貨車の絵 その16



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タキ4000形 35t積 濃硫酸専用 タンク車

タキ4000形 35t積 濃硫酸専用 タンク車 三井 公式側タキ4000形 35t積 濃硫酸専用 タンク車 東邦 公式側タキ4000形 35t積 濃硫酸専用 タンク車 日産 公式側タキ4000形 35t積 濃硫酸専用 タンク車 三井 公式側タキ4000形 35t積 濃硫酸専用 タンク車 神岡 公式側タキ4000形 35t積 濃硫酸専用 タンク車 カクタス 公式側タキ4000形 35t積 濃硫酸専用 タンク車 蔵町 公式側タキ4000形 35t積 濃硫酸専用 タンク車 伊藤忠 公式側タキ4000形 35t積 濃硫酸専用 タンク車 伊藤忠 公式側タキ4000形 35t積 濃硫酸専用 タンク車 東京 公式側タキ4000形 35t積 濃硫酸専用 タンク車 日鉱 公式側タキ4000形 35t積 濃硫酸専用 タンク車 三谷 公式側タキ4000形 35t積 濃硫酸専用 タンク車 越田 公式側タキ4000形 35t積 濃硫酸専用 タンク車 小名浜 公式側

硫酸(H2SO4)は原油精製の際に脱硫した硫黄(S)や、非鉄金属鉱の製錬によって生じる排気ガス(二硫化硫黄(SO2))の回収によって生産されています。
各種工業の基本的原料ですが、日本においては公害対策で徹底的に回収が行われているので 供給の方が多く、余った分は海外に輸出されています。
硫酸は戦前からタンク車輸送が行われていましたが、やはり戦後に工業が発展したことにより、濃硫酸タンク車もたくさん用意されました。
硫酸というと金属を溶かす水溶液ですが、常温においては ある一定以上に硫酸濃度が高くなると酸化(電離)が起こらなくなります。なので、希硫酸はゴムライニング等で鋼製のタンクを保護する必要がありますが、濃硫酸(一般に濃度90%以上の水溶液。)は剥き出しのタンクで大丈夫なので、濃度が濃いほど輸送に適しています。ただし、タンクをまったく腐食しないわけではないので、ガソリンタンク車などより寿命は短めです。

タキ4000形は、35t積の濃硫酸専用タンク車です。
もともと、戦前の昭和12年(1937年)に12両が製作されたのですが、それは置いといて、ここでは昭和35年(1960年)以降に製作された主力車を描きました。
戦後製はタキ4050号車〜と軽く番代分けされています。341両が製作されました。

タキ5750形 40t積 濃硫酸専用 タンク車

タキ5750形 40t積 濃硫酸専用 タンク車 同和 公式側タキ5750形 40t積 濃硫酸専用 タンク車 寶 公式側タキ5750形 40t積 濃硫酸専用 タンク車 住商 公式側タキ5750形 40t積 濃硫酸専用 タンク車 住商 公式側タキ5750形 40t積 濃硫酸専用 タンク車 東邦 公式側タキ5750形 40t積 濃硫酸専用 タンク車 日鉱 公式側タキ5750形 40t積 濃硫酸専用 タンク車 小名浜 公式側タキ5750形 40t積 濃硫酸専用 タンク車 三谷 公式側タキ5750形 40t積 濃硫酸専用 タンク車 北一 公式側タキ5750形 40t積 濃硫酸専用 タンク車 三井 公式側タキ5750形 40t積 濃硫酸専用 タンク車 神岡 公式側タキ5750形 40t積 濃硫酸専用 タンク車 東京 公式側タキ5750形 40t積 濃硫酸専用 タンク車 伊藤忠 公式側タキ5750形 40t積 濃硫酸専用 タンク車 カクタス 公式側タキ5750形 40t積 濃硫酸専用 タンク車 苫小牧 公式側タキ5750形 40t積 濃硫酸専用 タンク車 伊藤忠 公式側

タキ5750形は濃硫酸で荷重40tを実現した標準設計車で、昭和41年(1966年)から昭和50年(1975年)に掛けて500両の多きが製作されました。
濃硫酸は比重が1.8強あるので、ガソリンタンク車などと比べて小形の車体となりますが、それでも荷重40tを確保するのは大変で、タキ5750形では車体の側フレームを省略するなどして車体を軽量化して対処しました。
タキ5750形は標準車と言っても所有者によって荷役装置廻りが微妙に違ったり、製作メーカーによってドームレスの標準形とドーム付きの汽車製造形が存在し、また基礎ブレーキ装置の差異などもあります。
また、濃硫酸タンク車の所有者は小さな企業も多く、硫酸列車の編成には色々な外見のタンク車が混結されているのが特徴でした。

