貨車の絵 その15



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ワキ9000形 30t積 冷延鉄鋼コイル輸送用有蓋車

ワキ9000形 30t積 冷延鉄鋼コイル輸送用有蓋車 公式側 水色 ワキ9000形 30t積 冷延鉄鋼コイル輸送用有蓋車 公式側 茶色

ワキ9000形は、冷間圧延鉄鋼コイルを輸送するために試作された 物資別適合貨車(国鉄が荷主に合わせて用意した専用貨車。)です。
そのハイカラな外見から新しめな印象を受けますが、実は鉄鋼関連の物資別適合貨車の中では開発が早く、昭和41年(1966年)に2両が製造されました。

冷延鉄鋼コイルの荷役方法は、クレーンにより吊り上げる方法と ラムリフトにより横から荷役する方法がありますが、水濡れを嫌う積荷ですので屋根付きが望ましく、前年に登場したワキ5000形をベースに屋根を開閉式としました。
屋根の開閉は貨物船の船倉ハッチのような感じで、手回しハンドルによりパカッっと開きます。
積荷(コイル1個あたり3〜15t)に合わせ車長はワキ5000形より短く、また、屋根開閉機構やコイル受台で重たくなったので、屋根と側扉をアルミ合金製として軽量化を図っています。
と、理想的な性能の車両に仕上がったのですが、いかんせん高価な車両となり、以降の鉄鋼コイル輸送用貨車は無蓋車からの改造が主流となりました。

塗装は 登場時は水色(青22号)に屋根はアルミ地肌にクリアー塗装で荷主にアピールしましたが、昭和53年(1978年)にコスト削減のために塗装方が変更されて パレット有蓋車と同じ とび色2号になってしまいました。
運用区間は変遷しつつJR化後も生き残り、平成7年(1995年)まで活躍しました。
なお、台車はワキ5000形やコキ5500形と同じくTR63系ですが、少数形式で忘れられたのかブレーキ装置の改良は最後までされなかったようです。

トキ21000形 33t積 鉄鋼輸送用無蓋車

トキ21000形 33t積 鉄鋼輸送用無蓋車 公式側 鉄鋼コイル積

トキ21000形は、ステンレスインゴットと、その加工品のステンレス鋼板コイルを 往復輸送するために生まれた物資別適合貨車です。
主に荷造り養生の経費負担を減らすことを目的として、トキ15000形を種車に、昭和42年(1967年)に24両が改造されました。
改造内容は、鉄鋼コイルの受台を床上に設置したもので、インゴットはその隙間に積載する事で荷崩れ防止としています。なので空車ではトキ15000形と見分けがつきません。
後年は普通の鉄鋼コイル輸送用に転用されたようです。

トキ21100形 35t積 鉄鋼コイル輸送用無蓋車(大宮工形)

トキ21100形 35t積 鉄鋼コイル輸送用無蓋車(大宮工形) 公式側 熱間圧延鉄鋼コイル積トキ21100形 35t積 鉄鋼コイル輸送用無蓋車(大宮工形) 非公式側 熱間圧延鉄鋼コイル積トキ21100形 35t積 鉄鋼コイル輸送用無蓋車(大宮工形) 公式側 熱間圧延鉄鋼コイル積トキ21100形 35t積 鉄鋼コイル輸送用無蓋車(大宮工形) 公式側 鉄鋼コイル積トキ21100形 35t積 鉄鋼コイル輸送用無蓋車(大宮工形) 公式側 空車トキ21100形 35t積 鉄鋼コイル輸送用無蓋車(大宮工形) 公式側 空車

トキ21100形は、主に熱間圧延鋼板コイルの輸送専用車として、トキ15000形を改造した物資別適合貨車です。
昭和42、44年(1967、1969年)に大宮工場で40両、昭和43年(1968年)に広島工場で4両が改造されました。

大宮工場製のトキ21100形は、塩浜操車場から籠原まで 日本鋼管の製品を輸送するために用意されました。
改造内容は、トキ21000形と同様に鉄鋼コイルの受台を床上にしたもので、こちらは隙間にインゴットを積む事も無いので、アオリ戸を撤去して、その分荷重を稼いでいます。なので、実質チキ車です。
昭和44年(1969年)には増備車と 後述のトキ21500形を用意する事で、専用列車の「コイル鋼管号」を運転するようになり、国鉄末期まで活躍しました。
なお、写真を見ると機関車近くの車両に シートを掛けて運用しているものがありますが、電気機関車のパンタグラフからの銅粉汚損を防止するためかもしれません。

トラ43500形 17t積 冷延鋼板輸送用無蓋車

トラ43500形 17t積 冷延鋼板輸送用無蓋車 公式側

冷延鋼板は、熱間圧延鋼板を冷間圧延で仕上げ加工した板厚の薄い鉄鋼板で、そのまま自動車や白物家電の外板に使用するため、雨水で腐食しないようにしなければなりません。
かといって1梱包で2t程度の重量があり、フォークリフトによる他 クレーン荷役ができる事が望まれるため、有蓋車では運びにくいです。
という訳で鉄道輸送では無蓋車が使用されたわけですが、荷の転動防止や防水養生(竹で骨組み組んでシートを掛けた。)が面倒で 経費も掛かります。
「このままではトラック輸送や船舶輸送に逃げられてしまう。」と中国支社の営業から言われたので、国鉄はトラ45000形を改造して冷延鋼板用の物資別適合貨車を開発する事にしました。

