電気機関車の絵



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EF13形 貨物用電気機関車 原形

EF13形 貨物用電気機関車 原形

EF13形は、戦時の資材不足の中、輸送力増強のため誕生した貨物用電気機関車で、昭和19年(1944年)から戦後の昭和22年(1947年)にかけて31両が製作されました。

徹底的な戦時設計がなされ、鋼材節約のため凸形の車体とし その重量不足分をコンクリートの死重で補っています。 また、各種補器類等を省略・簡素化し 各部に代用材を使用、パンタグラフも構造の簡単な 電車用のPS13を使用しています。

言わば、使う側を考慮していない設計ですが、ここで養われた無駄の一切無い設計技術は、戦後の車輌設計に大いに生かされています。

EF13形 貨物用電気機関車 一次改装

EF13形 貨物用電気機関車 一次改装

戦時設計なEF13形は、当然の如く故障が絶えず、世の中が落ち着いてくると 徐々に体質改善が進められました。
外見では 手すりの増設、エアータンクの増設、ボンネットに通風器の増設、パンタグラフがPS14に、前照灯を移設、木部を鋼板に、手書きだったナンバープレートを正式な物に・・・、等が見て取れます。内臓も当然 更新されています。
なお、EF13は混乱期に作られたため、その製造段階から各機 個体差があります。

EF13形 貨物用電気機関車 新(二次改装)末期

EF13形 貨物用電気機関車 新(二次改装)晩年

やはり戦時設計の車体は 如何ともしがたく、対策を検討していたところ、ちょうど、EF58形電気機関車の 車体載せ変えが行われる事になり、たまたまその両数がEF13と同一であり、寸法も EF13の設計の流れをくむEF58では ほとんど一緒だった事から、車体の振替が行われました。
これで、面目を一新したわけですが、そもそもEF58の旧車体とて 戦後混乱期に作られた物。その凸凹の外版をさらしつつ、昭和54年(1979年)まで活躍しました。

EF15形 貨物用電気機関車

EF15形 貨物用電気機関車EF15形 貨物用電気機関車

EF15形は昭和22年(1947年)〜昭和33年(1958年)に製作された貨物用電気機関車です。

誕生経緯としては、国鉄が戦後復興のため幹線の電化を進める事としたためで、当時の国鉄電気機関車としては異例の202両が製作されました。
それまでの電気機関車は、少ない電化区間に ちょっとずつ配置されている状況で、例えば国産貨物電気機関車ではED16形 18両、EF10&11形 45両、EF12形 17両、EF13形 31両といった具合です。
一応これらの機関車も標準化機関車と言えますが、同一形式内でも技術的発展途上で装備が異なるものがあり、なにか手作り感の漂うものでした。

それがEF15形では標準化設計を推し進め、旅客用のEF58形とも仕様を統一するなど、当時の「これからは電化で行く」という意気込みが感じられます。
性能的にはEF10形系統の最終進化系と言え、EF13形を出力アップしたものといえます。

EF15形は EF60形等 国鉄新性能電気機関車に混ざって、国鉄末期まで良く働きました。
この絵の動画は落ち穂拾い。へ。

EF16形 貨物用電気機関車 福米形(奥羽形)

EF16形 貨物用電気機関車 福米形(奥羽形)

EF16形とはEF15形に回生ブレーキを装備した形式です。
初期のEF15形配置線区に、電化したての奥羽本線 福島〜米沢間があるのですが、ここは33‰の急勾配が連続する板谷峠があるため、山を下りるときにブレーキの使用頻度が高くなり、タイヤが発熱する問題に直面しました。
タイヤが発熱すると脱線の原因になります。
対策としてはレールに水を撒いて機関車・貨車・客車のタイヤを冷やす方法が考えられ、試行錯誤の末、屋根上に水タンクを積んだEF15形が登場しました。
しかしそれでも不十分なため、抜本的対策として回生ブレーキを装備するに至ったものです。
なお、回生ブレーキ設置に伴い、一部機器を降ろしたため ちょっと高速連続走行が苦手になっています。

奥羽本線で活躍したEF15→EF16は、奥羽形と呼んで良いような気もしますが、福米形と言うのが一般的なようです。

福米形EF16(1〜12の12両)の外見上の特徴は、レール散水装置の他に 寒冷地装備も充実している事で、
前扉上や前灯にも装備した つらら切り、前面窓ガラス保護の金網、砂散装置ヒーターの追加、タイフォンの追加等が行われています。
これら寒冷地装備はスノープローも含めて夏期は取り外していたので、絵のような重装備状態で残された写真は少ないですね。

ところで、このEF16。
一般的なEF15形と比べて車体等が違うのにお気づきでしょうか?

さきに書いたようにEF15形は国鉄標準電気機関車の完成版なのですが、初期製造分は まだ試行錯誤の要素が残っており、また戦後の資材欠乏期でもあったので、各種装備も戦時形のEF13形に近い仕様の 大変貧相なもで、特に車体は装備の個性も相まって1両毎に形が違う状況だったのです。
そんな初期形EF15形は 期せずしてほとんどがEF16形に改造され、さらに変化したのでした。

EF15→EF16形は、奥羽本線では昭和24年(1949年)の直流電化から昭和43年(1968年)の交流電化化まで活躍しました。
キハ80系気動車特急「つばさ」の補機運用が有名ですね。
その後は、2両が上越線に転属し、その他はEF15形の元番号に復旧改造されました。
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EF16形 貨物用電気機関車 上越形 22号機

EF16形 貨物用電気機関車 上越形 22号機

EF16形は上越線でも活躍しました。
こちらのEF16は 上越国境越えの補機として水上機関区や長岡第二機関区に配置され水上〜石打で運用されました。
ただ、清水峠は板谷峠ほど難所ではないので、必ずしも全列車に補機を連結する必要は無く、EF15やEF16の単独牽引もありましたし、EF16の代わりにEF15が補機として働く事もありました。

性能の面でも回生ブレーキの設定が福米形と異なり、耐寒耐雪装備も福米形ほど強烈ではありません。
砂散装置も標準形や福米形の半数です。
また、上越形のEF16にも福米形のようにレール散水装置を搭載したものがいましたが、短期間の試用にとどまっています。
これらの差は、列車運行頻度や、雪害に対するインフラストラクチャーの違いも影響していると思われます。

上越形EF16は20番代とされ、やはりEF15形初期形から20〜31の12両が誕生、のちに福米形から再改造の11、12が合流して総数14両が国鉄末期まで働きました。

絵のEF16は屋根がのっぺりしていますが、これが本来のEF15初期形の姿。
戦前の機関車にはあった採光屋根が省略されているのですが、ここに福米形では水タンクを積んだのです。
ごく初期には側面窓も中央のものが無く、機器整備は薄暗い中での作業をしいられました。
また、抵抗器室屋根上の通風器も省略されていたのですが、側面中央窓と共に新製翌年には追設されました。
そこでこの際、何両かはグローブベンチレーターが試用され、この絵の車両もそんな車です。
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EF58形 旅客用電気機関車 旧車体(一次形)原形 日立

EF58形 旅客用電気機関車 旧車体(一次形)原形 日立

戦後、荒廃した鉄道を復活させる一環として、上越線・東海道線の電化・電化延伸が計画され、同時に新形標準電気機関車が計画されました。貨物用EF15と旅客用EF58です。
戦時形電気機関車 EF13の設計でつちかわれた簡略化技術を存分に生かし、取りあえず荒廃前 戦前並の機関車を作り上げる事を目標とし、また旅客用と貨物用の機関車を各部共通設計として標準化を図り 設計されました。

旅客用電気機関車といえば、戦前に作られたEF56・EF57では暖房蒸気発生用のボイラーを積んでいましたが、EF58では なんとしても「機関車の両数」を確保する事が優先されたため省略されました。(冬季は暖房車を連結。)

大きな期待をもって完成(昭和22年(1947年)〜)したEF58ですが、破壊された日本の工業界は まだまともに復活しておらず、使える部品も限られ 結局EF13並みの装備となってしまい、結局は 目も当てられない欠陥機関車となってしまいました。
軍需産業と見なされていた日本のベアリング工業界を救済するため導入された「コロ軸受け」も、初期故障が多かったそうです。

EF58形 旅客用電気機関車 旧車体 一次改装

EF58形 旅客用電気機関車 旧車体 一次改装

絶縁不良事故 等が多発した欠陥機関車を 何とかするための装備改装工事が実施され、電装品関係の更新を重点に、通風強化のためガーランドベンチレーターの設置、明かり窓の増設、
パンタグラフ間隔が近いため 跳躍現象の見られた電車用PS13パンタグラフの換装(PS14化)等が実施され、まともな機関車になっていきました。

EF58形 旅客用電気機関車 新車体新製時 大窓 茶

EF58形 旅客用電気機関車 新車体新製時 大窓 茶

さて、昭和27年(1952年)。世情が安定してきて ようやく暖房蒸気発生用のボイラーを積んだ新生EF58(35号機〜175号機)の登場です。
先代 旅客用電気機関車EF56・EF57に比べて大幅に水&燃料タンクの容量を増やしたため、車体を先台車の上まで延長、乗務員ドアを前面から側面に移設、流線形な車体デザインとし改設計されました。合わせてモーター出力の増強(MT41→MT42に変更)も図られています。

上越線用に増備された新車体EF58ならではの新装備の一つとして「可変式スノープロウ(除雪器)」があります。スノープロウを理想的な除雪角度に固定してしまうと、機関車を重連にした時に接触してしまうため、角度可変用空気シリンダーを先台車上方に設置してあります。

のちに初期形(1号機〜31号機)もボイラーを設置する事になり、新車体に載せ変えています(モーターもMT42に統一)。その時発生した旧車体は、寸法が似通っているEF13の凸形車体の更新に 有効利用されています。

EF58形 旅客用電気機関車 4号機 試験塗装

EF58形 旅客用電気機関車 4号機 試験塗装

電化の進展とともに蒸気機関車の煤煙による汚れを考慮する必要が薄れたため、明るい未来を願って一次形計4両の車体改装に合わせて明るい色の試験塗装が行われました。

明るいといっても現代から見ればそれ程でもないのですが、4両の試験塗装機の内 4号機に施された塗装は今でも人気のある塗装です。上廻りを「淡緑3号(セメントターミナル所有の貨車と同じ色)」+「緑2号(湘南色の緑)」に「クリーム2号(羊蹄丸&キハ55準急色と同じ色)」の帯、下廻りを「薄灰色?」に塗装。
のちに一般色に塗り替えられています。あまり調子が良くない個体だったようで 早くに廃車されています。

EF58形 旅客用電気機関車 57号機 青大将塗装 大窓

EF58形 旅客用電気機関車 57号機 青大将塗装 大窓

昭和31年(1956年)11月の東海道本線全線電化に合わせて特急「つばめ」「はと」牽引機+客車に施された有名な「青大将」塗装。名前の由来は長い編成と色が青大将みたいだから。(雨蛙の呼び名もアリ。)

