貨車の絵 その14



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このページの絵は特記以外1ドット50mmで描いています。


貨車の絵 その1は こちら  貨車の絵 その2は こちら  貨車の絵 その3は こちら  貨車の絵 その4は こちら  貨車の絵 その5は こちら  貨車の絵 その6は こちら  貨車の絵 その7は こちら  貨車の絵 その8は こちら  貨車の絵 その9は こちら  貨車の絵 その10は こちら  貨車の絵 その11は こちら  貨車の絵 その12は こちら  貨車の絵 その13は こちら  貨車の絵 その15は こちら  貨車の絵 その16は こちら  積荷の絵その1は こちら  積荷の絵その2は こちら  蒸気機関車の絵は こちら  ディーゼル機関車の絵は こちら  電気機関車の絵は こちら  小形鉄道車両の絵 その1は こちら  小形鉄道車両の絵 その2は こちら

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近代化が進むと、セメントの需要が高まりました。
セメントの輸送は 有蓋車や無蓋車にバラ積みすればセメント袋よりも効率的に大量輸送できますが、荷役が大変で、無蓋車の場合はシートをしっかり掛けないと濡損の心配があります。
そこでホッパ車の出番ですが、自重落下式の荷役方法だと、粉ものの場合は摩擦力が大きいので 相当ホッパーの傾斜角をきつくしなければならず、あまり積めない貨車になってしまいます。
すばやく荷降ろしするために、バイブレーターで振動を与える方法もありますが あまりうまくいかず、アメリカで画期的なエアスライド装置が開発されました。
これは、粉体である積荷を荷降ろしするのに 底面からまんべんなく圧搾空気を吹き付ける事により 積荷を流動化して荷降ろしするための装置です。セメントの場合はホッパー底面の角度を8度前後の緩斜面とする事ができます。
日本では昭和29年(1954年)からエアスライド装置が採用され始めました。

ホキ5500形 50t積 セメントホッパ車

ホキ5500形 50t積 セメントホッパ車  住友 公式側

ホキ5500形は昭和36年(1961年)に登場した50t積のセメントホッパ車です。
前年に開発されたタキ50000形ガソリンタンク車と同じ手法で3軸ボギー台車のTR78形を使用し、それまで35t積が限界だったセメント車の大形化を成し遂げました。
ただ、いかんせん大きすぎて使い勝手が悪かったのか、製作数は4両にとどまりました。
とは言うものの、ホキ5500形は昭和57年(1982年)までちゃんと活躍しました。

タキ1900形/タキ19000形 40t積 セメントタンク車

タキ1900形 40t積 セメントタンク車 住友 公式側タキ1900形 40t積 セメントタンク車 三井 公式側タキ1900形 40t積 セメントタンク車 住友 公式側タキ19000形 40t積 セメントタンク車 大阪 公式側タキ1900形 40t積 セメントタンク車 小野田 公式側タキ1900形 40t積 セメントタンク車 東北開発 公式側タキ1900形 40t積 セメントタンク車 三菱 公式側タキ1900形 40t積 セメントタンク車 セメントターミナル 公式側タキ1900形 40t積 セメントタンク車 電化 公式側タキ1900形 40t積 セメントタンク車 太平洋 公式側タキ1900形 40t積 セメントタンク車 日立 公式側タキ1900形 40t積 セメントタンク車 明星 公式側タキ1900形 40t積 セメントタンク車 日本 非公式側タキ1900形 40t積 セメントタンク車 チチブ 公式側タキ1900形 40t積 セメントタンク車 チチブ 非公式側

タキ1900形は、タキ7300形 35t積車の後継として昭和39年(1964年)に川崎重工で開発された 40t積 エアスライド式セメントタンク車です。
同じ40t積セメント車の日本車両・東洋工機のホキ5700形や 富士重工のタキ12200形との競争ののち、最終的には各社ともタキ1900形の製作に移行しますが、これは国鉄の貨車標準化の意向が働いたためのようです。

なお、日立製作所はタキ1900形の設計を変更し、耐候性高張力鋼を一部に使うなどして軽量化を図り、運賃計算上タキ1900形と区別するためにタキ19000形と名乗って、昭和42年(1967年)から186両製作しています。
タキ19000形は見た目はタキ1900形と全く同じですが、タキ1900形の返回送私有貨車の運賃計算トン数=4.10トンに対して、タキ19000形は3.98トンなので、空車回送運賃が少しだけ安くなるのが売りでした貨物手帳を参照。)。ただ、特殊鋼を使うと車両製作単価が高くなるために、ユーザーからはそれほど好まれなかったようで、日立も昭和45年(1970年)からはタキ1900形を製作しています。
セメント需要の高まりと共に タキ1900形は昭和56年(1981年)まで続々と増備され、最終的には1729両(タキ19000形と合わせれば1915両)と 私有貨車最多形式となりました。

これだけ数が多いいと、製造メーカー毎の差異はもちろん 製作時期による仕様変更も多いです。
絵は左上から製作年順に並べてみました(左上から4両目はタキ19000形。)。
住友、三井、住友、大阪、小野田、東北開発、三菱、セメントターミナル、電気化学、太平洋、日立、明星、日本、チチブ、チチブの順です。
タンクの補強の入れ方とかは 製作メーカーの好みで、台車の種類やブレーキ装置の変更は 国鉄が関与しています。セメントターミナル(CT)車が出た頃から ほぼ標準設計化されています。