※ 苦労してたくさん同形式を描いているのは、標準車の同定が難しいからです。
私は研究者ではありませんが、後世のために、なるべく在り来たりの日常の記録を残したいと思っています。
個体毎の変化の多いものを単発で描くと、それを一般と勘違いする人もあろうかと思います。だから、個ではなく群れで雰囲気を再現しているわけです。
もっとも、資料の都合で、晩年の姿が多めなのはご容赦を。楽しめてやれる範囲でやれる事を趣味でやっているだけですので。

試作車とか1号機とか、特殊用途とか。
当時をよく知っている者は、異端ばかりを愛して残したがりますが、後世の者にとってはそれらの情報は却ってノイズとなってしまいます。
もっとも、あらゆる情報は苦労して記憶を残したところで、それを観測した時点で劣化は始まるんですけど、役目を終えてそっと消えてゆく事も美しいし、それを残すために悪あがきするのも、どちらも良いことだと思います。

タキ29300形 39t積 濃硫酸専用 タンク車

タキ29300形 39t積 濃硫酸専用 タンク車 三井 公式側タキ29300形 39t積 濃硫酸専用 タンク車 古河 公式側タキ29300形 39t積 濃硫酸専用 タンク車 古河 非公式側タキ29300形 39t積 濃硫酸専用 タンク車 日陸 公式側タキ29300形 39t積 濃硫酸専用 タンク車 同和 公式側タキ29300形 39t積 濃硫酸専用 タンク車 同和 銀 公式側タキ29300形 39t積 濃硫酸専用 タンク車 同和 銀 非公式側

タキ29300形は、タキ5750形40t積車の後継車両として昭和51年(1976年)に登場した39t積濃硫酸専用タンク車です。
新鋭なのになんで荷重が減ってしまったかというと、化成品タンク車の保安対策強化のために車体側枠を省略したタキ5750形のような構造は新製禁止となってしまい、どうしても自重が増えてしまったためです。
タキ29300形は、平成16年(2004年)まで少しづつ増備され、計62両が作られました。
平成14年(2002年)から製作の増備車は 耐硫酸塩酸露点腐食鋼板を使用して地肌の銀色のタンクになっています。
平成2桁になってからの化成品タンク車増備は異例ですが、次々と濃硫酸のタンク車輸送が廃止になる中、最後まで残った小坂精練所では各地から集めた余剰のタキ5750形を使って輸送を継続していたのですが、それも老朽化してきたため仕方なくタキ29300形を増備したようです。
ただ、その小坂精練所も平成20年(2008年)硫酸製造が廃止になってしまい、最終増備車は4年間の生涯でした。

タキ46000形 38t積 濃硫酸専用 タンク車

タキ46000形 38t積 濃硫酸専用 タンク車 日陸 公式側タキ46000形 38t積 濃硫酸専用 タンク車 日陸 非公式側タキ46000形 38t積 濃硫酸専用 タンク車 秋田 公式側タキ46000形 38t積 濃硫酸専用 タンク車 同和 公式側

タキ46000形は、C重油の需要の減少により余剰となった 比較的経年の新しいタキ45000形35t積 石油類専用車を、濃硫酸用に転用改造したものです。
国鉄末期の昭和60年(1985年)から71両が改造されました。
改造に当たっては下廻りをそのままに上廻りを新製したもので、比重の重い濃硫酸なのでタンクが小さくなった分、荷重は種車の35tから38tに増えましたが タキ29300形の39t積には及びませんでした。

タム7100形 15t積 LPガス専用 タンク車

タム7100形 15t積 LPガス専用 タンク車 ゼネラル 公式側

日本において家庭用燃料に本格的にガスが使われ始めたのは、戦後の昭和28年(1953年)からとされ、それ以前の利用は、千葉、新潟、秋田などの天然ガス自噴地域の特権でした。
つまり、戦後までほとんどの家庭では薪や木炭、練炭、ないし石炭が主燃料で苦労して炊飯していたのですが、石油化学工業の発展とともに、一般家庭へもプロパンガスが急速に普及しました。また、減価な燃料としてタクシーにも使われています。
という訳で、工業用・家庭用にLPガスの大量輸送の需要が生まれたため 昭和35年(1960年)に誕生したのが、タム7100形です。