トラ43500形は トラ45000形の床上に荷受台を設置し、4分割のスライド式屋根を設けたもので、昭和43年(1968年)に11両が改造されました。
スライド屋根は鉄鋼コイルの輸送も考慮して やや高めの設計となっています。

トラ43500形は 輸送単位が小ロットであったため、国鉄のヤード全廃を乗り越えられず、昭和58年(1983年)に廃車となりました。

トキ21500形 33t積 冷延鉄鋼コイル輸送用無蓋車

トキ21500形 33t積 冷延鉄鋼コイル輸送用無蓋車 初期車 公式側トキ21500形 33t積 冷延鉄鋼コイル輸送用無蓋車 中期車 公式側 トキ21500形 33t積 冷延鉄鋼コイル輸送用無蓋車 後期車 公式側 トキ21500形 33t積 冷延鉄鋼コイル輸送用無蓋車 後期車 非公式側

冷延鉄鋼コイルは、冷間圧延で製造した鉄鋼板を、コイル状に丸めたものです。
この輸送用として昭和41年(1966年)にワキ9000形が開発されましたが、高く付いたため減価版として製作されたのがトキ21500形です。

トキ15000形を改造して、昭和43〜45年(1968〜1970年)に31両が製造されました。
改造内容は、熱間圧延コイル輸送用のトキ21100形と同じく コイル受台を床上に設置して、ちょうどトラ43500形も開発中であったため 似たような4分割のスライド式カバーで防水を図りました。
ただ、防水は完璧ではなかったようで、後年はコイルをシートで養生するなどして雨漏れ対策をしていたようです。

種車が古いながらも 3両がJR貨物に継承されて、平成20年(2008年)まで活躍しました。

トキ22000形 32t積 超大形板ガラス輸送用無蓋車

トキ22000形 32t積 超大形板ガラス輸送用無蓋車 公式側 積車トキ22000形 32t積 超大形板ガラス輸送用無蓋車 非公式側 空車

大形板ガラス輸送用の専用車としては、昭和42年(1967年)にワム80000形581000番代(貨車の絵 その1を参照。)が誕生していますが、高層ビル等に使用する超大形板ガラスを輸送するために生まれたのが トキ22000形です。
昭和43年(1968年)に2両が改造されました。
改造種車のトキ15000形の車体を延長し、最大 約7.6m×約3m 厚さ17mmの板ガラスを輸送すべく、長さ8m×幅0.5m×深さ0.54mの落とし込み部を2列設けました。実質的には落とし込み式大物車です。
落とし込み部に合わせて 板ガラスの梱包木枠を支える骨組みを立ち上げています。この骨組みは積荷に合わせて高さ方向に伸縮します。
ブレーキ装置は2列の落とし込み部の間の床上に移動させました。おそらく種車のものを90°立てて使用していると思われます。

積荷は破損しやすい物なので 連結器の緩衝装置を大形化していますが、特に「突放禁止」のおまじないは掛けられませんでした。5年後には増備形式のトキ80000形私有貨車が製作されているので、少なくとも それまでは問題なく運用できていたのでしょう。
なお、トキ80000形の方は積荷の破損事故が絶えなかったようです。

トキ21200形 30t積 鉄鋼コイル輸送用無蓋車

トキ21200形 30t積 鉄鋼コイル輸送用無蓋車 公式側 鉄鋼コイル積

屋根無しの無蓋車で冷延鋼板を輸送する場合は、シートで厳重に雨水防水する必要があります。
トキ21200形は 鉄鋼コイル輸送用の無蓋車ですが、熱間圧延鋼板コイルの他に、冷間圧延鋼板コイルの輸送も簡単に行えるように目論見ました。
トキ21200形は、トキ21000形をベースに、トラックの幌車のような骨組みを9本設置する事で、シート掛けを楽にしようとしました。
ただ、荷役の際に幌枠は邪魔なので、普段は中間7本の骨組みを 外していました。
トキ21200形は、昭和44年(1969年)にトキ15000形から10両が改造されました。

トキ21300形 35t積 アルミシートスラブ輸送用無蓋車

トキ21300形 35t積 アルミシートスラブ輸送用無蓋車 公式側 アルミコイル積

トキ21300形は、アルミ製品の輸送用の物資別適合貨車として、昭和44年(1969年)にトキ15000形を改造して7両が生まれました。
積荷はアルミ薄板をコイル状に巻いたものや、アルミ平厚板で、アルミ薄板コイルを積んだ姿はトキ21000形と同じ様に見えます。
しかしこちらは コイル受台を無蓋車に常設する方式ではなく、コイルや平厚板のパレットを無蓋車に積載緊締する方式で、種車のトキ15000形との違いは、パレットの緊締金具とその収納箱(床下)しかありません。わざわざ形式変更する必要もなかったと思いますが・・・。
活躍は短期間に終わりました。

トキ21400形 34t積 鉄鋼コイル輸送用無蓋車

トキ21400形 34t積 鉄鋼コイル輸送用無蓋車 公式側 鉄鋼コイル積トキ21400形 34t積 鉄鋼コイル輸送用無蓋車 公式側 空車

トキ21400形はトキ21100形(広島工形)の増備車として、昭和45年(1970年)にトキ15000形から8両が改造されました。
トキ21100形との違いは、いろんなサイズの鉄鋼コイルをたくさん積めるように欲張った点で、コイル受台を一部複列にしたり、可動式にしたりしました。

