積荷の絵その1
これらの絵は 素材として使う事も考慮して描いているため、使用色数が少なく軽いのが特徴です。
改造素材や、ホームページや冊子のネタとして、ご自由にお使いください。※注 絵を単体で商用・営利目的使用する場合を除く。
小さな手直しは頻繁にあり、更新履歴に載せない事も多いいため、古いキャッシュを消去して、利用直前にコピーする事をお勧めします。
ご使用の際は、知らせて頂けるとうれしいです。
なお、絵や解説文の根拠たる参考文献等は ここに記載しきれないので、直接私にメールか掲示板で問い合わせて頂ければ幸いです。また、基本的に解説文は作画当時に書いたものなので、情報が古い場合があります。
このページの絵は特記以外1ドット50mmで描いています。
積荷の絵 その2は こちら 貨車の絵 その2は こちら 貨車の絵 その4は こちら 貨車の絵 その5は こちら 貨車の絵 その10は こちら 貨車の絵 その11は こちら 貨車の絵 その15は こちら のりものの絵は こちら 表紙へ
たわらと、炭俵と、かます
俵(たわら)は、藁(わら)で編んだ円柱状の包装材で、古来より穀類や木炭の梱包用に活躍しました。
構造は、側面に当たる菰(こも)と、端面に当たる桟俵(さんだわら)を、それぞれ筵(むしろ)状に編んで組み合わせたものです。
荷種・用途による構造の差異のほか、一重俵、複式俵、二重俵などの種類があり、さらに編み方などは各地方で独自に進化しました。
たわらの寸法は、国鉄の貨物積付方標準で引用されている埼玉県の農産物包装規格によると、さんだわらの直径が33.0cmなので、長さはその倍くらいでしょう。俵はそのものが量の単位なので、全国的に同じ位の寸法だったと思われます。
木炭の炭俵の場合は、端面のさんだわらを省略し、代わりに小枝を編んで脱出止めをすることが多かったようです。さらに、積載効率を高めるためか?円柱ではなく、四角く梱包して角俵とする場合も多く見られました。
木炭は、ガスが普及する以前の一般家庭の主要燃料でした。都市で多量に消費されたため、炭俵にして、地方から大量輸送されました。
叺(かます)は、藁(わら)を編んだ筵(むしろ)を、袋状にしたものです。
見た目は 目を粗くした麻袋という感じで、粒の大きな穀類や ばら物の梱包に使われました。
寸法は日本農林規格によると穀類用で長さ85cm、幅82cmですが、これは荷を袋詰めにする前の状態の寸法です。
俵物も、かます物も、製作コストの安い各種梱包資材の発達や輸送品質保持の観点から、戦後に急速に姿を消してゆきました。
酒樽(4斗)
1斗樽は直径40cm、高さ35cm。2斗樽は直径48cm、高さ48cm。4斗樽は直径55cm、高さ55cm。
なお、1斗は約18リットル、2斗は約36リットル、4斗(1俵)は約72リットルです。
浴びるほど呑んで下さい。
醤油樽(醸造用)
醤油工場の醸造用の樽です。この樽で そのまま醤油を輸送する事はありません。
洋樽
いわゆるワイン樽などに代表されるやつ。荷役に便利な形状だと思われる。
寸法はまちまちで、いろいろな用途に使われた。
ドラム缶
日本の一般的なドラム缶の容量は200リットルで、たぶん世界標準。米国のドラム缶はヤードポンド法で、55ガロン(約208リットル)だそうです。
貨車用シート
無蓋車に付き物のシート及びロープですが、これは国鉄が整備し、これを必要とする荷送人に 無料で貸し出すことと鉄道運輸規定で定められていました。
そのため、各駅には必要数のシート・ロープがプールされ、その在庫を鉄道管理局に毎日報告していました。それ受け、管理局は需給に応じたシート・ロープの各駅への送配を指示していました。
シート・ロープの修理の際は、全国に10数ヶ所ある指定の修理工場に回送するなど、きっちり管理されていました。
国鉄の貨車用シートの枚数は、昭和55年(1980年)の時点で約26000枚。ロープは約43700本保有していたそうです。この他に各私鉄や荷主が所有・管理するシートも多数が運用されていました。