タム7100形は液化プロパン専用車として104両が製作され、同時期に液化プロピレン専用車のタム7200形が8両、液化ブタン専用車のタム7300形が1両製作されていますが、各車ともすぐにLPガス専用車として種別の整理が行われています。
LPガス(LPG)とは液化石油ガス(リキファイド ペトロリウム ガス)の総称で、実際の製品としては用途に応じてプロパン(C3H8)、プロピレン(C3H6)、ブタン(C4H10)、ブチレン(C4H8)などが適宜混合されたものなので、こっちの呼び方のほうが的を得ています。
常温常圧から、プロパンガスは約8.5気圧(0.86MPa)の圧縮 もしくはマイナス42.2℃で液化し、ブタンガスは約2.1気圧(0.21MPa)の圧縮 もしくはマイナス0.5℃で簡単に液化でき、LPガスは液化すると気体より250分の1に体積を減らせるので、ボンベを利用して効率的に保管・運搬ができます。
製品としては火力や容器の仕様などを勘案して 家庭用にはプロパンが主成分のものを、カセットコンロやライターには、ブタンガスが主成分のものが使われます。工業用としては燃料のほか、製品の原料などとして用途に応じた成分のものが利用されます。

荷役の際は、前回積荷と異なる製品を積む場合はガスの比重差を加味して、前回積荷のガスを次回積荷のガスで追い出してから、液化ガスを積み込みます。
荷降ろしの場合は、気化したガスを充てんしつつ、液化したガスを吸い上げる高圧ガスの荷役で一般的な方法です。つまり、高圧ガスタンク車のタンクは常にガスで満たされています。

LPガス専用車の初期の3形式は積荷の種類によってタンクのサイズがまちまちですが、ガスをできるだけ圧縮(16〜19kg/cm2(1.6〜1.9MPa)程度)して輸送するため 高圧ガス取締法の適用を受け、ボイラー鋼で頑丈にタンクを作りました。
また、保冷のために断熱材で覆うなどしているため自重が重くなり、比重の軽いLPGが積荷なので、こんなに大きな車体でも荷重15tのタムです。
タム7100形の自重は27.6tで積荷よりも重く、そのため運賃計算の際は積車で25トン扱いの割増料金でした。空車回送でも一般タンク車に比べて割高な運賃が掛かります貨物手帳を参照してください。)

タム7100形はタキ25000形等のより大形LPガス専用車が登場すると、昭和42年(1967年)から55両が25t積 液化塩化ビニル専用車のタキ5850形に形式変更されました。
タム7100形の方は昭和52年(1977年)までの活躍ですが、タキ5850形は昭和61年(1986年)まで生き永らえ、さらには一部が台湾に渡り 台湾鉄路管理局P25VT300形として活躍しました。

高圧ガスタンク車には「連結注意」の おまじないが書かれていますが、この手の優しく取扱ってもらいたい貨車には、従来は「突放禁止」の願掛けが書かれていました。
しかし、戦後は重工業の発展で このような貨車の増備が想定され、突放入換が前提で計画を回している国鉄では、輸送所要時間が増えることが懸念されました。
また、「貨車は突放するもの。」という認識は、特に入換現場において徹底されていたので、現場が守りやすいルールに変更する必要があります。
そこで、昭和32年(1957年)に、一部の「突放禁止」貨車の制限をやわらげる目的で、「連結注意」の取扱いが追加されました。
具体的には、「突放禁止」とは、読んで字のごとく突放(連結を外した状態で機関車等で押して減速して、車両を突き放して慣性で転がす方法。)・散転(突放後、下り坂の重力で車両を転がす方法。)をしてはダメという意味で、「連結注意」は、「“事前に”ブレーキ手が乗り込んでスピードコントロールして相手貨車の手前で一旦停止して やんわりと連結できる担保がとれるなら、突放・散転しても良いですよ。」という意味になります。

タサ5400形/タサ5700形 20t積 LPガス専用 タンク車

タサ5400形 20t積 LPガス専用 タンク車 マルヰ岩谷 公式側タサ5700形 20t積 LPガス専用 タンク車 出光 公式側タサ5700形 20t積 LPガス専用 タンク車 日輸 公式側タサ5700形 20t積 LPガス専用 タンク車 日石 公式側タサ5700形 20t積 LPガス専用 タンク車 ゼネラル 公式側