上廻りを「淡緑5号」に「黄1号」の帯、下廻りを「緑3号」(のちに黒色化)に塗装。
淡緑5号も、緑3号(暗緑色)も青大将色以外には車体塗装として使われて無い色なので、再現が難しいイメージし辛い色と言えます。

EF58形 旅客用電気機関車 128号機 ブルトレ塗装 小窓

EF58形 旅客用電気機関車 128号機 ブルトレ塗装 小窓

昭和35年(1960年)20系ブルートレインの新形電源車として、カニ22形が登場。
この電源車は、直流電化区間で架線から旅客サービス用電気を賄う電動発電機を搭載(従来のディーゼル発電機も併設)。
簡単に遠隔操作出来るので 牽引機に抜擢されたEF58は その遠隔操作装置と客車乗務員との連絡電話が取り付けられ、塗装も20系客車に合わせた「青15号」に「クリーム1号」の帯に変更。外観ではジャンパー栓が目に付きます。

EF58形 旅客用電気機関車 132号機 上越形晩年

EF58形 旅客用電気機関車 132号機 上越形晩年

作者が最も好むEF58。
つらら切り装備、ホイッスルカバー装備、EG(電暖)化改造、常磐線無線、固定式スノープロウ(除雪器)装備の上越形の晩年の姿。

雪国で活躍する機関車に必須の装備「つらら切り」とは、トンネル内部で成長したつららを文字どうり切断し、前面ガラスの破損を防ぐものです。
「ホイッスルカバー」は、ホイッスル(汽笛)が凍りつかない様にするための 風よけです。
客車の電気暖房化に伴い、SG(蒸気暖房)用ボイラー&タンクを撤去して 暖房用の電気を作り出すインバーターを搭載することになりました。これを「EG(電暖)化」と言います。主に上越形が改造されました。
「常磐線無線」は三河島事故を教訓に常磐線(上野〜取手間)に試験導入された列車防護無線です。この区間に乗り入れる制御車は必ず送受信機を装備しなければならず、隅田川に乗り入れる高崎第二機関区のEF58の一部にも装備されました。(ちなみに常磐線無線の経験を元に、JR移行時 全国で新形の列車防護無線を採用、アンテナの形が違います。)
可変式スノープロウは整備が厄介なので、晩年は固定式スノープロウに変更されました。

EF58形 旅客用電気機関車 84号機 東海道P形 EG

EF58形 旅客用電気機関車 84号機 東海道P形 EG

P形化改造、EG(電暖)化改造、エアーフィルター改造、が ほどこされた84号機(の、つもり。)。

「P形化改造」とは、高速化改造された20系ブルトレの牽引のために、コンプレッサーからの圧縮空気を 直接客車に供給するための空気ホースを増設した改造(元空気ダメ引き通しと言う。)。 簡単に言えば ブレーキ配管の制御系と供給系の役割分担で、ブレーキの効きが良くなる→高速化出来るようになる。 一部のEF58が改造されました。

この84号機では、EG(電暖)化も成されているので、連結器廻りが電暖用ジャンパー線と各空気ホースで大変にぎやかです。

エアーフィルター改造は、当時の新形機関車と同等のビニロック式エアーフィルターに改造したもの。東海道・山陽筋の機関車に施されました。

EF58形 旅客用電気機関車 17号機 広島形

EF58形 旅客用電気機関車 17号機 広島形

エアーフィルター改造、左右一体形ヒサシ取付、パンタグラフPS22B化したもの。

EF58形 旅客用電気機関車 61号機 お召機 晩年

EF58形 旅客用電気機関車 61号機 お召機 晩年

製造段階からお召機関車として誕生した61号機。最上級の部品で作られ、最高級の整備が成されています。
ただし、電装品を劣化させないため 普段は通常列車の牽引で性能を維持。
列車防護無線装備、ATS-P装備の晩年の姿。

下廻り各部が地肌まで磨き出されていますが、これはその見栄えとともに 傷の発見がしやすくするという効果があります。なお、通常時はグリスが塗られており サビを防いでいます。
車体は通常の「ぶどう色2号」ではなく、「ため色」という漆の色を再現した塗装となっています。ちなみに、初期のお召列車用客車は漆塗りでした。

EH10形 貨物用電気機関車

EH10形 貨物用電気機関車

EH10形 貨物用電気機関車 晩年

EH10形電気機関車は東海道線の輸送力増強のために製作された、国鉄最後の旧形電気機関車です。
当時は高性能な電動機が開発途上であったため、動軸数を増やす事で 所用の性能を確保しています。
性能は旧式ですが、台車は牽引力を車体で負担する方式となり、デッキや先台車が廃止され 新性能機関車との 合いの子的存在です。
でも やっぱり旧式。

昭和29年(1954年)〜昭和32年(1957年)に64両が製作されました。
開発に当たっては複数メーカー主導で好きにやらせたうえ、 国鉄の設計陣は取りまとめに失敗して、試作機ができてみたら現場は大変困惑したそうです。
そんな試作機の1〜4号機はパンタグラフが中央に寄っていますが、これは明らかに設計ミスで、量産機では車端寄りに改善されています。
また、量産機は運転席が広くなり車体が延長されています。

EH10形は急行便や たから号の牽引で花形でしたが、新性能機関車が登場すると 地味な仕事をこなしつつ、昭和50年代末期まで活躍しました。

EF60形 電気機関車 2次形

EF60形 電気機関車 2次形

この絵は名古屋人さんの作品です。私の絵と同様に非営利目的に限り利用・改変自由の許可をいただいております。

EF60形は旧来の設計を根本から改めた いわゆる新性能直流電気機関車の完成版と言えます。
絵のものは15号機〜のEF60形の主流派です。

EF70形 交流電気機関車

EF70形 交流電気機関車 前期形 改良後 公式側EF70形 交流電気機関車 前期形 改良後 非公式側EF70形 交流電気機関車 1000番代 公式側EF70形 交流電気機関車 後期形 非公式側EF70形 交流電気機関車 後期形 九州仕様 公式側

EF70形は、北陸トンネルでの1000t貨物列車牽引用として、昭和36年(1961年)に開発された6動軸の交流電気機関車です。
時代背景としては、北陸本線のネックであった敦賀以北の単線非電化連続急勾配を緩和するために、全長14km弱の北陸トンネルが複線交流電化で掘られましたが、それでも北陸トンネルは11.5 ‰の片連続勾配が12km程も連続するものでした。
トンネル内は湿度が高いため、重量列車の牽引には さらに条件が悪くなります。
この頃の国鉄設計陣は、「交流機関車は直流機関車よりも高性能で、交流ED形機で直流EF形機に匹敵する。」という謎の自信を持っていたのですが、さすがに北陸トンネルでの1000t牽引はED級でも力不足と考えられたため、専用機としてEF形交流機が開発されたわけです。
この勾配専用機のEF70形は、北陸トンネルを含む田村〜福井間で使用する予定で、福井以北は4動軸姉妹機のED74形が主力として投入される予定でした。
ところが、当然の事ながら同仕様でED形とEF形があれば、EF形の方が使いやすいのは自明のことで、福井以北の勾配区間はED形重連とする案は方針転換され、EF70形は主力機として昭和40年(1965年)までに81両が量産されることとなりました。

時代は下り、北陸本線の交流電化が糸魚川まで及ぶと、ここの交直接続にはEF81形が投入されました。
北陸本線の貨物需要は旺盛であり、交流電化区間も長いのでEF70形はそのまま活躍していたのですが、国鉄末期にもなると貨物列車はどんどん削減され、客車列車も電車になり、電気機関車が余りました。
さらに昭和49年(1974年)に湖西線が大阪への主要ルートとして開業すると、どうしても交直流電気機関車のEF81形の独壇場となり、EF70形は余りました。
この頃の機関車余りの傾向は日本全国でのことで、少しでも新しい機関車を生かす方針のもと、昭和55年(1980年)にはEF70形の後期車の20両が、九州のED72、ED73形の置き換え用として転属しました。ED72形も昭和36年(1961年)開発なのですが、EF70形の方が機器が新しかったためです。
ただ、この転配をしたところで、貨物列車の削減はまだまだ続き、EF70形は昭和60年(1985年)に役目を終えました。

EF62形 電気機関車

EF62形 電気機関車 1号機 茶 公式側

EF62形 電気機関車 1号機 青 公式側EF62形 電気機関車 初期形 青 公式側EF62形 電気機関車 後期形 青 公式側

EF62形 電気機関車 初期形 青 非公式側EF62形 電気機関車 後期形 青 非公式側

これらの絵は一般型客車資料室の宇田惣郷さんの作品のおすそ分けです。私の絵と同様に非営利目的に限り利用・改変自由の許可をいただいております。

信越本線の碓氷峠(横川〜軽井沢)間は 急勾配区間のため、かねてよりアプト式(軌道中央にラックギアを3枚並べ、専用機関車の歯車をかみ合わせて勾配を登る方式。)により運行されていましたが、この方式はスピードが出せず、また単線であった事から輸送の隘路となっていました。
また、アプト式は保線作業が並大抵では無く、輸送の近代化のため 複線の新線を建設し、通常方式で鉄道を運行する事が計画され、そのための専用補助機関車 EF63形が作られる事になりました。
路面電車サイズの小形電車では 1000分の80位の勾配を普通に登るものがありますが、大柄な在来線で 1000分の67.7の勾配を昇り降りするために、開発は大変だったようです。

本題のEF62形ですが、これは この区間を直通するためにEF63と共に昭和37年(1962年)に開発された機関車です。

EF62は、EF63との協調運転をおこない、また碓氷峠を超す関係で特殊装備を多数備えたため、重くなってしまいました。
そこで、少しでも車体を軽くするため EF60形以来の2軸3台車方式をやめて、3軸2台車方式としています。
これで一応平坦線も走れるようになりましたが、3軸台車の中央軸の横圧が強くて 軌道にダメージを与え、保線屋泣かせだったそうです。

それでも信越線を直通できる唯一の機関車のため、貨物や客車列車を牽いて活躍したのですが、国鉄末期になると貨物列車の大幅縮小のため 碓氷峠の貨物列車が廃止され、余剰車がでました。
ちょうどその頃、東海道・山陽線ではEF58形電気機関車が郵便・荷物列車を牽引していましたが、老朽化してきたため これをEF62で置き換える事になりました。
国鉄末期の貨物縮小では多数の機関車が余剰となったのですが、電気暖房装置を備えて まとまった数が余ったのはEF62しかなかったのです。
ただ、EF62は長距離連続高速運転をするために作られた機関車ではなく、相当無理のある運用だったようです。
その後、郵便・荷物列車はEF62が転属してから2年ちょっとで あっけなく全廃され、僅かに残された本来の碓氷峠組のEF62も、長野新幹線の開業による信越線 横川〜軽井沢間の廃止で平成10年(1998年)に形式消滅しました。