シート・ロープの不具合は貨物事故に直結するため、当時の貨物関係の規定にはシート・ロープに関する項目が多岐に渡って記載してあります。
なお、国鉄は当初は自前でシート・ロープを管理していたようですが、昭和44年(1969年)に専門の子会社を設立して管理に当たらせています。
シートの規格は日本国有鉄道規格(JRS)で、貨車用シート、貨車用ロープ、チップ貨車用シート(7970mm×3300mm)、自動車用シートが規定されていました。
ただし、個体差は結構あったようです。
貨車用シートの寸法は、当初8200mm×4610mmでしたが、戦後の昭和25年(1950年)に、トムに掛けて充分な寸法として規格が改定され、以降は、9700mm×4270mmのものに置き換えられていきました。
シートの寿命は5年弱との事なので、昭和30年代には ほぼ新サイズのシートに置き換わっていたことでしょう。
シートの寸法が変わるとロープを通すハトメの位置も変わるので、無蓋車の中にはロープ掛けの位置を移設したものもあるようです。
ちなみに、ロープの長さは30m(戦前の北海道には原木輸送用の15mもあり。)で規格化されています。
シートの素材は各種あったようですが、麻シート(帆布・キャンバス)だったものが、昭和35年(1960年)以降はビニロン帆布に塩ビ コーティングしたものが主流となりました。
絵は、写真を参考に上段に新、下段に旧の貨車用シートを描いてみました。個体差が多く、またリサーチも充分でないため、あくまで寸法のみの参考としてください。長いのが新規格です。どこかに国鉄のマークと管理番号が書かれているようです。
絵には分かりやすいように、当時の主力無蓋車の車体幅の折れ線を 描き込みました(実物には書かれていません。)。積荷に対して寸法が足らない場合は、当然2枚3枚と追加して荷を保護します。
旧素材のシートの色は、明瞭なカラー写真が残されていないため判定が難しいですが、褐色(カーキ)で良いと思います。一番色合いの難しい色・・・。
新素材は緑系褐色(緑系カーキ)が多いです。なお、損傷部位を緑色やオレンジ色で継ぎはぎする事がありましたが、修繕箇所を分かりやすくするために 意図的にそうしていたのかもしれません。
“工”のマークについては 見当たらないものも多い気がしますが、新素材になっても白色で書かれたり、中には赤色で目立つものもありました(整備区所の地域差?)。
T11型標準パレット
パレットは、フォークリフトの発展と共に、スノコから進化した荷造り用の土台です。
スノコというのはゲタ状に作られていますが、パレットは下板を追加して強度を増し、フォーク作業時の安定性を向上すると共に、先に積んだ荷物の上に 次のパレット積み荷物を重ね積みするという作業が可能になりました。
当初は 各社が自分用に製作して運用していたので 寸法はバラバラでしたが、次第に業界毎に規格化されていきました。
これは、末端の商店とかでは数社のメーカーのパレットが混在するので、倉庫保管のためには規格が揃えてあった方が良いからです。
規格化の流れはさらに加速して、1960年代には各業界共通の仕様が制定され、そこで誕生したのが面積1100mm×1100mmのT11型一貫輸送用標準パレットです。
以降 各物流業界は、なるべくこのパレットに荷姿を合わせる事としました。
このパレットに合わせるという事は、段ボールの寸法も、トラックやコンテナ、貨車、荷役機械の寸法も 全部コレに合わせるという事です。
ただ、そうはうまくいかず、先行して仕様を作ってしまった業界は なかなか規格変更する事が出来ずに、業界標準規格のパレットを今も使っています。
パレットは繰り返し使用にも強みがあり、それなりの値段もするため、使い捨てではなく、発送先から送り返してもらうのが基本です。
ビール瓶のように同じ荷姿の帰り荷があるなら返却も簡単ですが、普通は帰り荷の隙間に積んだり、相手方に溜めておいて まとめて回収したりします。
ただ、規格化が進んだという事は、A会社から来たパレットを 気軽にB会社への輸送に使ってしまう事が可能となります。パレット側面に持ち主の会社名があっても 誰も気にしません。