トキ23000形 35t積 厚鋼板輸送用無蓋車

トキ23000形 35t積 厚鋼板輸送用無蓋車 公式側

トキ23000形は、厚鋼板輸送用の物資別適合貨車として、トキ25000形の床上に積荷の固定装置を装備したもので、昭和45年(1970年)に45両が改造されました。
外見はトキ25000形と まったく見分けがつきません。
この程度の改造なら わざわざ形式を変更する必要もなさそうですが、荷重が種車から1t減となったうえ、厚鋼板輸送の需要が見込まれ 全国に分散して常備駅配備されたため、配車上分かりやすくする必要があって新形式を起こしたのでしょう。
なお、残された写真を見ると、鉄鋼コイル輸送に代用した車両もあったようです。

トキ23600形 35t積 亜鉛鉱輸送用無蓋車

トキ23600形 35t積 亜鉛鉱輸送用無蓋車 空車 公式側トキ23600形 35t積 亜鉛鉱輸送用無蓋車 積車 非公式側

トキ23600形は、秋田県の小坂鉱山で産出する亜鉛鉱を 臨海地区に輸送する専用車として、トキ15000形を改造した物資別適合貨車です。昭和46年(1971年)に19両、昭和50年(1975年)に9両の合わせて28両が改造されました。
従来、小坂鉱山からの鉱石輸送は無蓋車が使用され、昭和46年(1971年)時点では約110両のトキ25000形が専属で配備されていたのですが、積荷の亜鉛鉱石は“含水微粉精鉱”という細かい砂と水が混ざったもので、輸送中の振動で流動化してアオリ戸の隙間からの漏洩損失が酷かったそうです。
おおらかな時代ならそれでも良かったのでしょうが、高価な鉱石を線路際に撒き捨てているという状況で、新たな精錬所の建設を機に 国鉄は専用車を用意する事としました。

積荷の感じは、砂浜や河原の湿気った砂をイメージして頂ければ分かりやすいです。比重が高いのでアオリ戸の高さはそれほど必要なく、荷役はバケットクレーンによります。
なので、改造内容はシンプル且つ大胆で、トキ15000形のアオリ戸を低くして閉鎖し、耐候性鋼板で内張りしてプール状にしました。掃除用に排水管も装備。

残念ながら積荷の影響で腐食が早かったようで、また、荷役の効率も悪かったのでしょう。昭和50年代中頃までの短い活躍でした。

トキ23900形 36t積 亜鉛塊輸送用無蓋車

トキ23900形 36t積 亜鉛塊輸送用無蓋車 前期車 公式側トキ23900形 36t積 亜鉛塊輸送用無蓋車 後期車 非公式側

トキ23900形は、亜鉛インゴット輸送用としてトキ25000形の初期車を改造して生まれた 物資別適合貨車です。
昭和54〜56年(1979〜1981年)に30両が改造されました。

亜鉛インゴットは炉等で溶融して使用されますが、その際 水分が付着していると撥ねて危険です。
従来の無蓋車での輸送では、防水のために念入りなシート掛けが必要でした。

そこで、トキ23900形ではスライド式屋根を装備する事で、手間のかかる養生作業の簡略化を図りました。
スライド屋根は4分割で、35度に傾斜した三角屋根です。防水に関してはトキ21500形よりも進化しているようです。
また、結露防止のために床下に通風管が備わっています。

トキ23900形は JRに全車が継承され、平成7年(1995年)まで活躍しました。
なお、この形式に関しては「トワイライトゾ〜ンMANUAL 11」が詳しいです。

ク5000形 車運車

ク5000形 車運車 公式側 積車ク5000形 車運車 公式側 空車

ク5000形 車運車 2色迷彩 公式側 空車ク5000形 車運車 後期車 トリコロールカラー 公式側 空車

鉄道による自動車輸送は自動車黎明期から行われていて、当時は道路網整備が不十分で、自動車自体の性能も長距離や峠越え等は難しく、途中給油も困難だった事によります。
自動車は無蓋車や長物車に積まれましたが、主にクレーンを使った吊り上げ荷役で、輸送中に動かないように材木やワイヤーでしっかり固定する必要がありました。
ト1形 無蓋車 開扉 パトカー荷役
戦後、日本の自動車産業が盛り上がりましたが、道路網の整備も着々と進んでいたので、新製車は道路輸送が多くなりました。
しかし、一般家庭に自家用車を普及させるに至り、自動車メーカーは 大量輸送の観点から鉄道輸送に注目し、さまざまな車運車を私有貨車として製作しました。
ただ、それら 雑多な私有車運車は ぎっちり積むために 荷役がめんどくさく、各社の特定車種専用に作られているので 自動車のモデルチェンジの際には改造が必要であるなど、ちょっと効率的とは言えないものでした。

1960年代。そんな状況を見ていた国鉄は、欧米の自動車運搬車を参考に、各メーカー供用の自動車運搬車を自動車各社に提案しました。
それが昭和41年(1966年)に試作されたク9000形車運車で、すぐにク5000形に改番されて量産されました。

