造されました。
今も某所で 他の車両と一緒に大切に保存展示されています。

軌道自転車(原付)

軌道自転車(原付)

読んで字のごとく、です。
軌道自転車は 主に保線担当者が 線路を巡回する時に使います。
が、農薬撒布等、何にでも便利に使えます。
列車が来たら レールから外して通過を待ちます。
この手のモノは、メーカー製の物もありますが、自分のとこで適当に デッチ上げた物が大半です。
絵に描いたのは並列2人乗り。原付ですが、ペダルを漕いで走らせる事も出来ます。

手こぎトロッコ

軌道自転車(原付)

これも主に 軌道巡回のためのトロッコです。
2人でギッタンバッタンやって走らせます。1人でも走らせられます(ただ単に 2人描くのが面倒なだけ・・・。)。
走り始めは どっちに走り出すか分からないので、押し駆けです。

炭車

炭車a

炭車b

これは原始的な石炭運搬トロッコ。
上段は 台湾の基隆炭鉱の物ですが、まあ各地で見られました。小規模炭鉱では 晩年まで使用されました。
積荷降ろしはチップラーで車体を転覆させて。
連結器は鎖式。推進時は台枠端を押しあって。ブレーキは無しです。

で、これをちょっと改良して、片側側面を上開き構造にしたタイプが下段のもの。
岩手の日本粘土鉱業(粘土用鉱車だけど)とかで 見られました。
また、妻面が開くタイプも存在します。いずれにしても、荷役施設によって構造が変化します。

U字型鉱車

U字型鉱車a

U字型鉱車b(荷役中)

このタイプの鉱車は、チップラーという貨車横転のための地上施設と セットで活躍します。
まず、鉱車というのは とにかく数が要ります。しかもメンテナンスフリーに越した事はありません。安上がりに数を揃えると、この底の丸いU型のナベになるようです。

で、荷降ろしは ピットの上に設置されたチップラーに貨車を固定し、レールごと横転させて上下逆さまにし、中身をピットにぶちまけるわけです。大きな炭鉱などでは 地下深く坑道内にチップラーを設けて、炭・鉱石をベルトコンベア―で地上へ搬出する方法が取られました。
また、チップラーの前後の軌道に勾配を付け、重力を利用して半自動的に施設への進入、進出をさせる工夫もなされます。

上下まっ逆さまだから、積荷は完全に降ろせます。また、逆さにしないでも あおり戸付無蓋車用に、ある程度の傾斜で済ます装置(カーダンパー)や、縦方向に傾斜させるタイプも存在します。

地上設備で おおごとするなら、多少複雑でもホッパー車の方が良いのでは?と、思われるかもしれませんが、実はホッパー車は意外に荷降ろしがうまくいかないのです。
積荷が隅の方に結構残るので、車体を大ハンマーでガンガン叩いたり、バイブレーターを設置したりします。結局荷降ろしに人件費が掛かるのです。(冬季には凍って、さらにひどい状況に・・・。なので、北海道の室蘭には国鉄のセキ用のチップラーが設置されていました。)

また、狭い坑道では、貨車の構造を複雑にして 積載量を減らしたくないのです。

ちなみに、ここでは色々なタイプの鉱車を紹介していますが、それぞれ ふさわしい活躍の仕方をしていて、まずこのU字型鉱車は坑道内〜積み下ろし施設の坑道・上部軌道用。そこから積み替えて、選鉱場までは やや大型のグランピー鉱車に。坑道のズリ(廃土)捨てにはナベトロ。製品は1067mm軌間の貨車で。という感じが代表的な例です。
が、もちろん、鉱山によって様々です。炭鉱では最後までこのU字型鉱車が活躍しましたし、石灰鉱山の場合はホッパー車も多く使われています。採掘方法や、鉱石の性質で貨車も異なるのです。

グランピー鉱車

グランピー鉱車(谷側荷役中)

グランピー鉱車(山側荷役中)

グランピー鉱車とは、鉱山軌道の貨車の最終進化系で、鉱石輸送に特化し 輸送効率を最大に高めた貨車です。
坑道〜積替施設(工場)間の いわゆる上部軌道と、積替施設(工場)〜工場(港)間の下部軌道の どちらでも使われました。

旧来の一般的鉱車は、積み込むのは良いのですが荷降ろしが難点でした。
まず、黎明期 もしくは極小規模な鉱山では、いちいちスコップで降ろしていました。当時は人手は充分で 人件費も安いので人海戦術が一番効率的でした。
次に、鉱車を横転・転覆させる方法が考えられました。で、安全にすばやく転覆させる方法として、小規模輸送用にナベトロ、大規模輸送用には地上設備として「チップラー」もしくは「カーダンパー」と呼ばれる貨車横転装置が導入されました。
ただ、これは 設備の大げささも さる事ながら、なによりも貨車を一両づつ切り離して固定してやる必要があり、非常に面倒です。(数両まとめて転覆させるのも 開発されはしましたが・・・。)
この頃になると人件費も高くなり、貨車に多少金かけてでも・・・。と、いうわけでグランピー鉱車が誕生しました。