絵は、上から試作機にあたる1号機の初期の状態。
中段が左から1号機の標準化改造後、初期形の公式側、後期形の公式側。
下段が初期形の非公式側、後期形の非公式側。

ED75形 交流電気機関車 一般形

ED75形 交流電気機関車 3〜49号機 公式側ED75形 交流電気機関車 84〜100号機 公式側ED75形 交流電気機関車 3〜49号機+132〜160号機 重連総括 公式側

ED75形 交流電気機関車 50〜83号機 非公式側ED75形 交流電気機関車 101〜131号機 冬季 非公式側ED75形 交流電気機関車 101〜131号機 JR貨物更新機塗装その2 非公式側

ED75形は交流電気機関車の標準形式として、開発されました。
戦後、国鉄は地方線区の交流電化を推進していたわけですが、ちょうどその頃はエレクトロニクス分野の進化が早く、せっかく新形機を開発しても すぐ陳腐化してしまう状況で、なかなか標準形式が産めないでいました。
しかしながら昭和30年代後半になると、試行錯誤の成果がまとまり、念願の交流標準機ED75形が誕生しました。電気暖房を装備し、重連総括制御が可能です。

ED75形一般形は昭和39〜43年(1964〜1968年)に160両が製作されました。
50Hz電化の東北本線・常磐線用で、通称M形と呼ばれています。
JR化後は、更新工事されるなどして、EH500形の増備完了まで長く活躍しています。

ED75形 交流電気機関車 300番代

ED75形 交流電気機関車 301〜310号機 公式側

ED75形300番代は、九州の60Hz区間用にED73形の増備として昭和40年(1965年)に10両、昭和43年(1968年)に1両が製作されました。
10000系貨車の高速牽引が可能です。
九州では姉妹機で蒸気暖房装備・軸重可変式のED76形の方が量産されたため、ED75形300番代は小世帯にとどまり、JRには継承されませんでした。

ED75形 交流電気機関車 1000番代

ED75形 交流電気機関車 1001〜1019号機 公式側ED75形 交流電気機関車 1020〜1025号機 JR貨物更新機塗装その1 公式側ED75形 交流電気機関車 1036〜1039号機  JR貨物移籍機 公式側

ED75形 交流電気機関車 1026〜1035号機 非公式側

ED75形1000番代は、東北本線・常磐線用での20系ブルートレインや10000系貨車の高速牽引用として、昭和43〜49年(1968〜1974年)に39両が製作されました。
通称P形と呼ばれ、外観としては増設されたジャンパー連結器が目立ちますが、側面から見た印象は一般形と同じです。
一般形と同じく、更新改造されるなどして、平成24年(2012年)まで活躍しました。

ED75形 交流電気機関車 700番代

ED75形 交流電気機関車 701〜744号機 公式側

ED75形 交流電気機関車 745〜759号機 JR東日本 冬季 非公式側ED75形 交流電気機関車 760〜791号機 非公式側

ED75形700番代は、奥羽本線・羽越本線の電化開業用として、昭和46〜51年(1971〜1976年)に91両が製作されたものです。
当該線区は日本海沿いで塩害を考慮する必要があり、また、冬季の気象条件も悪いため耐寒耐雪を強化するために、今まで屋上に露出していた機器を車内配置に変更しました。
また、パンタグラフが小形化されるなど、全体的に近代的な姿となりました。
国鉄〜JR移行期には、比較的新しい交流電気機関車だったために、34両が津軽海峡線用として ED79形に改造されました。
残されたED75形700番代も、JRで長寿を保ちました。

ED79形 交流電気機関車 0番代

ED79形 交流電気機関車 0番代+100番代 重連総括 公式側

ED79形 交流電気機関車 0番代 末期 非公式側

ED79形は、昭和63年(1988年)の青函トンネルの開業のために用意された機関車です。
青函トンネルを含む津軽海峡線は JR発足翌年の開業ですが、当時の国鉄末期の経営判断から、津軽海峡線では電車は用意されず 旅客輸送は主に客車で賄われる事となりました。
貨物列車は青函トンネル内の多湿な連続勾配を攻略するため、同形機の重連牽引で対処します。
また、津軽海峡線沿線は雪害・塩害があり、青函トンネルは車内信号式のATC区間であるなど、いろいろな制約があったため、専用機関車を用意する必要がありました。
そこで余剰のED75形の中から、経年が新しく 耐寒耐雪耐塩害が強化された700番代を改造することにしました。
国鉄最末期で もはや交流機の70代を使い切っても良いので、下手に番代分けすることなく新たに形式を起こして、ED79形となりました。
ED75形からED79形への改造内容は、回生ブレーキの装備や、ギヤ比の高速寄りへの変更、ATCの装備などです。

ED79形はJR北海道の所属ながら、当然貨物列車の牽引にも充てられるので ある程度の両数が必要です。
しかしながら、この時点では国鉄はジリ貧だったため、すべてを0番代で賄えず、機能を大幅に省略した重連補機専用機として100番代が用意されました。100番代の外見はED75 700番代とさして変わりはありません。
ED79形の0番代は21両、100番代は13両が改造されました。
その後、散砂装置の改造が行われ、最末期にはシングルアームパンタグラフ化されるなど、外見に変化があります。

津軽海峡線開業時は ちょうどバブル経済の真っただ中で青函トンネル事体に観光要素があったので、当初は多くの旅客が集まりましたが、しょせん航空機には勝てず、一時期 客寄せのため汚らしく落書きされた状態で運転されていたのは哀れでした。
平成14年(2002年)の東北新幹線八戸延伸に伴い、海峡号は廃止されて特急電車化したためED79形は廃車が進み、寝台列車も続々廃止される中、最後まで細々と残っていた0番代は平成28年(2016年)の北海道新幹線の開業で役目を終えました。

ED79形 交流電気機関車 100番代

ED79形 交流電気機関車 50番代 セラジェット装備 重連総括 公式側

国鉄末期には 鉄道貨物輸送の消滅まで囁かれていたところですが、いざJRに移行すると 時はちょうどバブル経済真っただ中。コンテナ貨物列車の増発が必要になりました。
津軽海峡線用のED79形はJR北海道の持ちでしたが、JR貨物としても増備を考えました。
しかし種車のED75形700番代はJR東日本に引き継がれていて、余剰機も無いためJR貨物はED79形の新製に踏み切りました。
こうして生まれたのがED79形50番代で、平成元年(1989年)に10両が製作されました。今では考えられない事ですが、当時は車両メーカー側も この急なオーダーに応える能力がありました。
機関車の仕様としてはED79形0番代で断念した機能制限を無くし、多彩色に塗装するなど、さすがバブル期の車両です。
前面窓を傾斜させたり、ヒサシを付けたのはトンネル走行の何らかの対策なのか、単なるデザインなのか、いまいち不明です。

ED79形50番代は一時期 東北本線の宮城野まで足を延ばすなど柔軟な活躍をしました。途中、散砂装置の改造などもしています。
その後、EH500形が登場すると用済みになるかと思われたものの、そんな事もなく津軽海峡線で運用を続け、EH800形が増備される平成27年(2015年)まで活躍しました。

EF65形 電気機関車 一般形

EF65形 電気機関車 一般形

EF65形電気機関車は、EF60形電気機関車の改良形として昭和40年(1965年)に登場しました。外見はEF60形の3次車にそっくりですが、ギヤ比を若干高速側とし、内部機器を近代化しています。
一般形は1〜135号機が該当します。

EF65形 電気機関車 P形

EF65形 電気機関車 P形

EF65形のP形は、ブレーキの改良等をして20系ブルートレイン牽引用としたグループで、F形と共に500番代を名乗り、501〜512、527〜531、及び一般形からの改造機、535〜542が該当します。
P形のPは旅客のPです。

EF65形 電気機関車 F形

EF65形 電気機関車 F形 一次車EF65形 電気機関車 F形 二次車

EF65形のF形は、P形に10000系高速貨車牽引用設備と重連総括用設備を追加したタイプで、連結面には空気管付密着自動連結器を装備し、電気連結器3個、空気コック6個(ブレーキ管×2、元空気ダメ管×3、釣り合い管)が並びます。F形のFは貨物のFです。
EF66形の登場までの暫定処置として、東海道・山陽筋で10000系貨車を重連100km/h牽引しました。EF66形登場後は東北・上越線での重連牽引に活躍しました。
P形と共に500番代を名乗り、513〜526、532〜534号機が該当します。
絵は左が一次車、右が二次車。共に、PF形の登場により一般形と共通運用となり大部分の空気ホースを撤去した状態です。

EF65形 電気機関車 PF形

EF65形 電気機関車 PF形 前期形EF65形 電気機関車 PF形 後期形

EF65形電気機関車PF形は、F形の東北・上越線での重連運用で問題となった点を改良したタイプで、各種耐寒・耐雪装備が施されています。
昭和44年(1969年)に登場し、当初は重連総括を行わない一般形と並行して増備されていました。1000番代を名乗り、大まかに前期形の1001〜1055号機と後期形の1056〜1139号機に分けられます。
それまでと外観が少し変わり、積雪地での重連運用時の前後アクセスのため、貫通扉が付きました。本来なら寒地用F形とでも名乗るべきですが、なぜかPF形と呼ばれています。
東北線での重連総括運用は昭和46年(1971年)には終了し、上越線での定期運用もEF64形1000番代の登場により、昭和57年(1982年)に終了しました。
絵は、左が前期形、右が後期形。

EF66形 電気機関車

EF66形 電気機関車 前期形EF66形 電気機関車 後期形

EF66形 電気機関車 JR貨物PR塗装

EF66形電気機関車は、10000系高速貨車の1000t組成列車を100km/hで牽引する事を目的として昭和43年(1968年)に登場しました(試作機EF90形は昭和41年(1966年))。
以来、一貫して東海道・山陽筋で活躍していますが、JR化後は いろいろ外観に変化ができています。

下段は国鉄→JR移行時に見られたJR貨物試験塗装と言われている塗装です。実際は試験と言うより新生JR貨物のアピールが主眼であり、機関車各形式に様々なデザインのものが見られました。

名古屋人さんの改造作品は こちら

EF81形 交直流電気機関車

EF81形 交直流電気機関車 公式側EF81形 交直流電気機関車 非公式側

EF81形 交直流電気機関車 公式側EF81形 交直流電気機関車 非公式側

これらの絵は一般型客車資料室の宇田惣郷さんの作品のおすそ分けです。私の絵と同様に非営利目的に限り利用・改変自由の許可をいただいております。

EF81形電気機関車は、昭和43年(1968年)に登場した汎用交直両用電気機関車です。
日本は西と東で交流の周波数が異なりますが、その影響で日本海縦貫線は、直流1500V、交流20000V 50c/s、交流20000V 60c/sの3種の電化区間ができてしまいました。
この電化区間を通し運転するための電気機関車としてEF81形は誕生しました。