パレットは企業にとって大切な資産でありますが、ちゃんと返送手配を取らないと高確率で行方不明になってしまって、それが馬鹿になりません。
だったら、という事で誕生したのが、パレットレンタル会社で、企業が自社でパレットを所有する必要をなくし、パレット1枚1枚をしっかりと管理し、標準化の強みを最大限に生かして パレットの高効率運用を可能としました。
国鉄 ロールボックスパレット
ロールボックスパレットは一般にカゴ車と呼ばれ、主に寸法の異なる荷物を混載する用途に使われ、宅配やコンビニ等 物流の末端部で よく目にする事ができます。
未使用時は 床を跳ね上げて折り畳み、壁際にコンパクトに格納できるのを大きな特徴としています。
国鉄のロールボックスパレットは遥か昔、昭和40年代に荷役の近代化を目指して登場したものです。
正式名称は「荷物輸送用パレット(車軸付)」。
まずマニ37形新聞輸送車専用のA形ボックスパレットと、スニ40、41用のB形ボックスパレットが 昭和43(1968年)に作られました。
パレット荷物車やパレットの開発については、ワキ10000形で運用試験をしています。
パレット荷物車は期待通りに活躍したので 国鉄は増備を考えたのですが、ちょうどワキ10000形が余剰になった事もあり、以降のパレット荷物車は荷貨共用車とする事に方針転換し、昭和45年(1970年)から 新製及びワキ10000形改造で ワキ8000形が製作されました。
ここで問題となったのがワキの車内寸法で、スニ40形に採用のB形ボックスパレットでは窮屈なので、新たに台枠の幅を狭めたC形ボックスパレットが開発されました。
B形とC形のパレットは、幅が異なるだけでカゴの寸法は ほぼ同じ。だったら最初から パレット貨車に積む事も考慮した寸法のパレットを導入すれば良かったのではないかと思われますが、それは後知恵というもので、B形の開発時は国鉄ロールボックスパレット特有のギミックを盛り込む事に腐心していました。
具体的寸法は、A形が幅1050mm(籠内寸960mm)、高さ1500mm(籠内寸1200mm)、奥行き1550mm(籠内寸1300mm)、
B形が幅1100mm(籠内寸1000mm)、高さ1700mm(籠内寸1400mm)、奥行き1190mm(籠内寸970mm)、
C形が幅1057mm(籠内寸975mm)、高さ1700mm(籠内寸1400mm)、奥行き1190mm(籠内寸970mm)で、各形式とも容積は1.5m3、荷重600kgです。
その後はC形タイプのみを増備する事になり、その際に順次改良され 寸法等はちょっと変更されています。
なお、昭和47年(1972年)3月時点で国鉄では A形約300台、B形約1100台、C形約1540台、C1形約1280台を所有していたようです。
折角なので、各パレットの図面を用意しました。→A形パレットB形パレットC形パレットC-1形パレット、B形パレット。
さて、上に書いた国鉄ロールボックスパレット特有のギミックですが、まず折り畳めません。
いや、正確には足廻りが ごつくて、世間一般のカゴ車と違って 縦に折り畳めないです。
代わりに高さ方向、つまり金網や押手を畳んで平たくする事はできます。しかし格納性は悪そうです。
なぜ、国鉄のロールボックスパレットは下廻りが頑丈かというと、国鉄では駅構内で何台も連結してターレットで牽引したり、跨線テルハで吊り上げてホーム間を空中移動させる必要があり、また、強力なブレーキ装置を備えさせたからです。
それに加えてB〜D形は トーベヤ(トーコンベヤ/鎖コンベヤ)装置という自動搬送装置に対応しており、トーピンという軸を ホーム舗装面に内蔵されたレールに差し込む事によっての無人移動を可能にしていました。
絵は上段がA形ボックスパレット。左から側面(空)、側面(積)、側面(空)一部金網 折り畳み。前面(空)、前面(積)。A形は 客車の荷物扉に合わせて背が低いです。
2段目はB形ボックスパレット。
3段目はC形ですが、郵政省所有のものは手すりが赤くなっています。左から5番目と右端は改良形のC1形。