貨車の構造は2段に自動車を積む枠状のもので、車端から自動車を自走させて積みこみ、突放入換禁止扱いとして自動車の固定を簡便なものにしています。
同時に、駅側の施設として 自動車積み込み用のスロープも何種か開発されました。
自動車は軽いので なるべく荷重を稼ぐために ク5000形は長大な車体となり、1900cc級大型自動車8台、1500cc級普通自動車10台、360cc級軽自動車なら12台積めます。ただそれでも荷重は12tに留まります。
自動車輸送時は 電気機関車から飛来する錆で自動車が汚れるのを防ぐため、編成端の数両は必ず自動車にシートをかぶせて保護しました。
床下の大きな箱が自動車用シート入れで、運ぶ自動車型式毎に専用のシート(50種類以上)を使うので、そのシートの運用は やっかいだったようです。

当時の国鉄は、物資別輸送用の貨車を開発して 新たな輸送需要を生み出す事に積極的でしたが、ク5000形は特に成功し、932両も製作されました。
通常、物資別輸送用貨車は片道空荷になりますが、ク5000形の場合は輸送区間を工夫して、行き帰りで違う自動車メーカーの車を運ぶ事にしました。
ク5000形は自動車専用急行貨物列車「アロー号」として長大編成を組み、最盛期の昭和47年(1972年)には25本が運転されました。
特に岡多線の北野桝塚駅は この輸送のために作られたトヨタ自動車専用駅で、ずらりと何本も並んだク5000形の編成は壮観でした。

しかし、ここまで。
労働組合による一般市民を無視したストライキ運休の多発や、我田引鉄の赤字政治路線の建設費肩代わりによる強引な運賃値上げにより、国鉄の信用は失墜。
昭和48年(1973年)から減便に次ぐ減便で、多くのク5000形は急激に余剰となり、駅の側線で色あせた無残な姿をさらしたのでした。
そして、昭和60年(1985年)には ついに輸送が消滅してしまいました。

しかし、翌 昭和61年(1986年)には日産による宇都宮〜横浜間の「ニッサン号」1本だけが復活し、JR化後も平成8年(1996年)まで活躍しました。
JR貨物に引き継がれたク5000形は、鉄道貨物のイメージアップの宣伝のために塗装変更が行われ、赤青の2色塗りを経て 日産のコーポレートカラーに似た 赤青白のトリコロール3色塗りになりました。

日本の新製自動車 鉄道輸送は、ストライキや国鉄の運賃値上げが無ければ もっと続いたはずで、そうなれば欧米のように全周カバー付きの新形車とかも生まれていた事でしょう。
なお、ク5000形の台車は セキ8000形石炭車、クム80000形ピギーバック車運車に流用されました。

シキ40形 大物車

シキ40形 大物車 公式側+輪状工業部品

シキ40形は戦前に作られた30t積大物車の決定版で、昭和4年(1929年)〜昭和20年(1945年)に22両が製作されました。
ポピュラーな弓形梁式大物車で、各種の嵩高貨物や重量貨物を運びました。
全廃は昭和57年(1982年)と、大物車(優秀なやつ。)は長寿が多いです。

シキ550形 大物車

シキ550形 大物車 550号車 黄帯塗装前 公式側 EF16 24号機車体 積載 シキ550形 大物車 552号車 公式側 トランス積シキ550形 大物車 555号車 公式側 トランス積 シキ550形 大物車 559号車 JR化後 公式側 トランス(運搬容器入り)積

シキ550形は昭和36年(1961年)から12両が製作された国鉄所有の50t積大物車です。
タキ50000形で開発されたTR78形3軸台車を使う事で、前任のシキ60形に比べ低床面(ていしょうめん)の高さが低く・長くなり使い勝手が大幅に向上しました。
時は流れ 昭和の末になると道路(含む法律)の整備も進み、2桁トンクラスの積荷は全行程トラック輸送が多くなって、需要が漸減。
多くの小形大物車が淘汰される中、両数もまとまっていて使いやすいシキ550形はJR化の際に12両全車が引き継がれて、徐々に両数を減らしながらも平成27年(2015年)まで活躍しました。

絵は、左からヨンサントウ前の黄帯が引かれる前、真ん中二つは国鉄時代、左端が晩年です。製造時期や後天的改造で手摺の仕様がまちまちです。
積荷は左3つは「RM LIBRARY 91」に掲載されているもので、左端は水上区所属のEF16 24号機の車体。屋根の水タンク撤去改造のための回送でしょうか?

他の絵の積荷はトランスですが三者三様。
基本的にトランスは分解したくないものなので、なるべく完成した状態での運搬が理想です。
しかし輸送限界もあるため 碍子等がはみ出す場合は、外して輸送されます。
何でも鉄道で運んでいた時代は小形のトランスの輸送も多く、碍子付きの姿も良く見られました。
また、トランスに限らず背が高い積荷の場合、特に交流電化で架線と積荷の距離が近い区間を走る時などは、地絡防止のため上部に絶縁シートを被せます。それが輸送認可の条件です。

右端絵はJR化後の晩年の姿で、積荷は分解されたトランスを「変圧器輸送用タンク」という容器に収めて運んでいる姿。
大型の三相変圧器を一相毎に分割して輸送して 現地組み立てするという北芝電機の特許だそう。
なので、この容器を使う場合は3重連 もしくは3回に分けてシキ車が走ります。