なによりも、所有者による荷役装置関連の違いが激しいのが 他の積荷には無い セメント貨車の特徴です。しかも、同一所有者でも運用地域やセメント工場で装備が異なったりします。
まず、上部の積み込み口は 3個が基本ですが、厳密には中央が積み込み口兼マンホールで 両端が集塵口です。
大阪セメントは5個で、電気化学工業は4個。東北開発のものは通気口1個増設の計4個。
小野田セメント(太平洋セメント)東藤原の多くや、明星セメントの初期車、セメントターミナルの一部は中央のハッチが大きいです。さらに東藤原のものは後年 右側ハッチへ集塵用の空気配管が追加されています。東藤原のものでも、早強セメント等の特殊セメント用は通常タイプのようです。

荷降ろし装置は線路中央荷降ろし式が住友、三井、大阪、東北、電化、明星、日本(関東地区)で、側方荷降ろし式が小野田(太平洋)、三菱、セメントターミナル、日立、日本(関東以外)、秩父です。
エアスライドの配管は さまざまなタイプがあります。

上部踏板は所有者の好みで、三井、三菱、日立、明星、日本、秩父は他車への渡り板があり、電化のものは雪対策で山なりになっています。
初期の車は ガソリンタンク車などと同じく タンク上部に手スリがありません。ただ、後年追設されたものもあるでしょう。
ハシゴは 通常側面ですが、三井と秩父は妻面です。
特に秩父セメントは、従来ホキ5700形を愛用していたのが製造終了に伴いタキ1900形を少数増備したようで、空気抜き管が立っていたりホキ5700形に仕様を合わせているようです。
タキ1900形の後期の車は、非 手ブレーキ側のステップを廃止して製作されていますが、不便なため追設されている車も多いいです。

タキ1900形は 種類が多すぎて頭が こんがらかりますね。太平洋セメント車は まだ現役なのが うれしいところ。

ホキ5700形 40t積 セメントホッパ車(東洋工機製)

ホキ5700形 40t積 セメントホッパ車(東洋工機製) 日立 非公式側ホキ5700形 40t積 セメントホッパ車(東洋工機製) チチブ 公式側ホキ5700形 40t積 セメントホッパ車(東洋工機製) 小野田 公式側

ホキ5700形は、川崎重工製の40t積セメントタンク車 タキ1900形に対抗する形で製作された 40t積 エアスライド式セメントホッパ車です。

まず、東洋工機が昭和40〜42年(1965〜1967年)に製作したのが、俗にホキ5700形初期形と称される この車両。
設計は、従来の35t積のホキ3100形の設計を吟味し 基本構造はそのまま 車体軽量化のくふうをして40t積を実現したもので、後続の日本車輌製ホキ5700形とは 全くの別物です。
日立セメント向けにホキ5700〜5707号車の8両。秩父セメント向けにホキ5708〜5713号車の6両。小野田セメント向けにホキ5750〜5759号車の10両が製作されました。
合計24両で少数の割に 日立セメント・秩父セメント車と小野田セメント車ではブレーキ装置が異なります。
また、各所有者で荷役装置が違うのは他の形式と同様ですが、秩父セメント車(日立セメントも?)は荷役装置に不具合があり 後年改造されています(絵は改造後。)。

各種改良後は他の40t積み車と共通運用で 問題なく使用されたようですが、結局は 東洋製は試作車のような存在のまま 後が続きませんでした。
ホキ5700形の若番で、かつ両数が少ないので ホキ5700初期形と勘違いされています。

ホキ5700形 40t積 セメントホッパ車(日本車輌製)

ホキ5700形 40t積 セメントホッパ車(日本車輌製) チチブ 公式側ホキ5700形 40t積 セメントホッパ車(日本車輌製) チチブ 公式側ホキ5700形 40t積 セメントホッパ車(日本車輌製) チチブ 公式側ホキ5700形 40t積 セメントホッパ車(日本車輌製) チチブ 非公式側ホキ5700形 40t積 セメントホッパ車(日本車輌製) チチブ 非公式側ホキ5700形 40t積 セメントホッパ車(日本車輌製) チチブ 非公式側ホキ5700形 40t積 セメントホッパ車(日本車輌製) 小野田 公式側ホキ5700形 40t積 セメントホッパ車(日本車輌製) 小野田 非公式側ホキ5700形 40t積 セメントホッパ車(日本車輌製) 日本 公式側

ホキ5700形と言えば、この独特な形態の日本車輌製です。車号は5714〜5749、5760〜。
日本車輌製のホキ5700形は、従来のホキ3100形等で外板で隠れていたホッパ構造を剥き出しにし、台枠も無駄に頑丈だったものを見直して、無理のない、且つ思い切った車体軽量化を実現して、40t積み車を ものにしました。
なお、絵では再現していませんが、ホッパ側面の鉄板は 微妙に膨らむようにプレス加工されてて、強度を確保しています。
製作初年はタキ1900形に出遅れたものの、この車は なぜか秩父セメントが愛用し、川崎重工製なぞ目もくれずに476両も増備しました。
他に、小野田セメントが111両、日本セメントが31両所有し、計602両が昭和41〜48年(1966〜1973年)に製作され、東洋工機製と合わせて626両は 私有ホッパ車で最多形式です。