液化プロパン専用車は15t積のタム7100形に続いて、同年(昭和35年(1960年))には20t積のタサ5400形が製作されました。着基地の貯蔵能力の制約がありますが、やはり大きいタンクの方が効率が良いので、こちらは356両の製作です。
また、翌昭和36年(1961年)には、液化プロピレン専用の20t積車のタサ5500形が18両製作されています。
ただ、やはり自重が重いうえ全長も長くなり、積車運賃計算トン数で30トンなのはともかく、ネックは空車返送の運賃で、距離×7.10トンの料金が掛かります。
そこで、タンクの材質をボイラー鋼から高張力鋼に変更して自重を31.5t→26.8tに軽くしたタサ5700形が製作されました。
貨車の製作費は高くなったものの、これで積車の運賃計算トン数が29トン。空車返送の運賃で6.48トンの扱いとなり輸送コストが下がりました。
タサ5700形は昭和38年(1963年)から348両が製作されましたが、外見はタサ5400形とそっくりで、私には見分けがつきません。形式間の違いよりも製作メーカーの個性の方が目立ちます。
タサ5400形は昭和57年(1982年)、タサ5700形は平成2年(1990年)まで活躍しました。

タキ25000形 25t積 LPガス専用 タンク車

タキ25000形 25t積 LPガス専用 タンク車 日輸 公式側

タキ25000形は25t積LPガス専用タンク車として、昭和41年(1966年)から310両が製作されました。
貨車の全長は前世代のタサ5700形と同程度ですが、高張力鋼を高規格のものにしてタンクの耐圧を21.6kg/cm2(2.16MPa)に高めたうえ、断熱材と内部の波除け板を省略することで25t積を実現しました。
1回で運べる荷重が増えたうえ、これで運賃計算トン数30トン、空車返送の運賃計算トン数7.12トンと若干輸送コストが下がりました。

タキ25000形は平成19年(2007年)頃まで活躍したようですが、天然ガス(LNG(CH4、C2H6))が主成分の都市ガスパイプラインが整備されると プロパンガスの需要が減ったこともあり、以降、LPガス専用タンク貨車は製作されていません。

タキ18600形 25t積 液化アンモニア専用 タンク車

タキ18600形 25t積 液化アンモニア専用 タンク車 日産 公式側タキ18600形 25t積 液化アンモニア専用 タンク車 日陸 公式側タキ18600形 25t積 液化アンモニア専用 タンク車 日陸 公式側

アンモニア(NH3)はごく一般的な化学素材で、肥料や合成樹脂などの基本的な原料です。製法も様々。常温常圧では気体で、加圧や冷却で容易に液体(気体の800分の1の体積。)になります。
タキ18600形は昭和45年から128両が製作された、25t積液化アンモニア専用タンク車です。
液化アンモニア専用車としてはタサ4100形、タキ4100形(2代目)に次ぐ形式で、発展の経緯はLPガスタンク車と同じです。
具体的にはタキ4100形(2代目)で実現していた25t積ですが、タキ25000形LPガスタンク車の要領で自重を軽くして運賃を抑えました。
ただしこちらは液化アンモニアが積荷で、LPガスとは特性も比重も違うので、断熱材でタンクを覆っています。
タンクは高圧ガス保安法の容器保安規則により白色に塗られています。

タキ18600形は平成20年(2008年)まで活躍しました。

タキ14700形 30t積 液化酸化エチレン専用 タンク車

タキ14700形 30t積 液化酸化エチレン専用 タンク車 関西化成品 公式側タキ14700形 30t積 液化酸化エチレン専用 タンク車 日輸 公式側タキ14700形 30t積 液化酸化エチレン専用 タンク車 日触 公式側タキ14700形 30t積 液化酸化エチレン専用 タンク車 三菱 公式側

タキ14700形は昭和44年から39両が製作された、30t積液化酸化エチレン専用タンク車です。見ての通り標準的な高圧ガスタンク車で、これと言って特徴はありません。酸化エチレンを冷却して液化したものを運びます。
酸化エチレン(エチレンオキシド(C2H4O))は、原油を精製したナフサから得られ、界面活性剤やポリマーの原料として広く使われるほか、医療用器具の製造の際の殺菌という用途もある一般的な化学製品です。常温で気体で毒性・爆発性があります。
タキ14700形は両数は少ないものの製造期間は長く、最終のタキ14738号車はなんと、平成12年(2000年)製です。
ただ、液化酸化エチレンの輸送は、コキ200形の実用化後に急速にタンクコンテナ化したため、タキ14700形は平成20年(2008年)をもって終了しました。
廃車後は何両かが台湾に渡って活躍したようです。