シキ600形 大物車

シキ600形 大物車 公式側

シキ600形大物車は、富士電機が昭和35年(1960年)に日本車両で製作した240t積 吊掛式(シュナーベル式)大物車です。
シュナーベル式とは、積荷に強度を持たせて、分割した貨車車体で挟み込んで吊掛けて、車両の一部として機能させながら貨物を運ぶ方法です。
日本では戦後の昭和20年代末に 貨物固定治具の形で登場し、工業の発展と共に重電気機器メーカーの私有貨車として 各種形式が作られてきました。
特殊な貨車だけに試行錯誤が重ねられましたが、シキ600形は それら吊掛式大物車の1つの完成版と言えます。
足廻りは多台車方式として空車75km/h・積車45km/hの走行性能を確保し、車体はシンプルなガーダー構造になりました。
シキ600は 平成14年(2002年)に廃車になりましたが、現在も工場構内に保管されているようです。

シキ610形 大物車

シキ610形 大物車 613号車 B1梁 公式側

シキ610形 大物車 611号車 B1梁 公式側 トランス積み

シキ610形 大物車 614号車 B2梁 公式側

シキ610形大物車は、見てのようにシキ600形のマイナーチェンジ版の日本車両製 240t積 吊掛式大物車で、まず、東芝が昭和37年(1962年)に610号車を製作しました。

この頃までは、重電メーカーが自社のトランス等を運ぶために自前で大物車を所有していましたが、そのような大型貨物は頻繁にあるわけではないので、運用効率が極めて悪いのが難点でした。
そこで、大物車を物流会社が所有して使いまわす事になり、昭和46〜51年(1971〜76年)に 日本通運の所有で シキ611〜614号車が製作されました。
ただ、重電機メーカー毎にトランスの固定方法が異なっていたため、吊掛梁は東芝・日立・富士電機・その他用のB1梁と三菱電機用のB2梁が用意されました。
B1梁の場合は、シキ600形と同じく荷重240t。B2の場合は235tです。
といっても、年中そんな巨大な貨物を運んでいる訳ではなく、特に最近は大物車の廃車が進んだため、貨車運用の都合から小柄な荷を運ぶ事も増えています。

ところで、シキ610形は沢山作られましたが、実は蒸気機関車 並みに個体差があります。
それは外見には出ない癖ですが、ここまで巨体だと どうしても誤差が出るのです。
たとえば、シキ600/610形は近代的な多台車方式ですが、それでもブレーキ廻りが実に複雑な構成になっていて 調整に職人技が必要で、車両毎に個体差もあるので、「シキ何号車の何位ブレーキ棒の標準長さは何mm」といちいちマニュアル化しておかないと、整備もおぼつかない位です。
絵は上から613号車 空車。611号車 B1梁 積車。614号車 B2梁 空車。611号車の積荷はピン間10940mmの実運用上限界の長さのトランスで、上部には架線絶縁用のシートが被っています。
道路や港の整備、産業構造の変化等で 鉄道での特大貨物輸送自体は減少しています。大物車も廃車が続き、シキ610形は611号車B1のみが現役です。

吊掛式大物車 荷降ろし風景

特大貨物を走らせる事前準備として、貨車をメンテナンスしてやる必要があります。
大物車は休んでいる事が多いので、軸受等に不具合が出ている場合もありますし、巨体なので1回の輸送毎に各部寸法が狂っているので、それを直してやります。

吊掛式大物車は重電機器メーカーで貨物を積み込みますが、特大貨物なので輸送限界・建築限界をはみ出さないで、ちゃんと積付けられているか輸送検査が重要です。
各部のミリ単位の寸法測定が必要ですが、それは貨車に積載後に 構内を行ったり来たり引き回して、積荷が馴染んでから行います。
特にシュナーベルの構造上 高さ寸法の管理が重要です。
吊掛式大物車の積荷の下面(低床面)とレール上面との隙間は150mm以上必要ですが、かといって上げ過ぎると今度は上が支障しますし 重心も高くなってしまいます。事前に下調べして計算された図面通りになって無いとダメです。
積荷の高さの調整は、シュナーベル(吊掛梁)と積荷が上部で接している部分(圧着部)で行い、受圧板という板厚毎に色分けされた鉄板を抜き差しして調整します。
合計の板厚が厚くなるほど、下部の連結ピンを支点に 積荷がせり上がります。
受圧板の調整を間違うと、巨大な荷重で 吊掛梁を歪めてしまいますので、注意が必要です。
ブレーキ配管は積荷で分断されるので、仮設の配管を積荷脇に設置します。

輸送の際には 検査員添乗用の緩急車が連結されます。検査員は 荷がホームとかにぶつからないか監視したり、途中駅停車中に軸受が発熱していないか見て回るのが仕事です。ただ、最近は緩急車の手配が付かないで機関車添乗だったり、旅客会社の都合で 途中駅で降りられなくなったりしています。