交直両用電気機関車は当時常磐線でEF80形が活躍していましたが、構造が複雑な欠点があり、そのためEF81形では交流機関車の利点を捨てて、抵抗制御方式のEF65形に変圧器を載せたような機器構成となりました。
そのため安価になり、164両が製作されて 日本海縦貫線の他にも活躍場所を広げました。貨物からブルトレまで何でも牽きます。

絵は、152両製作された基本番代のうち、75〜126号機の姿。

EF81形 300番代 交直流電気機関車

EF81形 300番代 交直流電気機関車< 公式側EF81形 300番代 交直流電気機関車< 非公式側

EF81形 300番代 交直流電気機関車< 公式側EF81形 300番代 交直流電気機関車< 非公式側

これらの絵は一般型客車資料室の宇田惣郷さんの作品のおすそ分けです。私の絵と同様に非営利目的に限り利用・改変自由の許可をいただいております。

EF81形電気機関車は、関門海峡のEF30形の増備としても作られました。
EF81形300番代は昭和48、49年(1973、74年)に4両が登場しています。
関門トンネルは海水が常にしたたっているため、見ての通り、EF10形以来伝統のステンレス車体の特殊仕様です。
関門トンネル内は22パーミルの勾配のため、貨物列車はEF30形の重連総括制御で牽引していましたが、EF81形300番代は旅客列車牽引のための増備だったため、重連総括のための装備はありませんでした。
しかし国鉄末期に老朽化したEF30形を淘汰するため 重連総括制御化改造されています。
また、301、302号機の2両は、EF80形淘汰のために常磐線に助っ人に行った際に「視認性に劣る。」という理由でピンク色に塗られてしまいました。
最近では東日本大震災の増援として日本海縦貫線に出張に行って、注目されましたね。

EF64形1000番代 電気機関車

EF64形1000番代 電気機関車 公式側EF64形1000番代 電気機関車 非公式側

EF64形1000番代 電気機関車 公式側EF64形1000番代 電気機関車 非公式側

EF64形1000番代 電気機関車 更新色 公式側EF64形1000番代 電気機関車 更新色 非公式側

これらの絵は一般型客車資料室の宇田惣郷さんの作品のおすそ分けです。私の絵と同様に非営利目的に限り利用・改変自由の許可をいただいております。

EF64形1000番代は、高崎・上越線の老朽化したEF58形、EF15形、EF16形を1形式で置き換えるために昭和55年(1980年)に登場した勾配用直流客貨両用機です。
元々はEF64形基本番代の大幅改良形・・・というか別形式にすべきところを、労働組合対策でEF64形の1000番代となりました。
一応 性能的にはEF64形基本番代と重連総括制御が可能です。
機器・構造的には基本番代との共通点は少なく、耐寒耐雪性能の強化など数々の改良が加えられ、さすが国鉄最後の新製電気機関車だけあります。
なお、1001〜1032号機までは電気暖房電源を装備していましたが、1033〜1053号機は貨物用として装備を省略しています。

以来、首都圏〜新潟圏で貨物やブルトレ牽引で活躍を続けましたが、最近は徐々に西へ活躍の範囲を広げ、今は後継形式のEH200形に追われる身となっています。
絵は、左から公式側、非公式側。下段は現在のJR貨物更新色。

EF210形 電気機関車

EF210形 電気機関車 0番代 初期 公式側EF210形 電気機関車 100番代 公式側EF210形 電気機関車 100番代 非公式側EF210形 電気機関車 300番代 公式側EF210形 電気機関車 300番代 非公式側

EF210形は、EF66形の増備のために開発され、EF65形及びEF66形の代替更新のために量産が続く、汎用形直流電気機関車です。

1990年代半ば、バブル景気崩壊後も東海道・山陽線筋の輸送需要は旺盛であり、また、不景気を乗り切るためにも JR貨物は人気商品の東海道・山陽線筋の列車増発を考えました。
東海道本線の列車増発のためにはブルートレインの廃止に伴う空きを利用したりしましたが、その客車列車ダイヤに貨物列車を潜り込ませるためには、高速で走れなくてはなりません。
また、もともと東海道線は列車本数も多く、旅客会社の顔を伺いつつ 増発自体も おいそれと出来ないので、1列車辺りの輸送力の確保が必要で1300t列車の牽引能力が求められました。
整理すると コキ車24両1200t編成を最高速度110km/h、もしくはコキ車26両1300t編成を最高速度100km/hで牽引する、つまりEF66形相当の能力の機関車が必要となりました。

JR貨物は バブル期に1600t列車の実現を夢見て 6000kWの高出力機関車EF200形を作りましたが、不景気になり 変電所の増設等設備改良計画も縮小され、哀れEF200形は出力を制限して使う破目になりました。
その失敗を考慮しつつ、汎用直流機関車EF65形の置き換えも視野に、EF210形は平成8年(1996年)に試作機が誕生しました。

このEF210形は、EF66形の1時間定格出力3900kWに劣る1時間定格出力3390kWですが、30分定格出力という概念を導入し、短時間なら3540kWの力が出せます。
東海道筋でその高出力が必要なのは 関ヶ原越えの短区間なので、その能力で充分なのでした。
むしろ そのちょうど手頃な設計により無駄に高価にならず、EF210形は成功した機関車と言えます。

絵は左から18両製作の0番代公式側、増備が続く100番代公式側、非公式側、瀬野八用の300番代公式側、非公式側です。
0番代は初期の形態で、のちにエアフィルターを交換して100番代と同じような外見になりました。
0番代は最初に岡山機関区に配属され、その際 愛称を公募した結果「ECO-POWER 桃太郎」の名が付きました。この愛称はEF210形各番代共通のもので、現場でも「桃太郎」と親しまれて呼ばれています。
100番代は0番代の制御機器を変更したものです。続々と増備され 各地に配置されています。
300番代は、山陽本線の瀬野→八本松間上り線の後部補機 EF67形の置き換えのために製作されたものです。連結器の緩衝器を大形にしてますが、性能的には100番代と大差ありません。

EF210形 電気機関車 100番代 新色 公式側EF210形 電気機関車 100番代 新色 非公式側

JR貨物は平成29年度(2017年度)以降 JRFマークを廃止しましたが、EF210形0番代・100番代の場合は シールを剥がしただけでは間延びした印象となってしまうため、塗装工程の簡略化も兼ねて 新たに300番代に準じた塗装が制定されました。

EH500形 交直流電気機関車

EH500形 交直流電気機関車 901号機(試作車)公式側 交流区間

EH500形 交直流電気機関車 3〜9号機(5〜9号機)公式側 交流区間EH500形 交直流電気機関車 3〜9号機(3,4号機) ダクト大 非公式側 直流区間EH500形 交直流電気機関車 3〜9号機(5〜9号機) ダクト大 JRFマーク無し 公式側 直流区間

EH500形 交直流電気機関車 10〜50号機 公式側 直流区間EH500形 交直流電気機関車 10〜50号機 非公式側 交流区間EH500形 交直流電気機関車 10〜50号機 ダクト大 JRFマーク無し 公式側 交流区間EH500形 交直流電気機関車 10〜50号機 ダクト大 JRFマーク無し 非公式側 直流区間

EH500形 交直流電気機関車 51〜81号機(67〜72号機)門司区 公式側 交流区間EH500形 交直流電気機関車 51〜81号機(67〜81号機)非公式側 直流区間EH500形 交直流電気機関車 51〜81号機(67〜81号機) JRFマーク無し 公式側 交流区間

JR化後。東北本線のED75形 交流電気機関車の代替機の開発は、しばし迷走しました。
時代的に当然 VVVFインバーター制御を採用するとして、また東北本線スルー運用のために交直両用機が求められ、川重+三菱の超強力機 EF500形や日立製 ED500形が試作されましたが、世間の情勢やVVVF黎明期という事もあって、うまくいきませんでした。
とは言うもののED75形の代替機は必要で、本当に必要な性能を突き詰めていった結果誕生したのが、EH10形電気機関車以来の8動軸機でした。
EH500形は東北本線のみならず 首都圏から津軽海峡を潜って函館まで、単機牽引でスルー運転をする事をコンセプトとして設計されました。
それにより津軽海峡線のED79形重連と 東北本線のED75形重連、黒磯以西のEF65形の置き換えを考えました。

性能は1時間定格4000kWで、架線電圧 直流1500V、交流50Hz 20000Vの他、将来を見越して交流60Hz 20000Vにも対応しています。
また、青函トンネルの湿潤な環境を考慮して設計され、青函トンネル用ATC装置も搭載しています。
EH500形は東芝製ですが、JR貨物の標準化の方針の下 EF210形等と各仕様を極力揃えており、台車は川重から供給されています。
EF210形に続いて愛称が付けられ、桃太郎と対になる金太郎を名乗っています。地域的には無縁なんですけど・・・。

EH500形は まず平成9年(1997年)に試作機の901号機が登場し、各種試験に供されました。
量産機は平成12年(2000年)から姿を現しましたが、試作機と大幅に違う外見に驚かされたものです。
さらに量産機も初期の頃は仕様変更が多く、また後年の機器更新等で 無数のバリエーションがあります。パンタグラフがどちら向きかで列車を牽く表情も変わり、EH500形は結構 鉄道ファンに人気があります。
なお、交直両用機は直流区間ではパンタグラフを2つとも上げ、交流区間では1つだけEH500形の場合は中央だけ上げて走行するのが基本です。

配置区は仙台で、本格的な使用が始まってみると、意外にも北海道から首都圏までスルー運用はあまりされず、列車は黒磯で直流機関車とリレーされていました。
一部の車両は 門司区に配置され、関門トンネル用のEF81形の置き換えをしました。最近は九州島内に広く運用され、ED76形交流電気機関車の更新も図っています。

そして、青函トンネルは平成28年(2016年)から新幹線と共用される事になり、同区間が交流50Hz 25000Vに昇圧されるうえ 保安装置も新幹線のものとなるため EH800形が開発されました。
EH500形は青函トンネルを走れなくなるため 全体の運用を南にシフトし、黒磯での直流機との機関車交換を廃止して EF65形の置き換えまでこなすこととなりました。
EH500形は81号機まで製作されましたが、EH800形も両数が充分あって東北北部で活躍でき、首都圏はEF210形の量産で賄えるので、もう新規製作はないと思われます。

今後は青函トンネル用ATC装置の撤去や、JRFマークの抹消などが行われ、末永く活躍する事でしょう。

EF510形 交直流電気機関車

EF510形 交直流電気機関車 0番代 公式側EF510形 交直流電気機関車 0番代 非公式側EF510形 交直流電気機関車 0番代 JRFマーク無し 公式側EF510形 交直流電気機関車 0番代 JRFマーク無し 非公式側