ところで、秩父セメント所有車で目立つのは、床下のエアスライド配管のコックです。
前後左右4つの主エアスライド装置と 側方荷役用補助エアスライド装置を個別に操作できるようにしたため、こんな配管になりました。
このような構造だと、部分的にコックを閉鎖する事で 解放した配管には閉鎖分の圧搾空気が追加供給されますので、効率的な荷降ろしが可能になります。
おそらく 全部解放で あらかた荷降ろししたあと、最後に残滓を部分閉鎖で圧を高めて降ろしていたのではないでしょうか。

積み込み口は中央で、マンホールを兼ねています。両端のものは集塵口です。
秩父セメントの場合、積み込み口にφ290mmの穴が開いた内蓋があって、そこからセメントを圧送し、両端の集塵口から排気を吸引する感じで積みこんでいたようです。
小野田セメント藤原のものは ホッパ内部上部に積み込み用エアスライド装置を備えていて、大形の積み込み口から ドサドサ積みこんでいたものと思われます。

なお、前々項で書いたように 秩父セメントはホキ5700形製造終了後にタキ1900形を増備していますが、これも日本車輌製です。

ホキ5700形 40t積 セメントホッパ車(日本車輌製) チチブ 錆止め塗装 公式側ホキ5700形 40t積 セメントホッパ車(日本車輌製) チチブ 錆止め塗装 公式側

ところで、秩父セメントの貨車の思い出といえば、全般検査入場車の錆止め塗装。
私有貨車のタンクや荷役装置など いわゆる上廻りは 所有者が管理するのですが、全般検査入場前のタンク等の洗浄作業と合わせて重メンテナンスされます。
その修繕度合いは所有者によって異なるのですが、秩父セメントの貨車はよく手入れされてて、秩父鉄道広瀬工場で補修部分の錆止め塗装まで施してから、新小岩車両センターに回送してました。
この状態で本線上を走るのですが、全検上がりには綺麗に全体が塗装されるので、これは実に合理的な方法でした。
多くはパッチワーク状の錆止めペイントでしたが、中には全身真っ赤なのも。

ホキ7500形 40t積 セメントホッパ車

ホキ7500形 40t積 セメントホッパ車 小野田 公式側ホキ7500形 40t積 セメントホッパ車 スクリューコンベア撤去後 清水 非公式側

ホキ7500形は、スクリューコンベア装備のタキ3800形 35t積セメントタンク車の後継の40t積車として、昭和42年(1967年)に日本車輌で開発されました。
この車の役目は、セメントサイロの無い駅への小規模輸送で、貨車からトラックに直接セメントを荷役するために電動式スクリューコンベアを装備しています。
添加材が入っていたり配合の違う特殊セメントも 専用のサイロが無い場合は この車で運んでトラックに直に荷役します。

具体的には、エアスライドでホッパ中央下部に集められたセメントを、スクリューコンベアで屋根上部に導き、そこに別のエアスライドを接続してトラックに移送する仕組みです。
スクリューコンベアの電源とエアスライド作動用圧搾空気は、タキ3800形では自車に発電機と送風機を積んでいましたが、ホキ7500形では地上施設からもらう事にして 死重を減らしています。

ホキ7500形は 見てのようにホキ5700形をベースにしたもので、元が軽いので 色々付けたのに荷重は変わっていません。
小野田セメント向けに20両。富士セメント向けに2両が製作されました。

後年は道路が整備されて 小規模輸送はトラックで直に現地に運んだほうが効率が良くなったため、スクリューコンベアを撤去して、他の40t積車と同様に使用されましたが、積み込みハッチの位置が違うので 使いにくかったようです。
絵は 左から小野田セメント現役時代、右はスクリューコンベア撤去後 清水工業への譲渡車。

タキ12200形 40t積 セメントタンク車

タキ12200形 40t積 セメントタンク車 チチブ 非公式側タキ12200形 40t積 セメントタンク車 チチブ 公式側タキ12200形 40t積 セメントタンク車 小野田 公式側タキ12200形 40t積 セメントタンク車 チチブ 1970年代 公式側タキ12200形 40t積 セメントタンク車 チチブ JR化後平成元年(1989年)以降 非公式側タキ12200形 40t積 セメントタンク車 大阪 公式側タキ12200形 40t積 セメントタンク車 電化 公式側タキ12200形 40t積 セメントタンク車 日立 JR化後平成元年(1989年)以降 公式側タキ12200形 40t積 セメントタンク車 日立 非公式側

タキ12200形は、富士重工が開発したエアスライド式40t積セメントタンク車です。
タキ1900形・ホキ5700形より若干出遅れ、昭和43年(1968年)に試作車、昭和46年(1971年)から量産車が登場しました。
車体の構造はタキ1900形と同じくフレームレスですが、タンク下辺に補強があり、直線的な外観になりました。
後年 タキ19000形とホキ5700形の制作が中止されてタキ1900形に統合されたのに対し、タキ12200形は設計がよかったのか昭和56年(1981年)まで134両が製作されています。
所有者は秩父、小野田、大阪、電化、日立で、荷役装置は他のセメント車と同じように所有者毎に違います。

なお、秩父セメント所有のセメント車に共通する特徴として、車端屋根に空気抜き管が備わっていますが、荷降ろしの際にエアスライドの他 吸引圧送方式も併用していたのでしょうか?