シキ610形 大物車 610号車 公式側 晩年 荷降ろし風景


上絵は 着駅でのトランス荷降ろし風景(シキ610号車)。荷役は架線の無い引き込み線で行うのがほとんどですが、場合によっては 本線途中での荷降ろしもあります。
とにかく、最速で線路上から荷をどかし、貨車を走らせられるように復元する事が求められます。道路輸送の準備は後回しです。
絵の状況は積荷の下にコロとソリを設置し終わって、ジャッキを降ろしているところです。絵では省略しましたが、この時点で横引き用のワイヤーが積荷のピン穴にセットされています。
分割されたシュナーベルはそのままではつんのめってしまうため、貨車に内蔵のシュナーベルジャッキで受け、チェーンブロックで左右振れ止めが施してあります。連結ピンは、合体に備えてピン穴の高さにぶら下げておきます。

ソ80形 操重車

脱線事故が起こると、その事故復旧には一般に油圧ジャッキが投入されますが、クレーン車が用意できれば はるかに効率よく手早く作業ができます。
ただ、クレーン車は維持コスト、もしくはレンタル代が高いため、軽度の脱線には投入されず、転覆事故や特別に早期復旧が要請されてる場合に渋々投入されるものです。
クレーン車が無い場合は、人海戦術で枕木をひたすら積み上げて、手動のジャッキで何とかしてました。

鉄道クレーン車を国鉄では操重車と呼び、操重車の中でも事故復旧用のものは 昭和22年(1947年)時点の勢力で、吊り上げ能力65tのソ20形、ソ30形が計8両と ささやかなものでした。
戦後になると、主に客貨車の脱線復旧を想定して 吊り上げ能力15tのソ100形が増備されましたが、昭和30年代に重大事故が相次ぎ、輸送量が増えている中で事故の早期復旧のために、国鉄は100〜200km間隔で大形・小形操重車を配備する計画を立てました。

ソ80形 操重車 ソ88号車 公式側 東京南鉄道管理局 新鶴見機関区常備 最大仰角69度作業時

オエ61形 救援車 74号車(一般用救援車) 非公式側+オエ61形 救援車 10号車(操重車用救援車) 非公式側+ソ80形 操重車 ソ96号車 公式側+チキ6000形 長物車 チキ6111号車 操重車控車 公式側 高崎鉄道管理局 高崎貨車区常備

ワム80000形 有蓋車 ワム287639号車 非公式側+ソ80形 操重車 ソ94号車 非公式側+チキ6000形 長物車 チキ6116号車 操重車控車 非公式側 JR東日本 新潟支社 長岡運転所常備

ソ80形は、昭和32年(1957年)から製作のディーゼル式65t操重車です。
初期車4両はディーゼル電気式で、電動機で稼働します。クレーンの構造などは蒸気式のソ30形のコンセプトを受け継いでいます。
昭和38年(1963年)から製作の中期車14両は、ディーゼル油圧式となり、油圧モーターで稼働します。昭和44〜46年(1969〜1971年)製作の後期車3両は、構造が簡素化されました。
という風に、限られた予算で年1.5両のペースで細々と増備されたため、両数の多めな中期車にしても、1両毎に細部が違います。

絵は中期車で、ソ80形の完成形と言えます。
フックの巻き上げ機構は、初期車は能力の違う主巻と補巻の2組でしたが、2つもフックがぶら下がっていると双方が干渉して作業しにくいです。
中期車からは 油圧駆動とすることで巻き上げ速度を切り替え可能とし、1組で済むようになりました。ここら辺は当時の土建機械の発達の恩恵を受けています。

上段の絵がブームを69°(半径5m)まで上げた最大荷重65tの状態ですが、この時はフックを下げると連結器が支障する場合があるので、自連を端梁ごと水平180°折り畳めます。
ブームを一番寝かせた場合(半径10m)の扱い荷重は18tで、先端の補助フックは15tの能力です。
荷重65tというと、自重100tクラスの機関車の復旧では心配と思われるかもしれませんが、実際の脱線復旧では片側が接地した状態=半分の自重で行われ、車体と台車を分離する場合もあるので、扱い荷重65tは必要十分の能力と言えます。

油圧モーターにより 自力で軌道上を移動できますが、これは鉄道車両で言うところの「自走」というより、クレーン用語の「走行」といったニュアンスの方が正しいです。あくまで現場の小移動にしか使えません。
転倒防止として4隅にアウトリガーを備えるほか、レールを掴むクランプも備えています。過去の出動事例等を見ると、アウトリガーを出さないで作業する場合もあったようです。

事故復旧用操重車が出動する際は、クレーンのブームを受ける操重車控車の他に、操重車用救援車と汎用救援車の2両が必要で、その他 破損車両部品を運ぶ貨車などが連結されました。
常備区所での留置時も、控車+操重車+救援車×2の組み合わせで待機して出動に備えていました。
中段絵の高崎貨車区仕様がその状態で、救援客車のオエ61形10号車が操重車用、オエ61形74号車が汎用救援車となります。この組成順は複線区間での隣接線復旧を想定したものと思われます。事故の状況によっては並べ替えが発生します。