タキ5450形 25t積 液化塩素専用 タンク車

タキ5450形 25t積 液化塩素専用 タンク車 旭化成 非公式側タキ5450形 25t積 液化塩素専用 タンク車 日本曹達 非公式側タキ5450形 25t積 液化塩素専用 タンク車 関西化成品 公式側タキ5450形 25t積 液化塩素専用 タンク車 日石輸送 公式側タキ5450形 25t積 液化塩素専用 タンク車 日陸 公式側

タキ5450形は液化塩素タンク車の代表形式です。
食塩水(塩化ナトリウム水溶液(NaCL+H2O))を電気分解すると塩素ガス(CL2)と水酸化ナトリウム((NaOH)苛性ソーダ)に分離しますが、この塩素ガスを冷却・加圧して液体にしたものが液化塩素です。液化塩素は水に溶かすと塩酸(HCL)になります。

塩素ガスには毒性があり、ごく初期の毒ガス兵器としても利用されましたが、鮮やかな黄色の気体なので使用がすぐにばれ、簡単に中和できるので脅威にはならなかった模様です。
ありふれた素材で、多くの化学製品の原料となりますが、保管中に漏れると危険なので、塩素ガスが入っていることを明確化するために、その容器は黄色に塗ることが定められています。

タキ5450形は25t積 液化塩素(充填圧力15.6kg/cm2)専用タンク車で、昭和39年(1964年)から平成6年(1994年)に掛けて691両が製作されました。
高圧ガスタンク車は高圧ガス取締法(高圧ガス保安法)により容器の検査が厳しく、タンクの検査のタイミングで廃車にすることも多くいために タキ5450形をタキ5450形で更新する例も見られたようです。

荷役方法は、気化したガスを充てんしつつ、液化したガスを吸い上げる高圧ガスの荷役で一般的な方法です。
事故った時の中和剤として、苛性ソーダのタンクと石灰を収めた箱を備えています。
タキ5450形は標準化設計車ですが、製造時期により大きく4ロット(初期の手ブレーキ仕様、側ブレーキ仕様、後期の手ブレーキ仕様、ブレーキ制御方法を変更した平成車。)に分かれます。絵は両数の多かった後期手ブレーキ仕様を描きました。
タキ5450形は平成になっても増備されるなど長いこと活躍しましたが、コキ200形の成功により液化塩素の輸送はタンクコンテナ化が進み、平成21年(2009年)まで活躍したようです。

タキ2600形 30t積 苛性ソーダ液専用 タンク車

タキ2600形 30t積 苛性ソーダ液専用 タンク車 日本曹達 公式側タキ2600形 30t積 苛性ソーダ液専用 タンク車 関東電化 公式側タキ2600形 30t積 苛性ソーダ液専用 タンク車 電化 公式側

苛性ソーダ(水酸化ナトリウム(NaOH))は、食塩水の電気分解で得られる塩素ガスと対になる素材です。
ごく基本的な化学原材料なので、タンク車輸送も盛んでした。
ただし、液化塩素タンク車と比べて カセイソーダ車の標準化には失敗し、30t積のタキ400形、タキ1400形、タキ1650形、タキ2600形、タキ2800形、35t積のタキ4100形、タキ4200形、タキ7750形、タキ8150形、タキ27700形などがあり、しかも同じ形式でも製造ロットにより仕様が変わるなど、全容は掴めません。
絵はそのなかでも多数派のタキ2600形を描きました。タキ2600形は昭和28〜41年(1953〜1966年)に522両が製作されました。

まあ、貨車形式が増えるのには理由があって、デリケートな製品なので所有者によって貨車仕様の好みが分かれたのが原因です。
水酸化ナトリウムは強アルカリ性で タンク体の成分が溶け出すので、タキ2600形には製品の純度保持のためにタンク内にゴムライニングが施されています。
また、凍結防止のために断熱材が巻かれています。
荷役は、空気で加圧して積荷を押し出す方法で、そのための液出し管と空気管がタンクに沿って伸びています。

タキ2600形は平成20年(2008年)頃まで活躍したようです。

味タム

味タム 前期車 公式側味タム 後期車 公式側味タム 後期車 非公式側

味タムとは、味の素がアミノ酸(味液)輸送用に多量に所有した15t積タンク車の総称で、貨車形式としては塩酸専用のタム5000形に属します。

調味料の原料であるグルタミン酸等のアミノ酸は、サトウキビ等を発酵させる製法や、大豆等を塩酸で分解する製法があります。
味の素では しょうゆ工場向けにアミノ酸をタンク車輸送していました。
川崎大師の工場から塩浜操車場まで京急の3線軌条区間を夜な夜な運行するという特殊な輸送ルートでした。