EF510形は、日本海縦貫線のEF81形の置き換えのために、平成14年(2002年)から量産されている交直両用電気機関車です。
この頃にはJR貨物は新製車両各形式の標準設計化を強く意識するようになり、EF510形は EF210形の姉妹機と言えます。
やはり愛称が公募され、「ECO-POWER レッドサンダー」の名が付きました。富山機関区に配置されています。

EF510形 交直流電気機関車 500番代 北斗星塗装 冬季 公式側EF510形 交直流電気機関車 500番代 北斗星塗装 非公式側EF510形 交直流電気機関車 500番代 カシオペア塗装 公式側

平成21年(2009年)からJR東日本も田端運転所のEF81形の更新のために EF510形を500番代として導入しました。
当時の田端運転所は、ブルトレの他に貨物列車牽引も受託していたので15両も製作されました。
500番代は保安装置がJR東日本仕様になっている他、東北本線黒磯駅の交流・直流切替セクションを無停車で通過する装置も備えています。
基本的にはブルートレイン北斗星に合わせて青色塗装とされましたが、509、510号機は 寝台特急カシオペアに合わせた銀色塗装です。

EF510形 交直流電気機関車 500番代 北斗星塗装 公式側 がんばろう日本!がんばろう東北!EF510形 交直流電気機関車 500番代 北斗星塗装 非公式側 つなげよう日本。EF510形 交直流電気機関車 500番代 カシオペア塗装 冬季 非公式側 つなげよう日本。

平成23年(2011年)3月11日の東日本大震災の発生に際して、JR東日本は東北地方を走る車両に 復興の願いを込めたメッセージを掲出しました。
EF510形では 公式側運転席後方に「がんばろう日本!がんばろう東北!」、 非公式側運転席後方に「つなげよう日本。」と書かれたステッカーを貼りました。
結果的にはこの姿での活躍期間の方が長かったです。

EF510形 交直流電気機関車 500番代 貨物仕様 青 冬季 公式側

EF510形500番代は当初から 将来的にはJR貨物に売却する計画でしたが、JR間の受委託業務解消に向けた取り組みや、震災の影響もあり、予定より早くJR東日本の元を離れてしまいました。
転籍に際しては小改修のうえ装飾のステッカーを剥がされ、現在は全機が0番代と共に富山機関区に配置されて活躍しています。

EH200形 電気機関車

EH200形 電気機関車 公式側EH200形 電気機関車 非公式側EH200形 電気機関車 JRFマーク無し 公式側EH200形 電気機関車 JRFマーク無し 非公式側

EH200形は、上越・中央線系統で使用しているEF64形の置き換え用として、平成13年(2001年)に試作機が誕生しました。
EH500形に続いて8動軸機となり、EF64形の重連と同等の出力(1時間定格出力4520kW、短時間定格出力5120kW)を確保しました。
その他、勾配線区や耐寒・耐雪に対応する各種装備を持っています。
ただ、構想段階ではEH500形と同じ前頭形状だったのが、試作機が出てみたら改悪されてしまいました。
この形状は積雪を掬い上げてしまい 前が見えなくなるという重大な欠陥があり、雪国用に似つかわしくないものです。
EH200形は平成15年(2003年)から量産機が登場し、上越線と中央東線のEF64を置き換えましたが、なぜか中央西線への運用はなされず、製造も試作車を含めて25両にとどまりました。

EH800形 交流電気機関車

EH800形 交流電気機関車 公式側EH800形 交流電気機関車 非公式側EH800形 交流電気機関車 JRFマーク無し 公式側EH800形 交流電気機関車 JRFマーク無し 非公式側

EH800形は、平成28年(2016年)3月に北海道新幹線が開業するのに伴い、津軽海峡線の青函トンネル区間が新幹線に準じた設備に変更されるために開発された 複電圧交流電気機関車です。
青函トンネルは、新幹線の開業により新在共用区間として在来線列車も通過できるように3線軌化されましたが、設備は高度な新幹線に準じており、架線電圧は交流50Hz 20000Vが25000Vに変更され、保安設備も新幹線化されました。
となると貨車・客車はそのままでよくても、従来形式の動力車は走行できなくなり、EH500形の後継機が必要となりました。
いろいろ検討した結果、EH500形をベースとした交流機とすることとし、安く抑えるためかEH500形と同じ車体構体を使い廻しました。
ただ、そのままでは いい感じにすべての機器が収まらず、2端車の側面下部に新幹線用のアンテナ収納部が張り出しています。下膨れ状で不細工ですが、ぱっと見はあまり目立たずうまく処理されていますね。
下廻りもEH500形ベースですが、走行地域が主にパウダースノウなためか、スノープロウは他のJR貨物新鋭電機と異なり、緩い角度のものとなっております。

機器は交流25000V用に構成されており、電圧の低い20000V区間では1時間定格出力が4000kW→3040kWに落ちます。
なお、新幹線区間では電化方式の違いから交流区間ながら両方のパンタグラフを上げて走ります。

試作機の901号機は平成24年(2012年)に開発され、平成26年(2014年)から量産化され、計20両の陣営となりました。
量産機が生産され始めてからも 17号機までは従来の青函トンネルの保安設備にも対応するため、旧来の青函トンネル用ATC装置も搭載せねばなりませんでした。

南海電鉄 ED5101形/ED5121形 電気機関車

南海電鉄 ED5101形 電気機関車 ED5107 ATS装備 山側南海電鉄 ED5121形 電気機関車 ED5131 ATS装備 山側

いわゆる南海形と呼ばれる凸形電気機関車。形式は一応ED5101形とED5121形です。
昭和11年(1936年)に1000番代→5000番代に、昭和24年(1949年)にEF→EDに改番しています。
初期の木造車体の車両は 木南車両で鋼体化改造されましたが、その際に車体振り替えや改番が行われているようで、ますますややこしくなっています。

列記すると、
大阪高野鉄道1号 大正5年(1916年)自社製→EF1016→EF5074→鋼体化EF5126→ED5126 側窓3枚 D16台車→昭和46年(1971年)廃車
大阪高野鉄道2号 大正6年(1917年)自社製→EF1017→EF5073→鋼体化EF5125→ED5125 側窓3枚 D16台車→昭和46年(1971年)廃車
大阪高野鉄道3号 大正7年(1918年)自社製→EF1018→EF5071→鋼体化EF5121→ED5121 側窓3枚 D16台車→昭和49年(1974年)廃車
大阪高野鉄道4号 大正9年(1920年)自社製→EF1019→EF5072→鋼体化EF5124→昭和22年(1947年)廃車
大阪高野鉄道5号 大正11年(1922年)自社製→EF1020→昭和9年(1934年)大阪窒業セメント三重国見鉱山1号
南海鉄道 EF1001 大正11年(1922年)日本車両→EF5101→ED5101→鋼体化ED5130 側窓3枚 D16台車→昭和51年(1976年)廃車
南海鉄道 EF1002 大正11年(1922年)日本車両→EF5102→ED5102→昭和29年(1954年)廃車
南海鉄道 EF1003 大正11年(1922年)日本車両→EF5103→ED5103→昭和30年(1955年)廃車
南海鉄道 EF1004 大正11年(1922年)日本車両→EF5104→ED5104→鋼体化ED5131 側窓3枚 D16台車→昭和49年(1974年)廃車
南海鉄道 EF1005 大正12年(1923年)梅鉢鉄工所→EF5105→ED5105 側窓4枚 D16台車→昭和46年(1971年)廃車
南海鉄道 EF1006 大正12年(1923年)梅鉢鉄工所→EF5106→戦災廃車
南海鉄道 EF1007 大正12年(1923年)梅鉢鉄工所→EF5107→ED5107 側窓4枚 D16台車→昭和49年(1974年)廃車
南海鉄道 EF1008 大正12年(1923年)梅鉢鉄工所→EF5108→戦災廃車
南海鉄道 EF1009 大正12年(1923年)梅鉢鉄工所→EF5109→ED5108 側窓4枚 D16台車→昭和46年(1971年)大阪セメント三重国見鉱山2号
南海鉄道 EF1010 大正12年(1923年)梅鉢鉄工所→EF5110→戦災廃車
南海鉄道 EF1011 大正12年(1923年)梅鉢鉄工所→EF5111→ED5111→昭和43年(1968年)廃車
南海鉄道 EF1012 大正12年(1923年)梅鉢鉄工所→EF5112→ED5112→昭和43年(1968年)廃車
南海鉄道 EF1013 大正12年(1923年)梅鉢鉄工所→EF5113→ED5106→昭和46年(1971年)廃車
南海鉄道 EF1014 大正12年(1923年)梅鉢鉄工所→EF5115→ED5109 側窓4枚 ブリル台車→昭和46年(1971年)廃車
南海鉄道 EF1015 大正13年(1924年)梅鉢鉄工所→EF5114→ED5110 側窓4枚 ブリル台車→昭和46年(1971年)廃車
南海鉄道 EF1021 大正15年(1926年)藤永田造船所→EF5116→近鉄デ71 側窓4枚 ブリル台車
南海鉄道 EF1022 大正15年(1926年)藤永田造船所→EF5117→ED5123 側窓4枚 D16台車→昭和46年(1971年)廃車
南海鉄道 EF1023 大正15年(1926年)藤永田造船所→EF5118→戦災廃車
南海鉄道 EF1024 大正15年(1926年)藤永田造船所→EF5119→ED5124 側窓4枚 D16台車→昭和49年(1974年)廃車
南海鉄道 EF5121 昭和11年(1936年)自社製→戦災廃車
南海鉄道 EF5122 昭和11年(1936年)自社製→ED5122 側窓3枚 D16台車→昭和49年(1974年)廃車
南海鉄道 EF5127 昭和18年(1943年)木南車両→ED5127 側窓3枚 D16台車→昭和49年(1974年)廃車
南海鉄道 EF5128 昭和18年(1943年)木南車両→ED5128→昭和49年(1974年)廃車
南海鉄道 EF5129 昭和18年(1943年)木南車両→ED5129→昭和42年(1967年)廃車

という具合ですが、私が分かったのはこの程度で、あとは南海に詳しい人に聞いて下さい。間違いがあったら教えてください・・・。
経歴は複雑ですが、最終的には側窓3枚のタイプと4枚のタイプの2種に、台車もブリル台車と日車D16形の2通りに まとまりました。
自重は35t〜40t 最終的に出力は各車とも75kW/600V×4になったようです。形式の違いは側窓の数とかではなく、どうやらボンネットが ちょっと短めなのが ED5101形のようです。
床下機器配置は、何パターンかあるようです。その他 1両毎に どこかしら差異があります。