操重車用救援車には操重車用のワイヤーやアウトリガー用の枕木などが積まれ、汎用救援車には油圧ジャッキや各種枕木、各種工具、作業員待機設備等がありました。受け持ち線区により対象車両が違うので、各区所独自の工夫で若干内容が違います。
例えば、「〇〇形が事故った時は、このチェーンブロック掛けと、このバネ殺しを使う。」というような各区所独自のノウハウ・手作り治具を用意していました。もっとも、作業効率を上げるがための専用治具類ですので、どんな車両が脱線しても汎用救援車が1両いれば何とかなります(何とかします。)。
救援客車は荷物車が種車で、枕木とかの重量物は取り降ろしやすいように、床下にその収納箱を増設したりしました。復旧器材は皆重量物ですので、車内にクレーンを用意するケースも多かったようです。
また、荷物ドア前に設置する仮設階段も用意されているのが常です。そうじゃないと地面から客車まで上がるだけで大変で、仕事になりません。
操重車の晩年には、復旧要員は自動車で別同移動も多くなりましたので、下段絵のように操重車用救援車は有蓋車で代用する場合もありました。

操重車控車には長物車ないし無蓋車が使用されました。
操重車控車の長物車の上には玉掛け用具の吊り天秤が載っていますが、フックとの重量バランスをとるため 通常はクレーンから離れたところに置いておき、使う時に控車上に引かれたレールの上を移動させます。
一見すると、操重車自身の車体が大きいので 操重車内にも何か積めると錯覚しますが、操重車の車内はぎっちり機械が詰まっていて、わずかに操縦席の小さなスペースがあるというのが実情です。ある区では無線機1つ積むのに大変苦労したとの記録も残されています。だいたい、車内に入るのも何とかよじ登っての一苦労です。

ところで、脱線事故復旧に何より沢山必要なのが枕木です。
普通の在来線用枕木の寸法は 厚さ140mm×幅200mm×長さ2100mmですが、事故復旧に用いられる枕木は、あらかじめ使いやすいサイズにカットして揃えられた寸法のものが何本も用意されていて、厚い枕木から順に井型に積み上げていってジャッキやアウトリガー、または車体等を受けます。
なるべく土台を高くして、ジャッキやアウトリガーのピストンを出す長さが短くなるようにします。微調整に使用する板材・木っ端や、隙間に刺す矢羽根板も各種取り揃えていました。これは現代でも同様です。

国鉄時代は脱線事故がしょっちゅうありましたが、さすがに操重車が出動する例はまれでした。しかし、操重車配備区所では月次検査でしっかりメンテナンスして事故に備えていました。
また、いざという時のために操重車の運用ノウハウは 近隣各局区で勉強し合って共有化されていました。

戦後の操重車の車体塗装は当初 灰緑色で、ヨンサントウで65km/h制限車の黄色帯を巻き、国鉄末期には視認性の良い黄色に変更されたものが多いいです。黄色に塗り替えられた中でも関東地区のものは黄帯の代わりに黒帯を巻きました。

90式24cm列車加農砲 運行姿勢

90式24cm列車加農砲 公式側 運行姿勢90式24cm列車加農砲 公式側 運行姿勢

90式24cm列車加農砲 公式側 運行風景

90式24cm列車加農砲 射撃姿勢

90式24cm列車加農砲 公式側 射撃姿勢90式24cm列車加農砲 公式側 射撃姿勢(装填準備)

90式24cm列車加農砲 装填風景

90式24cm列車加農砲 公式側 装填風景

90式24cm列車加農砲 射撃姿勢 仰角45度

90式24cm列車加農砲 公式側 射撃姿勢 仰角45度

90式24cm列車加農砲 動力車・弾薬車

90式24cm列車加農砲 動力車90式24cm列車加農砲 弾薬車

列車砲とは、重い大口径砲を陸上で運ぶ手段として鉄道車両に大砲を積載・一体化したものです。
口径10cm台の砲を鉄道車両に積載する場合も多々ありましたが、そちらは通常の牽引式野砲を ただ載せただけであり、また 射程も短く、敵の反撃を考慮する必要があるので装甲を施し、装甲列車と呼ばれています。
装甲列車は占領地域など敵が神出鬼没なところで機動力を生かした活躍をし、対して列車砲は、前線の後方に どっしり構えて、アウトレンジ攻撃をするためのものです。
列車砲は、敵の反撃圏外からの運用となるので装甲は無く、陣地変換もそれほど急がなくても良いです。要塞砲などに使います。


さて、本題の90式24cm列車砲です。

この車両は日本陸軍が沿岸要塞のための移動備砲に使うため、研究用にフランスのシュナイダー社から輸入した物です。
構想は大正13年(1924年)から始まり、発注は大正14年(1925年)、完成は昭和3年(1928年)で、日本に到着したのは昭和4年(1929年)です。

砲は51口径240mm砲で、列車砲としては機動力を考慮した使い勝手の良いサイズ。狭軌の国鉄車両限界内に収めるためにも、このクラスが限度だったと思われます。
沿岸要塞に使用するためには4門ないし3門で1組とし、1門あたりの射撃要員は将校含めて26名です。※当然 他部隊の協力のもと 後方支援に多数の人員が必要。
弓形梁式の車体に載った砲は360度旋回射撃可能で、線路を円形に敷設する必要がなくて便利です。
輸送時には重量バランスを考慮して砲架を後方に移動して、2.5度の仰角をかけて固定しておきます。
射撃体勢にするには 砲床(コンクリート製の台)に支柱を伸ばして車体を固定します。砲床は枕木方向用とレール方向用の2種類があり、ココという場所にあらかじめ軌道の下に埋設しておきます。
この射撃陣地構築には約2日掛り、砲の射撃陣地侵入は10分、撤収は5分。つまり射撃陣地は先に計算して設定しておき、必要時以外は砲を要塞の車庫の殻に収めとくわけです。
ただ、ベトン(コンクリート)砲床では機動性に欠けるため、大陸に渡った際には 木製の砲床が開発されています。