↑ターレットで牽引すると、こんな感じになります。ターレットについては のりものの絵を 参照してください。
↑これは、国鉄末期に登場したD形式、D1-A形といふもの。
このパレットは昭和54年(1979年)10月に開業した横浜羽沢駅に導入された「手小荷物自動処理システム」の「パレット台車転倒装置」に対応して開発されたものです。寸法はC形とほぼ同じ。
手小荷物自動処理システムは、トーベヤ装置を自動運転し、仕訳け作業も自動化したもので、横浜羽沢駅の地下にはパレットが動めく貯留ヤードが設けられ・・・。
話をすると長くなるので省略しますが、パレット台車転倒装置は、流れてきたボックスパレットを斜めに傾けて、横の金網をロボットアームで掴んで開放して、荷物仕訳けベルトコンベアに荷物をぶちまける装置です。
手小荷物自動処理システムは、初期故障が多発したものの 現場努力でどうにか運用。しかし パレット台車転倒装置は 実運用してみると荷痛みが酷く、どうしても解決に至らなかったため 使用放棄されました。
なお、このシステムの夢を発展近代化したものが、平成25年(2013年)にヤマトグループの「羽田クロノゲート」で実現してます。
パレット荷物車 スニ40、スニ41、スユ44、ワキ8000、ワサフ8000については 貨車の絵 その3を 参照してください。マニ44は 客車の絵を。
国鉄 イ号コンテーナー
昭和初期、国鉄は新たな貨物輸送サービスとして 小口扱い貨物輸送用にコンテーナーを導入する事とし、昭和6年(1931年)に100個製作されたのが1t積のイ号コンテーナーです。
構造は鋼製で、有蓋車同様に内部に内張板が張られた本格的造りとなっています。自重0.42tで、床面が船底形になっているのは コロを入れて人力で小移動できるようにするため。
貨車への荷役方法はクレーンにより無蓋車に積載します。
このイ号コンテーナーは、高付加価値の貨物用に特定顧客に重宝されたようですが、回送運賃が高く付き 機械荷役の手間もあるので、増備はされず、一般に広くは普及しませんでした。
失敗作では無いのですが、戦時体制に移行する中で ロ号やハ号と共に昭和14年(1939年)に運用は廃止となりました。
塗装は実のところ不明なのですが、イ71号の写真では濃い色で白文字、イ83号の写真では薄い色で黒文字となっていますので、途中でイメチェンしたのでしょう。
絵は、濃い方はまあ順当に黒に、薄い方は宅扱や通運を意識して黄燈色に塗っときました。
また 上記の歴史から、イ号コンテーナーの似合う無蓋車って意外と少なくって、観音開き無蓋車と組み合わせるのが一番しっくりします。トム5000形に載せた姿を描きましたので、貨車の絵 その2を参照してください。
国鉄 ロ号コンテーナー/ハ号コンテーナー
イ号コンテーナーが開発される前年の昭和5年(1930年)には 木製で100kg積のコンテーナーが試作されていて、運用結果を受けて 昭和7年(1932年)から荷重150kgの各種コンテーナーが本格導入されました。
荷重は同じながらも寸法の違いで形式が分けられ、高さ624mm幅856mm長さ1116mmのものをロ号に、高さ773〜800mm幅570〜610mm長さ860mmのものがハ号となりました。増備はハ号によったので、ハ号は瓶など縦長の貨物に対応するために 改良したという感じでしょう。
このロ号、ハ号コンテーナーは人力で移動でき、有蓋車に積載される いわゆる“通い箱”でイ号とはコンセプトが若干異なりますが、好評をもって迎えられ成功しました。
そのため昭和13年(1938年)まで多量に増備されて材質は様々あり、まずロ1形(200個)が木製。ロ201形(500個)がベニヤ板鋼板張り製、ハ1形(820個)、1000形(980個)、2000形(1000個)、3000形(600個)、4000形(620個)が全鋼製。ハ5000形(50個)、5100形(400個)が竹製ズック(帆布)張りです。
形式は多岐に渡るものの、このサイズの絵で描き分けられるほどの差異はありません。
なお、持ち手はロープですが、コシのある縄だったようで、ほとんどの写真で絵に描いたように立っています。