また この他に南海には、東芝戦時標準形のED5151形3両と、戦後製南海形といえるED5201形4両がいました。
南海の貨物列車は 電車ダイヤの合間を早く走るため 重連運転が多く、総括制御できます。

南海形の外見の特徴は 運転室の大きな凸形車体ですが、内部はもっと特殊で、運転席が入換用ディーゼル機関車みたいに横向き配置で、しかも山側に1つしかありません。
絵は 左がED5101形ED5107号機、右がED5121形ED5131号機で、昭和43年(1968年)のATS装備〜昭和48年(1973年)の600V→1500V昇圧前の姿です。
どちらも運転席のある山側側面を描きました。左方が和歌山方面になります。
運転席部分の側窓にはヒサシがあります。海側(大阪湾側)には このヒサシはありません。

上信電鉄 デキ形 電気機関車

上信電鉄 デキ形 電気機関車 デキ1 海側(点検扉側) 1980年代 ATS未装備上信電鉄 デキ形 電気機関車 デキ2 海側(平板側) 1980年代 ATS未装備 上信電鉄 デキ形 電気機関車 デキ3 海側(平板側) ATS装備

上信電鉄は、明治30年(1897年)に高崎〜下仁田間に開通した軽便鉄道の上野鉄道が起源です。のちに信州までの連絡を目指して上信電気鉄道に改名後、改軌・電化されて現在に至ります。
貨物は多彩で一般的な貨物のほか、沿線の生糸関連、下仁田からの石灰製品の輸送が多く、また南高崎には秩父セメントのサイロができて セメント製品が到着していました。
なお、上信電鉄の貨物列車は 緩急車の連結が無く、編成最後尾の貨車に尾灯を付けていました。

上信電鉄のデキ形は、 大正13年(1924年)の改軌・電化時に用意された機関車です。
出力は50kW/750V×4で、3両がドイツのシーメンス社から輸入されました。
外見はシーメンス社の凸形機関車に よくある姿ですが、機器室側面の点検扉が片面にしかないのが変わっています。
しかも上信では1号機と2、3号機で車体の向きが異なっていて、1号機は点検扉が海側、2、3号機は点検扉が山側にあります。

内部機器、特にブレーキ関連は 何度か改造されているようです。外見は、時代と共に 主に屋上機器が変化してます。
重連総括運転が可能で、1号機だけ車体が逆といっても、ジャンパー栓や避雷器等の向きは 各車揃えられています。

絵は、左2両が1980年代の姿で、ATSや無線が装備される前の姿。右端が現在の3号機で、各車とも海側を描いています。なお、山側にはジャンパー栓があります。
上信のデキは、平成6年(1994年)のJR直通貨物列車廃止後も 時々工事列車やイベント列車で活躍していて、デキ1とデキ3が動態保存、デキ2が静態保存されています。

西武鉄道 E11形 電気機関車/弘南鉄道 ED33形 電気機関車

西武鉄道 E11形 電気機関車 公式側

西武鉄道E11形は、武蔵野鉄道が大正13年(1924年)に3両輸入したボールドウィン+ウェスチングハウス製の出力74.6kW×4、33t機です。
当初デキカ10形11〜13号機を名乗り、戦後にE11形E11〜E13号機になりました。
当時のウェスチングハウス製の凸形機関車の特徴でボンネットが片サイドに寄っています。また、武蔵野鉄道は通票授受の関係で右側運転台です。
戦後は是政線(多摩川線)で砂利輸送に活躍したものの、西武機の中でも小形で活躍の機会が減り、E13号機が弘南鉄道に、E11号機が越後交通に譲渡され、残ったE12号機は昭和48年(1973年)に廃車されました。現在もE12号機は保存されているようです。

弘南鉄道 ED33形 電気機関車 3号機 非公式側

弘南鉄道 ED33形3号機は、西武E11形13号機を昭和36年(1961年)に貰い受けたもので、弘南線の主力貨物機として活躍し、貨物廃止後は除雪車牽引用として今でも現役のようです。
※キ104号除雪車と連結した姿は、貨車の絵その8を参照して下さい。

ED27形 電気機関車 1号機

ED27形 電気機関車 1号機 公式側

ED27形は、宮城電気鉄道が大正14年(1925年)に輸入したボールドウィン+ウェスチングハウス製の出力48.5kW×4、27t機で、下記の名鉄のデキ370形と同形機です。
製造は大正13年(1924年)で、宮城電気鉄道では当初キ1号を名乗りました。
増備として同形態のキ2号も作られましたが、こちらは日本車両+ウェスチングハウス製で台車が異なるほか、昭和3年(1928年)に箱型車体に改造されました。
のちに両車はED27形に改番され、昭和19年(1944年)に同鉄道は国有化。
国鉄ではED27形から改番される事なく、戦後は宇部線に転じ、昭和36年(1961年)まで活躍しました。

名古屋鉄道 デキ370形 電気機関車

名古屋鉄道 デキ370形 電気機関車 375号機 昭和35〜40年(1960〜1965年) 公式側名古屋鉄道 デキ370形 電気機関車 378号機 昭和35〜40年(1960〜1965年) 非公式側 名古屋鉄道 デキ370形 電気機関車 376号機 昭和40年(1965年)以降 非公式側 名古屋鉄道 デキ370形 電気機関車 379号機 晩年 公式側

名鉄デキ370形は、愛知電気鉄道が導入したボールドウィン+ウェスチングハウス製の電気機関車が元となっています。
当時 米国の機関車メーカーのボールドウィンは、有力な電機品メーカーのウェスチングハウスと組んで、吊るしの商品(電気機関車)を販売していましたが、愛電は大正14年(1925年)に出力48.5kW×4、25tのモデルを2両輸入しました。
この系統の電気機関車は正面から見て運転台が片側に寄っているのが特徴ですが、これはボンネットサイドを通路として運転室正面片側に乗降扉を設けたためです。上から見ると点対称のボンネット配置になります。
ただ、この輸入機の場合は、日本の左側運転台に合わせていて、右側運転台の米国機とはボンネットが逆配置になっています。
その後、電装品はウェスチングハウスながら、車体と台車は日本車両がコピーする形で昭和4年(1929年)までに7両が増備され、計9両の所帯となりました。
なお、輸入組の2両はポール集電器も備えて600Vと1500Vの複電圧仕様だったそうです。

名古屋鉄道に合併後は各線区で広く活躍し、貨物列車の削減で昭和43年(1968年)以降徐々に数を減らしながらも、名鉄で一番両数が多い機関車なうえ使い勝手も良いので重宝されていました。
平成8年(1996年)には379号機が大規模な更新修繕を受けるなど工事列車や入換用に使われ、平成19年(2007年)になって残存機3両が廃車されました。

絵は左から375号機と378号機の昭和35〜40年(1960〜1965年)の姿、376号機の昭和40年(1965年)以降の姿、379号機の更新改造後晩年の姿。
名鉄の機関車は昭和35年(1960年)以降に車体裾と手摺に黄帯が塗装され、さらに昭和40年(1965年)にATSが装備されて、合わせてボンネット前面がゼブラ塗装にされました。
また、平成初期の大規模更新がなされた車両は 青色に変更されています。

ED22形 電気機関車/弘南鉄道 ED22形 電気機関車 1号機/三岐鉄道 ED22形 電気機関車 2号機/松本電鉄 ED30形 電気機関車 1号機

ED22形 電気機関車 1号機 西武鉄道貸与時代 昭和22年(1947年)頃 公式側 ED22形 電気機関車 2号機 昭和30年(1955年)頃 公式側

現在の大糸線南線にあたる信濃鉄道は、大正15年(1926年)の電化に際してボールドウィン+ウェスチングハウス製の出力68kW×4、28t機を3両導入しました。
見ての通り宮城電鉄のED27形や名鉄デキ370形と同形機で、同鉄道では1形1〜3号機を名乗りました。
信濃鉄道は昭和12年(1937年)に国有化され、1形はED22形と改番のうえ国鉄で働くことになりました。

その後の変遷は3両でまちまちで、まず1号機は戦時中に屎尿輸送用として西武鉄道に貸し出されていました。
同機は昭和23年(1948年)に西武に正式譲渡されていますが、昭和22年(1947年)時点で西武の社章と機番の1が書かれている写真があります。
ナンバープレートが戦時供出で獲られて西武内で暫定的に1号機としてペンキ書きされていたのが、そのまま機番となったのでしょうか。

絵は左が原形の大形パンタを装備する1号機の西武鉄道貸与時代。右が国鉄での活躍末期頃の2号機です。

弘南鉄道 ED22形 電気機関車 1号機 公式側

ED22形1号機は、昭和22年(1947年)に西武の物になった途端、近江鉄道に貸与・譲渡され、昭和35年(1960年)には一畑電鉄に転進。そして昭和49年(1974年)に貨物廃止で弘南鉄道が入手しました。
弘南鉄道では、元から貨物輸送が活発でない大鰐線に 除雪用機関車として配置されて、今でもどうやら現役らしいです。
なお、近江鉄道時代に側面に明かり窓を開口しました。
※キ105号 除雪車と連結した姿は、貨車の絵その8を参照して下さい。

三岐鉄道 ED22形 電気機関車 2号機 公式側

ED22形2号機は、昭和31年(1956年)に国鉄を廃車となり、三岐鉄道に嫁いで昭和59年(1984年)まで入換用に活躍しました。
ボンネット脇に移設されたエアタンクが特徴でした。現在静態保存されています。

松本電鉄 ED30形 電気機関車 1号機 昇圧前 公式側

ED22形3号機は戦後、岳南鉄道に貸し出されるなどして昭和31年(1956年)に 国鉄を廃車。西武A-1号機関車となったあと、昭和35年(1960年)に松本電鉄ED30形1号機となりました。
当時、松本電鉄は750V電化だったのでパンタグラフが華奢な感じでした。
ED30形は、貨物列車廃止後も除雪用として残されて、昭和61年(1986年)には1500V化改造がされて生き残り、平成17年(2005年)に廃車になりました。現在でも保存されているようです。

ところで、ED22形の仲間たちは、時代によって装備などがコロコロ変わっています。
私鉄、特に地方私鉄の虎の子の機関車は、あれこれいじくりまわされて、頻繁に外見が変わるのが趣味者にとって悩みの種です。
松本電鉄のED30形は750V仕様で ピンク色の時代を描きました。

蒲原鉄道 ED1号機 電気機関車

蒲原鉄道 ED1号機 電気機関車 公式側

蒲原鉄道ED1号機は、昭和5年(1930年)に日本車両で製作された出力55.96kW×4の25t機で、一見ボールドウィン+ウェスチングハウス製の電気機関車にそっくりですが、内臓は東洋電機製となっています。
蒲原鉄道では昭和59年(1984年)の貨物営業廃止後も、除雪用として平成11年(1999年)年の同線廃止まで活躍しました。現在でも保存されているようです。