まず 地上設備ですが、荷降ろしピットの横に山型の骨組みを設置します。地上側はこれだけ。
貨車の方はダンプ構造になっており、リンクで荷台の傾斜とともに あおり戸が開く(高さ方向ではなく 水平移動。)しくみで、鉱山軌道は走行ルートが一定なので 片側作用にして構造を簡略化しています。

最大の特徴が、非あおり戸側のナベの横に付いた車輪。
グランピー鉱車の編成が 機関車に引かれて荷降ろしピットに差し掛かると、この車輪が 例の山型のレールに乗り上げ、なんと、ナベが勝手に傾斜するではありませんか!
貨車編成をいちいち分割する事無く、荷降ろしの要員も不要で、次々に荷降ろしが完了します。

1回の傾斜では うまく荷降ろし出来ないような性質の鉱石の場合には、山型レールを2、3器設置すれば ナベが連続で踊って 完全な荷降ろしができます。
また、積込場所と荷降ろし場所の両端の線路をループ状にすれば、バック運転する必要も無く、機関車は ただただ前進するだけで良いのです。

さて、ある鉱山が商売繁盛で グランピー鉱車でも輸送需要が捌ききれなかったとします。 どうしましょう?
・・・それは輸送ルートのベルトコンベア―化であり、鉱石輸送軌道の終焉を意味します。

住友セメント 栃木工場 3t鉱車

住友セメント 栃木工場 3t鉱車

住友セメント 栃木工場 唐沢鉱山で活躍した 石灰石輸送用3tホッパー車です。この鉱車を22両で1編成とし、ピストン輸送していました。
また、エアーホースを貫通し、1両おきにブレーキを備えていました。
荷降ろしは、絵で左側に見えるレバーを操作して側扉を開きます。
なお、絵では綺麗ですが、実物の鉱車というものは基本的にペンキが剥がれまくりで、少し使用しないでいると 真っ赤に錆びます。

住友セメント 栃木工場 人車

住友セメント 栃木工場 人車

住友セメント 栃木工場から唐沢鉱山までの人員輸送用に活躍した客車です。
3t鉱車の台枠を使用して 無理やり幅広の車体を載せているため 裾すぼまりで、偶然にも人車軌道の客車みたいなスタイルをしています。

箱トロ

箱トロ

箱トロとは原始的な、それでいて効率的構造の 土運搬用の木製トロッコです。 連結器は原始的な鎖式で、ブレーキは無し。
その構造・使用方法は、平トロの上に 上スボマリの木枠を乗せ 土を積載→ 積み降ろし場所で木枠を持ち上げて外すと 台形の土が残るので→ 後はスコップ等でザッとならすだけ。

箱トロの活躍場所としては 客土工事(痩せた土地に 肥えた土地の土を持っていく事業)や、河川改修工事が主なものでしたが、段々とダンプトロやナベトロに置き換えられてゆきました。

ナベトロ

ナベトロ

ナベトロは 土砂や鉱石運搬用のトロッコ。
名前の由来の「なべ」が 左右に転倒する様になっています。
なべとろは現在でも 工事現場等で活躍しています。
転倒・支持方式等 車体構造は 色々あり、ブレーキは 有ったり無かったり。
本当は酷使されて歪んでいる「鍋」描きたかったんだけど・・・。

ダンプトロ

ダンプトロ

河川改修工事でよく見られたタイプを描いてみました。
まあ、ナベトロもダンプトロの一種なのですが、これは いかにも“土運車”なやつ。ブレーキ無し。
やはり構造は 色々なタイプがあるようです。

運材台車

運材台車(鋼製)運材台車(木製)

運材台車とは木材の輸送を目的としたトロッコです。
台車の上に回転する支持腕があり、木材を二台に跨らせて支持腕に積載することにより、まるで「木材を車体としたボギー貨車」のように 急カーブを走らせることが出来ます。
荷崩れ防止策として 支持腕の左右にステーが立っており 木材を積載したのち 左右のステー上部間を鎖で結びます。
これは日本で一般的な方式ですが、外国では丸太にコの字型のクサビを打ち込んで固定する方法が主流なようです。
丸太は伐採地で所定の寸法に切り揃えられてから積まれますが、所定の寸法といっても地域差があり、尺間法な地域とメートル法な地域があるようです。また、寺社用の長いやつや、間伐材の短いやつなどイレギュラーの長さもあり、模型で再現する場合は見た目重視で、長さを揃えて積んどけば良いでしょう。
ブレーキは手ブレーキが基本ですが、森林鉄道によって色々工夫し、晩年の大規模森林鉄道では 空気ブレーキが装備されました。

描いたのは左が鋼製、右が木製。共に4m材積み。
この手のトロッコはメーカー製〜現場お手製まであり、鉄道連隊の軽便貨車改造なんてのもあります。
大規模森林鉄道では 主にメーカー製の物を使用しています。
古くなった運材台車は、各種車両に現地改造され 各森林鉄道で面白い車両が見られました。

平トロ

平トロ

セメント袋?肥料袋?飼料袋?を 積んでみました。


参考資料


小形鉄道車両の絵 その1は こちら

蒸気機関車の絵は こちら  ディーゼル機関車の絵は こちら  電気機関車の絵は こちら  客車の絵は こちら

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