タキ15600形 40t積 亜鉛焼鉱専用 タンク車(富士重工製)

タキ15600形 40t積 亜鉛焼鉱専用 タンク車(富士重工製) 公式側タキ15600形 40t積 亜鉛焼鉱専用 タンク車(富士重工製) 公式側 汚れタキ15600形 40t積 亜鉛焼鉱専用 タンク車(富士重工製) 非公式側タキ15600形 40t積 亜鉛焼鉱専用 タンク車(富士重工製) 非公式側 汚れ タキ15600形 40t積 亜鉛焼鉱専用 タンク車(富士重工製) TR209台車換装 公式側タキ15600形 40t積 亜鉛焼鉱専用 タンク車(富士重工製) TR209台車換装 公式側 汚れタキ15600形 40t積 亜鉛焼鉱専用 タンク車(富士重工製) TR209台車換装 非公式側タキ15600形 40t積 亜鉛焼鉱専用 タンク車(富士重工製) TR209台車換装 非公式側 汚れ

関東内陸部の東邦亞鉛 安中精錬所では、古くから原料の亜鉛精鉱を鉄道輸送で賄っていましたが、さらに福島県 小名浜精錬所で生産した中間原料の亜鉛焼鉱を 専用列車で輸送することとなりました。
この列車が今も走る「東邦号」で、そのために昭和44年(1969年)に富士重工で20両が製作されたのが、タキ15600形 亜鉛焼鉱専用の 40t積エアスライド式タンク車です。
なお、北陸の日本鉱業向けにも 同形式のタキ15600形が18両製作されましたが、こちらは日立製で、両者の設計は別物です。
富士重工製のタキ15600形は セメント用のタキ12200形試作車をベースとした設計で、タキ12200形量産車より先に登場しています。
外見はタキ12200形とよく似ていますが、亜鉛焼鉱は比重が重いため、タンクは一回り小柄です。

なお、亜鉛鉱を細かく粉砕して浮遊選鉱で分離したものが亜鉛精鉱で、これを焙焼したものが亜鉛焼鉱です。亜鉛焼鉱をさらに精錬して製品の亜鉛となります。
オトキで運んでいる亜鉛精鉱も、コタキで運んでいる亜鉛焼鉱も土色の粉末で、特に亜鉛焼鉱はよく舞い上がるようで、タキ15600形は常に真っ茶色に汚れているのが特徴でした。
後年は 廃車発生品のコロ軸台車に履き替えたりして、タキ1200形の登場まで JR化後も活躍を続けました。

タキ1200形 40.3t積 亜鉛焼鉱専用 タンク車

タキ1200形 40.3t積 亜鉛焼鉱専用 タンク車 公式側タキ1200形 40.3t積 亜鉛焼鉱専用 タンク車 非公式側

タキ1200形は、東邦号に運用されていたタキ15600形 亜鉛焼鉱専用車の老朽置き換え用として、平成22、23年(2010、2011年)に20両が新製されました。
日本車両製ですが、車体構造は 前任の富士重工製タキ15600形の構造を踏襲し、外観はそっくりです。
ただし、足廻りとブレーキ装置はタキ1000形式類似の最新のものを採用し、最高速度は95km/hとなりました。
台車は 軸重15tが可能なFT21系なので 荷重を数トン増やす余地もあったかと思いますが、容量を大きくしすぎるとエアスライドの圧搾空気が多く必要でしょうし、変な冒険はせずに 荷重40.3tと手堅くまとめています。

タキ1200形は車体塗色に オトキに揃えた赤3号(通称:チョコレート色。一部で流布されている赤3号近似色ではなく、試作車製造段階から単純な赤3号です。)を採用し、俄然 汚れが目立たなくなりました。
当初はタキ15600形に混ざって慣らし運用が始まり、荷役装置の改良をもって一気にタキ15600形を置き換えました。
そして 平成26年(2014年)3月から東邦号は最高速度95km/hとなり、毎日フル運用されています。

※連結器の色について。
国鉄時代の自動連結器の色を見ると、まっ赤に錆びている写真が多く残されています。対して現在の自動連結器はそんなに錆びていません。
この差は何かというと、給油に使う油脂の種類と整備の考え方の違いと思われます。私の絵は基本的には 国鉄のものは こげ茶色。JR化後の新製車は 地色の灰色で塗っています。

タキ2000形 30t積 アルミナ専用 タンク車 昭和電工

タキ2000形 30t積 アルミナ専用 タンク車 昭和電工 2000〜2006号車 公式側タキ2000形 30t積 アルミナ専用 タンク車 昭和電工 2007〜2016号車 公式側

タキ2000形(昭和電工向け)は、昭和26〜29年(1951〜1954年)に17両が製作された30t積アルミナ専用車です。
アルミナとは酸化アルミニウム(Al2O3)の事で、自然界ではボーキサイトという鉱石に多く含まれています。これを砕いて水酸化ナトリウム((NaOH)苛性ソーダ)を加えたり焼いたりして取り出して、純粋なアルミナとして工業利用されています。
アルミナは一般的にはアルミの原料として認識されがちですが、他にもセメントに混ぜたり、研磨剤になったり、いろいろな用途で使われています。