西武鉄道 E21形 電気機関車

西武鉄道 21形 電気機関車 青灰色 西武鉄道 E21形 電気機関車 ローズピンク 晩年

西武鉄道 E21形は、昭和2年(1927年)に2両製作された川崎造船所製の電気機関車で、小田急電鉄 デキ1010形、岳南鉄道 ED501と同形で、川崎造船所のカタログモデルといえるもの。
小さいボンネット内は抵抗器と撒砂用砂入れになっています。
武蔵野鉄道デキカ20形21、22として登場し、戦後、西武鉄道20形21、22→21形21、22→E21形21、22となりました。
他社のものとは足回りが少し違い、また右側運転台が特徴です。 出力は142kW/750V×4です。
当初は2個パンタだったようですが、戦時中に中央1基に改造されています。
車体塗装は戦後、茶色→灰色→青灰色→ローズピンクと変化しています。
右絵のものは、ATSや列車無線を装備した晩年の姿。昭和53年(1978年)まで活躍。

小田急電鉄 デキ1010形 電気機関車

小田急電鉄 デキ1010形 電気機関車 小田急電鉄 デキ1010形 電気機関車 晩年

小田急電鉄 デキ1010形は、昭和2年(1927年)に2両製作された川崎造船所製の電気機関車です。
西武鉄道 E21形、岳南鉄道 ED501と同形の40トン機です。 出力は111.9kW/750V×4です。
形式は、小田原急行鉄道(小田急電鉄)1形→東京急行電鉄デキ1010形→小田急電鉄デキ1010形と変化。
小田急の電気機関車の特徴として、形式はデキだけど、車体表記はED1011、ED1012です。
絵は左が 戦後 砂利輸送に精を出していた時代。右が 牽く貨物は少なくなったけど ATSや列車無線を装備した晩年。昭和59年(1984年)まで活躍。

名古屋鉄道 デキ500形/岳南鉄道 ED50形 電気機関車

名古屋鉄道 デキ500形 電気機関車 デキ501

この機関車は元々 上田温泉電軌が昭和3年(1928年)に1両導入した川崎造船所製の電気機関車です。
川崎造船所製の40トン標準モデルで、小田急電鉄 デキ1010形、西武鉄道 E21形と同形で、 出力は小田急と同じく111.9kW/750V×4です。
他社のものと比べると 撒砂用砂入れが台車に移設され、ボンネットの扉が少し大きくなりました。
当初の形式は上田温泉電軌デロ301形で、昭和15年(1940年)に名古屋鉄道に移籍し、デキ501に。
さらに昭和45年(1970年)に岳南鉄道に移籍しED501となりました。

岳南鉄道 ED50形 電気機関車 ED501

外見では、岳南鉄道に移籍後にパンタグラフを増設しています。
また、製造当初はエアタンクが2個ぶら下がっていたのが、いつの間にか1個になっています。
この機関車は現存しますが、岳南鉄道の貨物輸送が廃止されたため、今後が心配です。

近畿日本鉄道 デ51形 電気機関車

近畿日本鉄道 デ51形 電気機関車 デ52 公式側 1970年代初頭 近畿日本鉄道 デ51形 電気機関車 デ51 非公式側 1970年代後半

近鉄デ51形は、吉野鉄道(のちの近鉄吉野線。)が大阪鉄道との直通運転を期に、昭和4年(1929年)に2両増備した川崎造船所製の電気機関車です。
重量48.8t 出力は149kW/750V×4で、当時の私鉄電機としては大形の部類に入ります。
吉野線は勾配が多いため発電ブレーキ備え、また重連総括制御が可能でした。
吉野線沿線は吉野杉の産地で、その木材加工製品の輸送が デ51形の主な仕事でした。

デ51形は外見に大きな特徴があり、車体の4隅を面取りして側面窓を丸窓としたヨーロピアンスタイルとしています。
丸窓は川崎製の機関車で時々採用していますが、船の舷窓が丸いのは船体強度保持のためであるのに対し、機関車のそれは技術的には意味がなく、まったくデザイン上の産物であります。
たしかにデ51形は美しく、吉野鉄道の意気込みと、戦前の好景気が偲ばれます。

戦後は 改造と塗装変更が繰り返されて、最終的に絵のような姿になりました。
重連総括制御関係は早くに撤去され、パンタグラフも1基化されました。
また、元々は台枠端梁も斜めに面取りされていましたが、入換運転の際に操車係が添乗する場所が少ないので、1970年代前半にデ52号に対してデッキの増設がされました。
同時期には 列車無線や 自動列車停止装置(ATS)も装備したようです。それが左絵の姿。
その後、デ52号が昭和50年(1975年)に廃車になると、今度は右絵のように デ51号にデッキが取り付けられ、デ51号は昭和56年(1981年)の貨物輸送廃止、昭和59年(1984年)の廃車まで 吉野線のヌシとして活躍しました。
と、一応51号機(非公式側)と52号機(公式側)を描き分けましたが、結果的に両車の晩年の姿は 差異があまり無いようです。

名古屋鉄道 デキ400形 電気機関車

名古屋鉄道 デキ400形 電気機関車 デキ401 公式側 1970年代名古屋鉄道 デキ400形 電気機関車 デキ402 非公式側 1970年代

名鉄デキ400形は、愛知電気鉄道が昭和5年(1930年)に日本車両で2両製作した40トン機です。
凸形機ばかりの名鉄では珍しい箱形機で、丸みを帯びたそのデザインは 古くからファンに人気があります。前面の砂箱と 屋根のグローブベンチレーターも良い感じです。
登場時は2ヶパンタでしたが、すぐに片方撤去されました。
大きな車体の割には93.3kW×4と 出力が小さく感じますが 名鉄としては高出力な方で、デキ500形、デキ600形と共に“大デキ”として運用されていました。

絵は1970年代のヘッドライト更新前の姿。左がデキ401の公式側。右がデキ402の非公式側。
名鉄の電気機関車はデルタ線で時々向きが変わるのが珍しく、これは他の私鉄には無い特徴でした。
名鉄電機の車体塗装は黒で、昭和35年(1960年)から車体裾とステップ、手摺が黄色に塗られ、昭和40年(1965年)からはボンネット前面 もしくは端梁前面にゼブラ塗装が施されました。
晩年は青に塗られましたが、好みの分かれるところです。

名鉄の貨物列車は昭和59年(1984年)に全廃されましたが、デキ400形は最近まで活躍していました。

東武鉄道 ED5000形 電気機関車

東武鉄道 ED5000形 電気機関車 公式側 東武鉄道 ED5000形 電気機関車 晩年 公式側

東武鉄道 ED5000形は、昭和25・26年(1950・1951年)に 東芝で3両が製作された45t級電気機関車です。
昭和30年(1955年)の改番まではED47形を名乗り、伊勢崎線系統で老蒸気に混ざって活躍していました。
主電動機は戦後製旧形国電と同じMT40系列の142kW/750V×4で、のちに この機関車をベースにして標準形のED5010、ED5060形が配備され、共通運用されました。
また、1960年代後半には 5001号機が 東上線系統に出張して働いています。
この機関車は 車体側面に通風口がありませんが、どうも 主電動機冷却は電車と同じく自己通風式のようです。
142kWの出力からすれば微妙なところで、増備の標準機では 主電動機に風洞が伸びています。

絵は、どちらも公式側で が浅草・池袋方です。
公式側車体裾にはエアータンクがありますが、非公式側には代わりに ブレーキシリンダーがあります。
左絵は1960年代前期頃のすっきりした姿で、当時のナンバープレートの色は黒地の可能性もありますが 保存蒸機を参考に赤く色差しした状態を描きました。
このあと 1960年代中半になると、デッキ廻りに黄色で安全色彩が施されますが、東武電機の黄色ゼブラ模様は、とても似合っていました。
当時の安全塗装は 今にしてみれば効果が疑問のものも見受けられますが、日本全国 業界を問わず盛んにベタベタ塗られており、私鉄電機でもブームとなったようです。

右の絵がいろいろ改造された晩年の姿です。
1980年代ともなると 国鉄貨物の衰退を受けて東武の標準形電気機関車にも余剰が発生し、ED5000形から順に廃車されました。
そのうち 昭和53年(1978年)に廃車の5001号機は、三岐鉄道に譲渡され、現在もED45形8号機として現役です。

東武鉄道 ED5010形 電気機関車

東武鉄道 ED5010形 電気機関車 前期形 公式側東武鉄道 ED5010形 電気機関車 後期形 公式側

東武鉄道 ED5010形 電気機関車 前期形 非公式側東武鉄道 ED5010形 電気機関車 後期形 非公式側

東武鉄道 ED5010形は、蒸気機関車淘汰のために昭和32年(1957年)から量産された日立製の電気機関車です。
貨物輸送の盛んな東武鉄道には、沢山の蒸気機関車が活躍していましたが、その多くが明治時代の古典機関車でした。
戦後も しばらくは その古典蒸機が活躍し、鉄道趣味者を喜ばせていましたが、次第にセメント等の貨物が増加して牽引力不足が露呈し、そもそも機関車が老朽化している事や、動力近代化・無煙化の要請もあり、標準化された電気機関車で一挙に置き換える事になりました。

まずは、セメント輸送のために国鉄の機関車を借りて しのいでいた東上線系統に、ED5010形5011〜5015号機の15両が投入され、坂戸機関区に配備されました。
これがED5010形の前期形で、機関車の性能は従来のED5000形と同じ 出力142kW/750V×4です。

次に 伊勢崎線系統には 東芝製ED5060形と並行して 昭和36年(1961年)からED5010形5016〜5024号機の9両が投入され、杉戸機関区に配備されました。
これが後期形で、エアフィルタ等が改良されています。
なお、東上線貨物の最晩年には 廃車された前期形の代わりに 後期形の5016、5017号機が坂戸機関区に配置されていました。

絵は上段が公式側で左が前期形、右が後期形です。が浅草・池袋方。
東上線では片パンで運転されていたようで、絵でも片方折り畳んでみました。晩年は両方のパンタグラフを上げていたようです。
下段の絵は非公式側で、が浅草・池袋方。

ED5010形は、ED5060形より早く 国鉄貨物の終焉と時を同じく昭和62年(1987年)までに全機廃車されましたが、その台車は三岐鉄道のED45形に生かされています。