最大発射速度は毎分1発、最大仰角50度にするのに14.5秒。砲後部に7発が準備されています。
最大射程は50km。この数値なら余裕で敵戦艦をアウトレンジ攻撃できます。しかし、それの場合の砲身の寿命は100発で尽きてしまうので、37km位の射程に抑えて大事に使います。
ちなみに、試験のために輸入された本砲は射撃試験だけで83発撃ってしまい、その後やっとの思いで砲身内管(※大砲は砲身が二重になっている。)1本分の予算を獲得したとの事。その後、大陸に渡った時点で何発分の寿命があったのでしょう?
この列車砲は、千葉県の富津射場に車庫等を整備して射撃試験をしていましたが、大事に仕舞っている期間もかなりあったようです。
長期保管時は台車軸受に負荷が掛ると良くないので、匡梁(荷受梁)を材木で組んだ馬に載せ台車を分離していました。
なお、試験を繰り返すうちに、手スリや配管などが微妙に変化しています。※ちなみに、公式図面ではブレーキ配管が間違って描かれているものもあります。
また、昭和16年(1941年)に この砲を国産化量産する計画も立てられ、1式24cm列車加農砲の名で3門製作する予定でしたが、実現していません。

砲を動かす電力と圧搾空気は 動力車から供給され、この動力車は砲の小移動用牽引車の役目も担っています。
動力車の製作は昭和3年(1928年)汽車会社+芝浦製作所。車体は同時期のワム20000形有蓋車と同じ作りで、下廻りは前年に製作されたAB10形蓄電池機関車との共通点もあります。
“動力車”という名前から機関車と勘違いされる傾向にありますが、機関車と呼ぶほど能力は無く、最高速度は16km/h、列車砲牽引時8km/hで、実態は電源車+アントといった性格のものです。
ガソリン発電機を積んで230Vを列車砲に給電し、もしくは移動のためのモーターを駆動します。
動力車は射撃時に砲から少し離れるので、500m分のケーブルを巻いたリールが車内にあります。
運転室は前後にありますが、ケーブル繰り出し口の関係で 砲に正対する側は基本的に決まっています。

昭和6年(1931年)には弾薬車も用意されましたが、これもただ単に弾薬を運ぶものではなく、砲に給弾する揚弾装置を備える いわゆる砲側弾薬車です。
砲と弾薬車は射撃時も繋がっており、7発撃ち終わったら砲架を定位置に戻し、弾薬車屋根上からレールを渡して給弾します。
装薬は車内前後のロッカーにしまわれており、人力で砲まで運びます。
下廻りは ワム21000形有蓋車等と同じ1段リンク式。 整備を考慮してかブレーキシリンダーは未装備で、なぜか側ブレーキが2つあります。
上廻りは いかにも軍用といういでたちで、表記類は鉄道省の貨車に準じています。

動力車・弾薬車共に、国内の広軌鉄道計画の名残で一般貨車と同じ長軸を使っているので、改軌は簡単です。
塗装に関しては 動力車・弾薬車は一般貨車に まぎれさせるために 黒だと確信しています。
砲の方も 写真を見ると黒っぽく、大物車に化ける事を想定していたのかもしれません。
写真が存在しないので不明ですが、大陸に渡ってからは現地で迷彩塗装が施された事でしょう。

この砲の一番の晴れ舞台は、到着して間もない昭和4年(1929年)9月に行われた走行試験ではないでしょうか?
房総線を一周するこの試験の模様は 新聞で写真付き報道されています(トワイライトゾ〜ンMANUAL10参照)。
新聞には走行試験の詳細が書かれており、列車砲は新兵器ではあっても その存在は秘密ではなかった事がわかります。
残された何枚かの写真を分析すると、このときの編成は
C50 50号機+ワフ600形?+ワム1形?+動力車+砲車+控車(形式不明)+ナロフ11230形?+ナロ10700形?+オハフ34000形?のようです。
軍や鉄道省のお偉方が乗るために 2等車が用意されたようです。
↓ 参考に描いてみました。実際は控車に人が鈴なりになり、ワフから砲車まで測定用?のケーブルが這っています。写真に残されたものと機関車が逆向きですが、区間によって進行方向が変わるので、これでも良いでしょう。

90式24cm列車加農砲 房総一周試験列車 なにぶん資料が少なく不明な点が多いいため、雰囲気だけを味わってください。

一通り沿岸要塞砲としての試験が終わると 大陸で使う欲が出てきたようで、昭和13年(1938年)に広軌用台車(標準軌1435mm用台車)が製作されていますが、90式列車砲は元々狭軌用に最適化された設計なので、かなり無理して標準軌用台車を履かせています。
そして昭和16年(1941年)に、満州のソ連国境に送られました。
ソ連の侵攻の際には部隊移動のため分解されており、そのまま部隊もろとも行方不明になってしまいました・・・。

列車砲は第二次大戦前半までの兵器と言え、航空機が発達すると良いマトでしかなく、以後はミサイルの時代となります。
90式列車砲についての写真や図面は「グランドパワー誌 2009年11月号」の記事が大変参考になります。


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