アルミナの工場はボーキサイトを輸入する関係で沿岸部ですが、アルミニウムの精錬工場は内陸部が多かったです。
これはアルミの精錬に使う電気炉が莫大な電力を必要とするためで、水力発電所と合わせて建設されたからです。
ここに、アルミナの鉄道輸送の需要が生まれました。
当初のアルミナの輸送方式は無蓋車や長物車にメーカー所有の専用容器(タンクコンテナ)を載せる方式によっていました。
この方法では荷卸しの時に上部から吸引していたのですが、昭和電工のアルミナタンク車もこの方式を継承したので、タキ2000形(昭和電工向け)には 下部に吐出口がありません。

タキ6400形 35t積 アルミナ専用 タンク車

タキ6400形 35t積 アルミナ専用 タンク車 日立製 6400〜6413号車 公式側タキ6400形 35t積 アルミナ専用 タンク車 日立製 6414〜6435号車 公式側タキ6400形 35t積 アルミナ専用 タンク車 日立製 6447〜6449,16400〜16404号車 公式側タキ6400形 35t積 アルミナ専用 タンク車 東急製 16405〜16424号車 公式側

タキ6400形は、タキ2000形の増備車として昭和32〜44年(1957〜1969年)に58両が製作された、昭和電工向け35t積アルミナ専用車です。
タキ2000形(昭和電工向け)に引き続き、荷卸しは上部ハッチからの吸引となっています(メンテ用の穴は車体底に用意されていたようです。)。
タキ6400形は製作ロットによって外見が大きく異なるのが特徴です。
特に四角い車体の日立製前期車や、車体裾を絞った東洋・東急製は ホッパ車と見間違いますが、こんななりをしていてもホッパ構造ではなく、タンク車としか言いようがないです。まあ、製造の際に安上がりで理に適った構造です。
アルミナ専用車の所有者は昭和電工と日本軽金属ですが、日本軽金属がタンク車導入を機にエアスライド荷役を採用したのに対し、昭和電工は遅くまで上部からの吸引方式を使用していました。
タキ6400形は平成7年(1995年)まで活躍しました。

※ タンク車は広義の分類では有蓋車に含まれます。長物車は無蓋車ですね。
では、ホッパ車はどうかというと、分類記号制定前は、屋根無しが石炭車(無蓋車)、屋根有りがタンク車(有蓋車)に分類されていました。
有蓋車と無蓋車に跨るホッパ車は、つまり屋根の有る無しではなく、ホッパ装置の有無でホッパ車を名乗るので、タキ6400形はタンク車(有蓋車)に分類されるわけです。

タキ2000形 30t積 アルミナ専用 タンク車 日本軽金属

タキ2000形 30t積 アルミナ専用 タンク車 日本軽金属 2017〜2043号車 公式側

アルミ精錬大手の日本軽金属は、昭和32年(1957年)になってタキ2000形を製作しました。
この頃になると、粉粒体タンク車のエアスライド装置が実用化されていたので、下部から荷卸しする構造となり、昭和電工車とは似ても似つかぬ姿ですが、同じタキ2000形を名乗っています。ラクダのコブようなドームが目立ちますね。
貨車の形式分けとは、外見はどうでもよく、用途や荷重、自重、全長などの違いからくる運賃とか 輸送・配車上の都合が優先されます。私有貨車は上廻りの検査は所有者で、鉄道側は足廻りに基本的パーツを使っていれば、同一形式に異なる車体があろうが 現場はなんら困らないのです。
で、この日本軽金属向けタキ2000形は荷重30tなのに、タンクの容積が35t分あります。おそらく次に紹介するタキ7400形への布石の設計だったのでしょう。

タキ2000形(日本軽金属向け)は、昭和33年(1958年)までに27両が製作されました。

タキ7400形 35t積 アルミナ専用 タンク車

タキ7400形 35t積 アルミナ専用 タンク車 公式側

エアスライド装置を備えた35t積アルミナ専用車を作るとなると、車体を軽くしてやる必要があります。
そこで日本軽金属は、自社商品のアルミの需要拡大も考慮して、タキ2000形のタンク体をアルミ製にしたタキ7400形を導入(製造は川崎車両。)しました。
形状はタキ2000形(日本軽金属向け)と同一で、昭和34、35年(1959、1960年)に29両が製作されました。

このタキ7400形の雄姿は、昭和35年(1960年)製作の「アルミニウムの誕生」という社会映画に残されています(※この映画にはアルミナコンテナを積んだ無蓋車の姿も記録されています。)。
その美しい姿に感化されて 絵では銀色で描きましたが、このアルミ無塗装のこんな綺麗な状態は新製直後くらいで、実際は経年と共に茶色く汚れてゆきました。

日本では戦後にアルミニウム精錬を活発にやるようになり、昭和48年(1973年)度に世界2位の生産量を誇るまでになったのですが、1970年代の2度のオイルショックの影響で電気代が高騰して壊滅状態となり、アルミ地金や水酸化アルミニウムを輸入した方が安上がりとなったため、平成26年(2014年)に日本でのアルミニウム精錬は終焉しました。
日本軽金属のアルミナ貨車の活躍は、昭和59年(1984年)の清水港線の廃止と共に終了しました。