アミノ酸の輸送には塩酸輸送車が適していたので、塩酸専用車のタム5000形が増備され、アミノ酸専用(車体表記はまちまち。)として活躍していました。
他形式のタンク車が大形化してゆく中、2軸車というと輸送効率が悪そうですが、納品ロットとして荷重15tがちょうど良いサイズだったのでしょう。
平成9年(1997年)まで まとまった両数の味タムが活躍していました。

味タムは鳥籠のようなドーム周りの手摺が特徴的で、人目を引きましたが、これは後年の改造によるものです。
絵では比較的後期の姿を描きました。

タキ29000形 35t積 濃硝酸専用 タンク車

タキ29000形 35t積 濃硝酸専用 タンク車 日輸 公式側 昭和時代タキ29000形 35t積 濃硝酸専用 タンク車 日輸 公式側 平成時代

硝酸(HNO3)はアンモニア(NH3)を酸化することで得られる物質で、一般に30%以下の濃度の水溶液を希硝酸、60%以上の濃度の水溶液を濃硝酸と言うのですが、鉄道輸送の専用種別では濃度86%未満の水溶液を希硝酸(乙種硝酸)、86%以上の濃度の水溶液を濃硝酸(甲種硝酸)としています。
濃硝酸はとっても金属を溶かしやすい液体で、また、金属に触れることで変質もしてしまうため、かつては陶器に入れて運んでいたそうです。
しかし金やプラチナと共に純アルミならば腐食しないので、戦前に純アルミ製のタンク車が開発されました。
ただ、アルミ製タンク車はどうしても強度が弱くて、大きな衝撃に耐えられないので、「突放禁止」扱いとされていました。
その後、やっぱり入換作業が大変なので、昭和32年(1957年)に濃硝酸タンク車も「連結注意」扱いに格上げされました。
「連結注意」については、タム7100形の項も参照してください。
なお、一般のヤード作業では打ち当て速度を7km/h±2km/hと想定していて、入換に制約のない普通の貨車は9km/hの打当て連結に耐えるように作られています。

話は変わって、硝酸は光や熱に弱くて、簡単に二酸化窒素(NO2)・酸素(O2)・水(H2O)に分解してしまいます。
濃硝酸タンク車にとっては熱が大敵で、輸送にまごまごしていると、時間経過とともに気化したガスでタンク内圧が高くなって安全弁が吹いてしまいます。
安全弁が吹くということは、タンクは破裂しないもののガスと共に危険な薬品が漏れるという事故であり、そんな事が昭和48年(1973年)に連続したため、従来の濃硝酸・甲種硝酸タンク車は気化ガスの逃げ場所である空容積が足りないということで、昭和49年(1974年)8月以降、30t車は27tに、35t車は32t積に減トンの憂き目に会いました。

話は戻って、自動化ヤードの武蔵野操車場が昭和49年(1974年)に開業します。
この操車場は構内作業や情報処理の完全無人化を夢見た無人化ヤードなので、事前に制動掛が乗り込む前提で突放・散転する「連結注意」扱いの貨車は困ってしまいました。無人(になる予定。)なので、通常の機関車での入換もできないのです。
特に、純アルミ製タンク車は打ち当て速度4km/h以下の設計なので、危ないです。
しかたなく、純アルミ製タンク車は「武蔵野操通過禁止」という扱いを受けて、武蔵野操車場での仕訳線での入換の禁止という運用制限が掛けられてしまいました。

以上の減トンにユーザーは困り、武蔵野操通過禁止に国鉄自身が困ります。
荷主からは35t車を導入したいという要望があり、取り急ぎ昭和50年(1975年)にどうにか形にしたのが、タキ29000形35t車です。前置きが長い。

タキ29000形の設計にあたっては、まず15%の空容積確保ということで、タンクを大きくしました。
また、ステンレス製の遮熱板を設けて、積荷の気化を抑えて 輸送日数10日程度なら安全弁を吹かずに済むようにしました。
車体強度については、次述のアルミクラッド材の研究が間に合わなかったので、純アルミのタンクの板厚を増して、連結器の緩衝器を強化することで、打当許容速度7km/h以下を確保できました。
これによって、「連結注意」の表記は消えなかったものの、武蔵野操車場(ハンプ以外)に入ることが許されました。
※ちなみに、その後、昭和53年(1978年)に武蔵野操でエンドストッパという車両減速装置が実用化されると、武蔵野操通過禁止車も武蔵野操車場に入線可となり、「武蔵野操通過禁止」は「純アルミ」の表記に書き換えられました。
「純アルミ」表記は、車両構造上「連結注意」よりも さらに入換に注意しなければならない車両を意味するものなので、タキ29000形に書かれたらエラーとなります。単純に「アルミ車体だから。」という意味ではなく、とても紛らわしい表記なので、当時の現場は混乱したことでしょう。