東武鉄道 ED5060形/ED5080形 電気機関車

東武鉄道 ED5060形 電気機関車 公式側東武鉄道 ED5060形+ED5080形 電気機関車 公式側 晩年 重連

東武鉄道 ED5060形 電気機関車 非公式側東武鉄道 ED5060形+ED5080形 電気機関車 非公式側 晩年 重連

東武鉄道 ED5060形は、昭和35年(1960年)から制作された東芝製の電気機関車です。
出力は142kW/750V×4で、日立製のED5010形と並行して13両が作られて、すべて伊勢崎線系統の杉戸機関区に配備されました。
日立製ED5010形後期形と同時増備のため、両車の仕様は良く似ています。
また、昭和45年(1970年)には 新東京国際空港公団が成田空港建設の砕石輸送用として ED5060形の総括制御版であるED5080形を3両製作・所有しましたが、これも空港建設後に東武鉄道に移管されています。
東武の伊勢崎線系統は平坦線区が多いですが、ED5080形が当初使われた佐野線は勾配があり、重連が必要になったのでしょう。
昭和46年(1971年)には ED5060形ED5061〜5065号車にも 総括制御化改造が施され、これらはED5080形と見分けがつきにくくなっています。
晩年の伊勢崎線系統 貨物列車は、重連牽引が主流となりますが、これは電車の邪魔をさせないための処置でしょう。

絵は、上下ともED5060形、ED5060形 総括制御仕様、ED5080形の順で、上段が公式側でが浅草方。下段は非公式側でが浅草方。

秩父鉄道 デキ100形 電気機関車
秩父鉄道 デキ100形は、戦後の秩父鉄道主力機関車として数次にわたり増備された日立製の50t機です。

秩父鉄道 デキ100形 電気機関車 デキ101 非公式側 1980年代


まず、昭和26年(1951年)にデキ8号機として、デキ100形のプロトタイプ のちのデキ101号機が製作されました。
モーター出力は160kW/750V×4で、デザインは先行した大井川鉄道E103号機の流れをくんだ日立製機関車の標準的な姿をしています。
当初の塗装は茶色で、のちに白帯が入れられて、さらに1970年代に青色+白帯になりました。また、側面に4個あったエアフィルターは平成になった頃に2個に改造されたようです。

デキ101号機は デキ102号機以降の車よりやや出力が劣るので、主要貨物の1000t石灰石列車牽引の任には付かず、旧形電気機関車と同じ運用で 地味な活躍に終始しました。
国鉄の貨物衰退の影響で 短編成の貨物列車が削減されると 暇を持て余すところでしたが、ちょうど昭和63年(1988年)からC58形蒸気機関車列車のパレオエクスプレスの運行が開始され、その専用補機として活躍するようになりました。
晩年は茶色塗装に戻され、平成18年(2006年)に廃車後も 保管されているようです。

秩父鉄道 デキ100形 電気機関車 デキ102 非公式側 旧塗装 1960年代 秩父鉄道 デキ100形 電気機関車 デキ104 公式側

戦後の復興と共に 鉄道の存在理由の一つであるセメントの需要が増大し、秩父鉄道は標準形機関車を増備していきます。
昭和29年(1954年)から昭和31年(1956年)にかけてはデキ102号機からデキ106号機の5両が製作されました。
これらはデキ101号機をベースとしながらも出力を200kW/750V×4に強化し、全長が長くなっています。
お隣の東武の標準機や三岐のED45形が 出力142kW/750V×4なのに対して 秩父鉄道の機関車は強力ですが、これは最初から重量列車の単機牽引を意図したためです。
東武は高速化の意味もあって 単機牽引が重連牽引に変化していきましたが、山登り(登る方は主に空車ですが・・・。)の秩父鉄道では 元々強力機が必要でしたし、駅の側線も伸ばしにくかったのです。

外見は デキ102号機以降もエアフィルタが4個でしたが 後年2個に改造されています。
なお、デキ102・103号機とデキ104〜106号機では若干 車体デザインが変わりました。
絵は 左が茶色時代の102号機の非公式側。右が104号機の現行仕様公式側です。
秩父電機は 鉱石積み込みホッパーの関係で 基本的に熊谷方(2エンド)を上げた片パンタで走っています。

秩父鉄道 デキ100形 電気機関車 デキ107 公式側 旧塗装 1960年代 秩父鉄道 デキ100形 電気機関車 デキ108 非公式側


デキ107・108号機は元松尾鉱業鉄道のED501・502号機で、同鉄道廃止後の昭和48年(1973年)にデキ100形の仲間入りをしました。
昭和26年(1951年)日立製で、見てのようにデキ101号機とそっくりですが、3ヶ月先輩で、こちらは出力200kW/750V×4と 強力です。
ギア比が若干違いますが、デキ102号機以降と共通運用で働いています。
絵は、左が茶色時代の107号機 公式側。右が108号機の現行 非公式側です。
実は秩父電機の現行塗装は、松尾鉱業鉄道譲りのもので、秩父鉄道が気に入ったらしく デキ500形から秩父電機の新色として採用され、デキ107・108号機も 数年で塗装が復刻されたようです。

秩父鉄道 デキ200形 電気機関車

秩父鉄道 デキ200形 電気機関車 公式側

秩父鉄道デキ200形は、デキ100形の改良形として昭和38年(1963年)に201〜203号機の3両が製作されました。
出力が230kW/750V×4とさらに強力となりましたが、何といっても台車が特徴的で、これはL型軸梁式台車と言います。
この特殊な台車や制御装置の変更で 粘着性能の向上を図りました。重低音の独特な走行音が魅力的です。
しかし結局はメンテナンスが面倒で、線路にも悪影響を与え 失敗作となりました。

秩父鉄道 デキ300形/デキ500形 電気機関車

秩父鉄道 デキ300形 電気機関車 非公式側秩父鉄道 デキ500形 電気機関車 デキ507 非公式側 秩父鉄道 デキ500形 電気機関車 デキ502 公式側

秩父鉄道デキ300形は、デキ200形の変なところを改めた機関車で 昭和42年(1967年)に301〜303号機の3両が製作されました。
出力は230kW/750V×4と同じで、車体も同じで 巨大なブタ鼻の前灯も引き継いでいます。

デキ500形は、昭和48〜55年(1973〜1980年)に501〜507号機の7両が製作されたデキ300形のマイナーチェンジ機で、前灯が小形化され、また 製作年次により若干デザインが変化しています。
絵は、左からデキ300形 非公式側、デキ507号機 非公式側、デキ502号機 公式側です。

三岐鉄道 ED45形 電気機関車

三岐鉄道 ED45形 電気機関車 ED452号機 1970年代 公式側 三岐鉄道 ED45形 電気機関車 ED453号機+ED456号機 公式側三岐鉄道 ED45形 電気機関車 ED455号機 公式側

三岐鉄道 ED45形 電気機関車 ED451号機+ED454号機 非公式側三岐鉄道 ED45形 電気機関車 ED457号機 非公式側

三岐鉄道はセメント輸送を主眼に開業した路線ですが、戦後になると急に輸送量が増えたため、蒸気機関車を淘汰して電気機関車を導入しました。
それが昭和29年(1954年)から五月雨式に導入されたED45形電気機関車です。
1〜7号機は東洋電機製で、6号機までは機械部分を東洋工機が担当し、特に1〜3号機は俗に東洋型と言われる丸っこい車体が特徴です。
7号機は東洋工機が車両製造から撤退した後なので 西武所沢工場が担当しました。
主電動機は東武の標準機と同じくMT40系列の142kW/750V×4ですが、三岐の車両は主電動機送風機を装備していません。
三岐鉄道ではセメント列車が活況なため、昭和44年(1969年)からは重連総括制御化改造がされ、現在も全列車重連牽引で頑張っています。

絵は上段左から1970年代のED452号機 公式側、最近のED453号機+ED456号機 公式側、ED455号機 公式側、ED451号機+ED454号機 非公式側、ED457号機 非公式側です。
パンタを上げている2エンド側が富田方です。
台車は当初1〜6号機が古めかしい板台枠構造、7号機はFS43といふ台車でしたが、東武でED5010形(DTH57台車)やED5060形(DTT54台車)が廃車になると、それらを譲り受けて換装しました。

三岐鉄道 ED45形 電気機関車 ED458号機+ED459号機 公式側


そして 機関車そのものも東武から譲り受けています。
上の絵の左は、元東武ED5000形 ED5001号機、右は元東武ED5060形 ED5070号機で、今は それぞれED458号機、ED459号機となっています。
性能は純正のED45形と共通ですが、三岐鉄道は伝統的に右側運転台なので、導入に当たっては結構改造しています。
三岐鉄道に限らず、地方私鉄の車両は しょっちゅう装備を変更しているので 時代考証が大変ですね。

なお、三岐鉄道では東武ED5080形 ED5081号機 ED5082号機も譲り受けて 三岐ED5081形として活躍しているようです。

相模鉄道 ED10形 電気機関車

相模鉄道 ED10形 電気機関車 ED11号機 公式側+ED12号機 非公式側 昭和50年代相模鉄道 ED10形 電気機関車 ED13号機 公式側+ED14号機 公式側 昭和50年代

相模鉄道 ED10形は、従来 蒸気機関車や電動貨車で賄っていた貨物輸送の改善のために導入された電気機関車です。
ED11号機は昭和26年(1951年)、ED12号機は昭和27年(1952年)、ED13号機は昭和29年(1954年)、ED14号機は昭和40年(1965年)に日本鉄道自動車〜東洋工機で それぞれ製作されています。
東洋形の丸みを持った車体で 外見は似ていますが、各車とも主要機器は寄せ集めの中古品で賄われています。
その後 何度か装備変更し、また 重連総括制御化されるなどして、最終的には仕様が揃えられました。
モーターは戦後製旧形国電と同じMT30ないしMT40で、出力128kW/675V×4です。性能としては東武や三岐の電機と同じといえましょう。

相鉄の電気機関車といえば ペカペカに磨かれて非常に光沢のあるマルーン色なイメージがありますが、どうも そうなったのは後年のようで、残された写真を見ると 一般貨物が沢山あった頃は 艶消しに薄汚れていました。また初期の段階では灰色塗装でした。
絵は左からED11、ED12、ED13、ED14の順。すべて左側が海老名方、右側 横浜方。海老名方のパンタを上げた 片パンで運用していました。ED12号機のみ向きが反転し 海老名方が2エンドなのが特徴です。昭和50年代の仕様で描きました。
相鉄のEDは、相模川の砂利輸送、一般貨物輸送、セメント輸送が次第に終了していく中、米軍厚木基地への航空燃料輸送が平成10年(1998年)に廃止されるまで貨物列車で働き、余生は事業用として平成19年(2007年)まで活躍しました。

西ドイツ国鉄 103形 電気機関車 後期形

西ドイツ国鉄 103形 電気機関車 後期形

世界で一番美しい機関車。

国際特急列車TEEの200km/h牽引用として、1970年(昭和45年)に量産車が誕生した 旅客用交流電気機関車です。

交流 15kV 16 2/3Hz、定格出力 7440kW、最高速度200km/h。
ルーバーが1段の試作機と、量産前期、車体を延長した量産後期の、大きく分けて3つのバリエーションがあります。試作車(103.0形)4両。量産車(103.1形)145両が製造されました。


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