ホキ6500形(ホキ1900形) 25t積 カーバイド専用 ホッパ車

チキ1500形 長物車 25tカーバイドコンテナ積ホキ6500形 25t積 カーバイド専用 ホッパ車 6508〜6511号車 公式側

カーバイド輸送用ホッパ車の話。
ここで言うカーバイドとは正式には炭化カルシウム(CaC2=カルシウムカーバイド)の事で、生石灰とコークスを電気炉で なんやかんやして得られる物質です。
この炭化カルシウムに水を加えるとアセチレンガス(C2H2)を簡単に得られるため、昔は化学原料として重宝されていました。また、アセチレンはガス溶接の主要燃料でもあるほか、炭化カルシウムそのものも 鉄鋼の精錬過程などで使用されています。
アセチレンガスは、現在はボンベによって需要家に届けられますが、当時の大きな工場では炭化カルシウムから自製していました。

そんな炭化カルシウムですが、日本の鉄道では専用容器(コンテナ)を無蓋車や長物車に載せることで、大量輸送が始まりました。
左の絵が長物車に載せた状態の25t積カーバイドコンテナです。特大貨物なので、積付にかなりの手間が必要であることが想像できます。
これでは貴重な貨車を1ユーザーに専有される期間が長くなり、公共を旨とする国鉄としては ありがたくないでしょう。
メーカーとしても需要が増える中、輸送のたびに国鉄から長物車などを配車して貰わなければならず、希望通りに運びにくくなってきたため、私有カーバイド輸送用ホッパ車が誕生することになりました。

日本のカーバイド輸送用ホッパ車の特徴は、ホッパー底板の傾斜角が0度であることで、重力による荷卸しができないために、側蓋を開けたら手作業で掻き出す必要がある事です。
ぶっちゃけホッパ車じゃ無いのですが、それっぽい形なのでホッパ車という種別になりました。正確を期すなら鉄製有蓋車に分類すべきだったのかもしれません。

昭和31年(1956年)に登場したホキ190形は、全くの新製車ではなく、以前から使っている25t積カーバイドコンテナを有効活用して、足廻りのみ新製して合体させました。
ホッパー傾斜角0度は、この名残です。
ホキ190形は増備中の昭和34年(1959年)にホキ1900形に改番され、昭和38年(1963年)にホキ6500形に再改番されています。右の絵がその姿。
カーバイドホッパ車のその他の特徴として、炭化カルシウムは湿気を吸うとアセチレンガスが発生して危険なので、片側面に吸湿缶と防爆装置を備えています。積込口と取出口は2重扉となっています。

国鉄では4形式ほど登場したカーバイドホッパ車ですが、昭和40年代に急速に石油化学工業が発展するとカーバイドの大口需要が減ったため、その活躍期間は10数年でした。
ホキ6500形の一部は足廻りを転用して、タキ1500形石油類専用車に改造されました。

ホキ6900形 25t積 カーボンブラック専用 ホッパ車

ホキ6900形 25t積 カーボンブラック専用 ホッパ車 富士重製 前期車 公式側ホキ6900形 25t積 カーボンブラック専用 ホッパ車 富士重製 後期車 公式側ホキ6900形 25t積 カーボンブラック専用 ホッパ車 川崎製 前期車 公式側

カーボンブラックとは純粋な炭素の粉末のことで、タイヤのゴムに補強材として添加して使ったりします。
ホキ6900形は25t積のカーボンブラック専用ホッパ車で、昭和39年(1964年)から14両が製作され、新潟で天然ガスから製造されたカーボンブラックを、西武鉄道小平駅のブリヂストン工場に運んでいました。
製造メーカーにより2形態があります。ホキ6900形は昭和58年(1983年)まで活躍しました。

タキ6550形 30t積 塩化ビニル専用 タンク車

タキ6550形 30t積 塩化ビニル専用 タンク車 新製車 公式側

タキ6550形は塩化ビニール樹脂ペレット専用“ホッパ車”です。
昭和42年(1967年)に8両が新製され、のちに余剰のカーバイト専用ホッパ車のホキ5600形とホキ6000形から5両が改造増備されました。
塩ビペレットは嵩があるので、こんなに大きな車体でも荷重は30tです。
新製車は全長を短く抑えたかったのでデッキが狭く、縦形の手ブレーキハンドルが珍しいです。
JR化後も平成2年(1990年)まで生き延びました。

ホキ2200形 30t積 穀類専用 ホッパ車

ホキ2200形 30t積 穀類専用 ホッパ車 初期形 TR207形台車 公式側 旧塗装ホキ2200形 30t積 穀類専用 ホッパ車 初期形 TR207形台車 非公式側 旧塗装ホキ2200形 30t積 穀類専用 ホッパ車 大形積込口形 公式側 旧塗装ホキ2200形 30t積 穀類専用 ホッパ車 標準車 公式側 旧塗装ホキ2200形 30t積 穀類専用 ホッパ車 標準車 非公式側 旧塗装

ホキ2200形 30t積 穀類専用 ホッパ車 初期形 TR211形台車 非公式側ホキ2200形 30t積 穀類専用 ホッパ車 大形積込口形 非公式側ホキ2200形 30t積 穀類専用 ホッパ車 標準車 公式側ホキ2200形 30t積 穀類専用 ホッパ車 標準車 非公式側ホキ2200形 30t積 穀類専用 ホッパ車 標準車 公式側ホキ2200形 30t積 穀類専用 ホッパ車 標準車 公式側ホキ2200形 30t積 穀類専用 ホッパ車 標準車 非公式側