タキ29000形は次項のタキ29100形開発までの繋ぎとして生まれました。
17両の製作に留まりましたが、意外と画期的な車両だったと言えるでしょう。平成21年(2009年)まで活躍しました。

※ヤード自動化のあれこれについては、伊勢崎操車場に少し書いています。。。

タキ29100形 35t積 濃硝酸専用 タンク車

タキ29100形 35t積 濃硝酸専用 タンク車 宇部 公式側タキ29100形 35t積 濃硝酸専用 タンク車 三菱 公式側タキ29100形 35t積 濃硝酸専用 タンク車 旭化成 公式側タキ29100形 35t積 濃硝酸専用 タンク車 日陸 公式側

タキ29100形は、武蔵野操車場対策のために生まれた濃硝酸タンク車と言っても過言ではないでしょう。
先に記したように、タキ29000形の開発の段階では、武蔵野操車場の無人化ヤードには能力不足でした。
もっと車体強度を上げたいということで、国鉄が目を付けたのがアルミクラッド材です。
クラッド材というのは性状の異なる金属を重ねて圧延して原子間結合させた素材です。
タンク車に使われたのは荷に接する内側を純アルミとし、外側をアルミ合金として強度を持たせたものです。
当時は航空機の燃料タンクや、地上タンクに使われている程度の新素材だったので、鉄道車両への利用の可否判断に時間を要しました。
アルミクラッドタンクを作る技術はもうあったので、研究項目は、硝酸輸送において純アルミ部は何ミリ必要か?とか、鉄道特有の走行振動に耐えられるか?とかです。

そして昭和51年(1976年)に誕生したのが、タキ29100形35t積濃硝酸タンク車です。航空機メーカーでもある川崎重工と三菱重工製です。
国鉄時代は21両が誕生しました。
まあ、肝心の操車場が8年後の昭和59年(1984年)には廃止されちゃうんですけど、タンク車の設計の自由度が増しました。

タキ29100形 35t積 濃硝酸専用 タンク車 日産 公式側

タキ29100形の増備はJR化後もありました。
平成5年(1993年)製のタキ29121〜29126号車の6両で、もはや突放入換も無くなろうかという時代。やはり航空機のノウハウのある富士重工の製作で、昭和のものとは全くデザインが違います。

タキ29100形もタキ29000形と共に平成21年(2009年)に廃車されて、濃硝酸輸送はコンテナ化されました。

タキ9200形 45t積 アスファルト専用 タンク車

タキ9200形 45t積 アスファルト専用 タンク車 2次車 シェル 公式側タキ9200形 45t積 アスファルト専用 タンク車 5次車 共同 公式側

舗装道路に欠かせないアスファルトですが、アスファルト専用タンク車としては昭和36年(1961年)に30t積のタキ8900形が6両製作されました。
タキ9200形はその運用実績を加味して 荷重45tの3軸ボギー車として設計されたもので、昭和36年(1961年)から昭和46年(1971年)にかけて26両が製作されました。

アスファルト専用タンク車の特徴は何といっても煙突を備えていることです。
タンク内には太い焔管(炎管)が通っていて、ここに接続したオイルバーナーの炎がタンク内を巡廻して、常温では粘性の高いアスファルトをゆるくして荷役をしやすくするわけです。
なので荷降ろし時には煙突から煙が出ます。

さらに一部の車両(絵は描いていませんが・・・。)は、特殊なブローンアスファルトの輸送に対応しましたが、ブローンアスファルトは常温で固体なため、荷役の際には火炎の熱では物足りず、熱量の高い熱した油を過熱管に流すオイルヒーティング式を併用しました。
たとえば、雪を解かすのにバーナーで炙るか、お湯をかけるかの違いです。オイルヒーティング式併用車は、後年に焔管を撤去したようです。