ホキ2200形 30t積 穀類専用 ホッパ車 初期形 TR211形台車 公式側 JR化後ホキ2200形 30t積 穀類専用 ホッパ車 標準車 公式側 JR化後ホキ2200形 30t積 穀類専用 ホッパ車 標準車 非公式側 JR化後ホキ2200形 30t積 穀類専用 ホッパ車 標準車 非公式側 JR化後

戦後も落ち着くと、食文化の変化により 小麦や、畜産飼料用の穀類の大量輸送が求められるようになりました。
そのため 袋詰めのほか、有蓋車にバラ積みする特殊な方法も取られましたが、いかんせん効率が悪く、専用ホッパ車が求められました。
国鉄としても 手をこまねいていては荷主がトラックに逃げるばかりなので、昭和41年(1966年)に 国鉄所有の穀類の物資別適合貨車として製作されたのがホキ2200形です。
積荷の穀類は、小麦やトウモロコシ、コウリャン等色々で、製粉や飼料に使われます。
昭和44年(1968年)には物資別共同着基地整備の一環として日本飼料ターミナルが設立された事もあって、ホキ2200形の活躍範囲は広がり、昭和54年(1979年)までに1160両が製作されて、全国各地の輸入港沿いの駅に配置されました。

ホキ2200形の荷重は30トンで、設計は昭和38年(1963年)に製作された麦芽用私有ホッパ車のホキ6600形を参考にしていますが、米国流だそうで、どの国でも穀類用ホッパ車と言えばこんな感じです。
ホッパは前後2室に分けられ、また積荷への熱影響を防ぐために遮熱板でタンク体の外周を囲い、さらに宣伝を加味してクリーム色に塗装されました。
足廻りは国鉄貨車という事もあって ちょっと高級な最高速度85km/h仕様です。
比較的両数もあるので、製造年次や製作メーカーによる差異や、台車や手摺などの後天的改造、配置区や時代による塗り分けの違いなど、微細なバリエーションがあり、自己満足ですが絵では描き分けてみました。

ホキ2200形は 国鉄末期の輸送縮小の影響を受けながらもJR化以降も生き残り、平成12年(2000年)まで活躍しました。

ホキ9800形 30t積 麦芽専用 ホッパ車

ホキ9800形 30t積 麦芽専用 ホッパ車 前期車 初期塗装 公式側ホキ9800形 30t積 麦芽専用 ホッパ車 前期車 公式側ホキ9800形 30t積 麦芽専用 ホッパ車 前期車 非公式側ホキ9800形 30t積 麦芽専用 ホッパ車 後期車 公式側ホキ9800形 30t積 麦芽専用 ホッパ車 後期車 非公式側

国鉄のホキ2200形は好評をもって迎えられましたが、配車上 使いたいときに常に使えるとも限らないので、ビール会社が自前の私有貨車として製作したのがホキ9800形です。
ホキ9800形の積荷はビール原料の麦芽で、昭和48年(1973年)と昭和56年(1981年)に合わせて55両が製作されました。

ホキ9800形の基本的設計は国鉄のホキ2200形を踏襲していますが、麦芽は比重が軽いため、ホッパの容積を大きくしました。下膨れのホッパ体となっています。
また、私有貨車なので 足廻りはホキ2200形のような高級品ではありません。
塗装は当初黒色でしたが、荷主の強い要望により 遮熱効果の高いクリーム色4号に規定が改正され、昭和53年(1978年)以降 塗り替えられました。
このクリーム色はホキ2200形と同じものですが、現車を見ると なぜかホキ9800形の方が色濃く感じた記憶があります。
ホキ9800形は、JR化後も平成10年(1998年)まで活躍しました。

ホキ8300形 35t積 トウモロコシ及びコウリャン専用 ホッパ車

ホキ8300形 35t積 トウモロコシ及びコウリャン専用 ホッパ車 初期塗装 公式側ホキ8300形 35t積 トウモロコシ及びコウリャン専用 ホッパ車 公式側ホキ8300形 35t積 トウモロコシ及びコウリャン専用 ホッパ車 非公式側

ホキ8300形は、やはり国鉄ホキ2200形の私有貨車版として荷主が用意した車両です。
ホキ8300形の積荷は畜産飼料用の穀物のトウモロコシやコウリャン等です。昭和49年(1974年)に17両が製作されました。
国鉄のホキ2200形は 同じ穀類でも積荷の種類に幅を持たせ、見掛け比重の低い荷を積むことも想定して荷重を30tに抑えましたが、ホキ8300形の場合は粒の大き目な見掛け比重の高い飼料用穀類を主に積むので、同じホッパ容積でも荷重が5t増しになっています。
また、積荷が食品用穀類では無いため、遮熱板を省略して製作コストを抑えました。
下半身はホキ9800形と同じで、ホッパの形状もホキ9800形に似ており、また、荷役装置の配置など やはり全体的にホキ2200形の設計に従っています。
登場時は黒色塗装でしたが、昭和53年(1978年)以降 他の私有 穀類・粉もん用ホッパ車と同じくクリーム色に塗り替えられました。
ホキ8300形は、JR化後の平成8年(1996年)まで活躍しました。

ホキ9300形 35t積 コークス粉専用 ホッパ車

ホキ9300形 35t積 コークス粉専用 ホッパ車 公式側

ホキ9300形は、コークス粉専用ホッパ車として、昭和49〜60年(1974〜1985年)に5両が製作されました。
積荷のコークス粉は、“粉”とは言っていますが、実際は5〜10mm程度の粒だそうで、エアスライド等の特殊構造を用いなくても自重落下で荷降ろしできるので、ホキ2200形の設計を流用しました。
具体的構造はホキ8300形の車高を低くした感じです。
ホキ9300形は、JR化後も数年働いたようですが、平成8年(1996年)に廃車となりました。

タキ24700形 25t積 小麦粉専用 タンク車

タキ24700形 25t積 小麦粉専用 タンク車 1次車 公式側タキ24700形 25t積 小麦粉専用 タンク車 1次車 非公式側

タキ24700形は25t積小麦粉専用車として、昭和49年(1974年)に8両、昭和54年(1979年)に2両が製作されました。
小麦粉の荷役方式は空気圧を利用した圧送荷役なので、ホッパ車ではなくタンク車とし、エアスライド装置も併用しています。
1次車は他の私有穀類ホッパ車と同じく黒色に塗られていましたが、昭和53年(1978年)からクリーム色に塗り替えられました。
2次車は断熱構造を強化したので、見た目が変わりました。
タキ24700形は平成9年(1997年)に廃車となりました。

タキ24300形 35t積 テレフタール酸専用 タンク車

タキ24300形 35t積 テレフタル酸専用 タンク車 前期車 国鉄時代 公式側タキ24300形 35t積 テレフタル酸専用 タンク車 前期車 昭和63〜平成6年(1988〜1994年) 公式側タキ24300形 35t積 テレフタル酸専用 タンク車 中期車 昭和63〜平成6年(1988〜1994年) 公式側タキ24300形 35t積 テレフタル酸専用 タンク車 後期車 国鉄時代 公式側タキ24300形 35t積 テレフタル酸専用 タンク車 後期車 平成6〜平成11年(1994〜1999年) 非公式側

タキ24300形はテレフタル酸専用の35t積タンク車で、昭和49〜52年(1974〜1977年)に61両が製作されました。
その外見や積荷の名前から、一見して液体を積んでいるようなイメージですが、テレフタル酸はポリエステル樹脂の原料となる粉もんで、エアスライド装置に窒素を圧送して荷役します。

この貨車の運用区間は 九州の黒崎〜愛知の北岡崎で、銀色の大形タンク車がまとまった両数で連なって走っていたので、山陽線沿線の鉄道ファンには被写体として知られた存在だったようです。
タキ24300形はJR以降も活躍し、廃車となったのは平成11年(1999年)でした。

ホキ1000形 35t積 フライアッシュ及び炭酸カルシウム専用 ホッパ車

ホキ1000形 35t積 フライアッシュ及び炭酸カルシウム専用 ホッパ車 小野田 公式側ホキ1000形 35t積 フライアッシュ及び炭酸カルシウム専用 ホッパ車 小野田 非公式側

ホキ1000形 35t積 フライアッシュ及び炭酸カルシウム専用 ホッパ車 太平洋 公式側ホキ1000形 35t積 フライアッシュ及び炭酸カルシウム専用 ホッパ車 太平洋 非公式側

火力発電所の燃料には石炭・重油・液化天然ガス(LNG)と いろいろありますが、それぞれ長所短所があります。
石炭は価格が安く、取り扱いも簡単で、産地が世界中にあり 安定供給の面でも有利です。
ただし、燃焼すると多量の石炭殻(石炭灰・アッシュ)を発生し、排気ガスには大気汚染の原因となる硫黄酸化物(SOx)がたくさん含まれます。

排気ガスから硫黄酸化物を取り除くのを脱硫といいますが、これには炭酸カルシウム粉末が用いられます。
炭酸カルシウムは石灰石の主成分で、セメント工場等で粉砕分級されて生産されます。

一方の石炭殻ですが、火力発電所では石炭を微粉炭にして燃焼させますので、細かい灰(飛灰、フライアッシュ)として排気ガスから集塵器で回収されます。
フライアッシュの主成分はシリカとアルミナで セメント原料の粘土の代替となるばかりか、かえって耐久性や水密性、球状という特性から流動性が向上する事がわかり、今ではこれを混合したセメントは「フライアッシュセメント」として ちょっとした高級品として分類されています。

セメント工場でも石炭を主燃料としており、フライアッシュも生成されるのですが、足りない分を火力発電所からの供給で賄っています。
そこで考えられたのが、セメント工場からの炭酸カルシウムと 火力発電所からのフライアッシュを 一つの貨車で往復運搬する方法で、このために平成2年(1990年)に誕生したのがホキ1000形ホッパ車です。

ホキ1000形は2種類の積荷を積むのですが、両者は多少混ざっても大丈夫なので、車体構造はセメントホッパ車などと同じで エアスライド式の荷降ろし装置を備えます。ただし 残滓を少なくするためホッパ断面は結構急峻です。
写真で見るとそんなに感じませんが、積荷の比重は軽めなので、現車を見ると その巨体に驚かされます。

ホキ1000形は 試作車も含め34両が制作されました。最後の2両はブレーキ装置が変更されています。
JR初期に制作された貨車で、しかも台車を国鉄貨車の中古で賄ったため もう代替時期であり、後継のホキ1100が開発されています。


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