また、先代のタキ8900形と同じく、タキ9200形も重油輸送に代用する事を考慮して、タンク下部に重油用の吐出管が付いてたり、付いてなかったり、はたまた撤去されたりしています。
実際に重油輸送に転用された実績があるのかはともかく、タンク底に吐出管があったほうがタンク洗浄の際には便利だったと思います。

タキ9200形は昭和63年(1988年)に廃車となりました。

タキ11700形 45t積 アスファルト専用 タンク車

タキ11700形 45t積 アスファルト専用 タンク車 共同 公式側

タキ11700形はタキ9200形45t積アスファルト専用車の改良版として、昭和43、45年(1968、1970年)に4両が製作されました。
タンク形状を異径胴とすることで車体を短縮し、タンク材質を高級なものにして板厚を薄くすることにより、自重を0.7t軽量化しました。
これにより、空車返送の運賃計算トン数が7.43トン→7.20トン扱いになり、輸送費が安くなりました。
ただし、製作費が高くつきすぎたのか、昭和46年(1971年)の増備はタキ9200形に戻っています。

ブレーキ装置はタキ9200形の後期車も含め、なぜか旧型客車のものと同系のもの(AVブレーキ)を採用していて、貨車としては特殊です。
クジラのような外観が特徴のタキ11700形は、タキ9200形とともに昭和63年(1988年)に廃車となりました。

タキ9250形 30t積 アセトアルデヒド専用 タンク車

タキ9250形 30t積 アセトアルデヒド専用 タンク車 ダイセル 公式側 タキ9250形 30t積 アセトアルデヒド専用 タンク車 電化 非公式側

アセトアルデヒド(C2H4O)は、飲酒の際に肝臓の代謝によってアルコール(エタノール(C2H6O))が酸化して生成されるもので、さらに肝臓で、酢酸(CH3COOH)に分解されますが、アセトアルデヒドの分解には時間(個人差あり。)が掛かり、しかも毒性がありますので二日酔いの原因物質とされています。

タキ9250形は昭和42年(1967年)から22両が製作された30t積アセトアルデヒド専用タンク車です。
JR化後も生き残り、平成16年(2004年)まで活躍しました。

ミ10形 13t積 水槽車

ミ10形 13t積 水槽車 公式側

蒸気機関車や気動車を運転するには多量の水(ボイラー水・ラジエーター水)が必要ですが、地域によっては良質な水(軟水)が得られない所があります。
また、単純に飲み水などが得られない駅などもありました。そこで その運搬のために活躍するのが水槽車です。
明治期には炭鉱地域の九州と北海道で見られた程度ですが、全国に路線が伸びた大正末期には 旧形機関車の炭水車を改造した水槽車が続々と登場しました。
具体的には鉄道国有化時点で20両に満たなかったものが、昭和3年(1928年)の貨車称号改正時点で10t積車を中心に140両くらい配備されています。
もっとも、そんなに水の需要があるならば、大需要家の各機関区・工場では必死になって自前の水源を開発するのは当たり前の事で、水槽車は主に飲料水運搬用として残り、徐々に数を減らしました。

絵に描いたミ10形は、大正9年(1920年)から量産された形式で、当時の形式はミ110形。
まだ この頃は中古の炭水車が出回っていなかったからか、九州や山陽で働いていた2軸石炭車を改造しました。
古い石炭車の下廻りに 14立方メートルの角型水槽を載せたものですが、工場や種車によって細部にバラエティーがあります。
なお、よく似た車両に蒸気式操重車の水槽車がありますが、そちらは別設計です。

ミ110形は109両が作られ、昭和3年(1928年)の改番でミ10形になりました。結構 飛び番があります。
さらに戦後、水槽の槽の字が難しいと表音主義者の言葉狩りに遭って、水槽車は水運車に変更されました。
ミ10形は、昭和30年年代末まで活躍しました。


貨車の絵 その1は こちら  貨車の絵 その2は こちら  貨車の絵 その3は こちら  貨車の絵 その4は こちら  貨車の絵 その5は こちら  貨車の絵 その6は こちら  貨車の絵 その7は こちら  貨車の絵 その8は こちら  貨車の絵 その9は こちら  貨車の絵 その10は こちら  貨車の絵 その11は こちら  貨車の絵 その12は こちら  貨車の絵 その13は こちら  貨車の絵 その14は こちら  貨車の絵 その15は こちら  積荷の絵その1は こちら  積荷の絵その2は こちら  蒸気機関車の絵は こちら  ディーゼル機関車の絵は こちら  電気機関車の絵は こちら  小形鉄道車両の絵 その1は こちら  小形鉄道車両の絵 その2は こちら

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