最初は好調だった国鉄の戦前のコンテーナー輸送ですが、戦時の色が濃くなると、こんな こまごました商売はやってられなくなり、輸送業務の煩雑を避けるために 昭和14年(1939年)に国鉄はコンテーナーの営業を廃止としました。
国鉄 300形 0.3t冷蔵コンテナー
戦後、世情が安定しだすと、通運を中心に小形コンテナの再導入が始まりました。
国鉄では 昭和26年(1951年)に 札幌鉄道管理局でA形コンテーナーというものを10個運用したそうですが、詳細不明です。
昭和30年(1955年)には、300kg積冷蔵コンテナの10形と 600kg積冷蔵コンテナの20形が各々10個試作されました。
昭和31年(1956年)に300kg積の方が量産化され、30個製作されました。この形式は時期により10形の続番だったり、300形を名乗ったりしています。
構造は可搬式冷蔵庫と言え、ハンドリフトと一体になっており、有蓋車にスムーズに荷役できます。氷で保冷し、鮮魚や写真フィルム等を運んだようです。
そののち、昭和49年(1974年)10月に国鉄の小口扱貨物が廃止されるまで、地味ながらも営業に活躍していたようです。
国鉄 3000形 3tコンテナー
戦後になると国鉄は トラックの台頭に危機感を抱くようになり、ドアtoドアの輸送ができるコンテナに着目し、戦前と同じく無蓋車でのコンテナ輸送を考えました。
そこで登場したのが国鉄3000形コンテナーで、昭和30年(1955年)に基本形5個(3001〜3005。)、昭和31年(1956年)に車輪付きが5個(3006〜3009と、通風形3010。)作られました。
また、このコンテナーに対応する無蓋車として、トラ30000形が用意されました。
無蓋車への積み込みはフォークリフトかクレーンによりますが、トラック荷台や貨物ホームから転がして積載できるように、車輪付きも製作されました。
無蓋車への固定は、西ドイツ国鉄の方式を模倣したターンバックルによるものを想定していましたが、試験の結果、通常の転動防止貨物と同様の 止木と針金緊締による方法に落ち着いたようです。
3000形コンテナーは3tと公称していますが、のちの国鉄コンテナと異なり これは総重量(荷重+自重)で、荷重は2.5t(設計時は2.2t)です。
また、同時期には日本通運でも有蓋車・無蓋車積載用のコンテナーを各種開発していますが、右端絵のように国鉄3000形と同じものも試用していたようで、日通の「荷役はかわる」っていう昭和33年(1958年)の広報映画に ちらっと写っています。
憶測の域を出ませんが、通常 日通のカラーは黄橙色で、トラックから荷役機材に至るまで黄橙色に塗られていたのですが、このコンテナーは国鉄3000形コンテナーと区別するために仕方なく灰色を採用した可能性もあります。
そして、このコンテナーが有蓋車積載のND形2tコンテナに進化して、さらにUM9A形とのNE形式親子コンテナに発展したとすれば、国鉄3000形コンテナーの系譜は今に生きていると言えるでしょう。
3tコンテナーの輸送試験は試行錯誤しながら数年間続けられましたが、荷重2.5tでは輸送単位が小さくなったので計画を見直し、本格的コンテナー輸送は5tコンテナに移行しています。
もともと、このコンテナーは、戦前のコンテーナーのような通い箱的使い方のコンセプトを受け継いでいたようで、内部に取り外し式の棚があります。
そのうえで、大形化を図ったようですが、当時の輸送需要や貧弱な荷役機械を考慮して 総重量3tとしました。
ところが、思いのほか戦後復興が早くて、今後、無蓋車や有蓋車積載の小形、中形コンテナーは荷主や通運に任せて、国鉄は5t大形コンテナをやるという判断で方針転換し、このコンテナーは試作に留まったのでした。
※トラ30000形については貨車の絵 その2を参照してください。
日本通運 50000形 4.5t 有蓋コンテナー
日通は 戦後の混乱が落ち着くと、有蓋車に積載する通い箱方式の小形コンテナや、無蓋車に積載するタンクコンテナ等を 多数開発して運用するようになりました。
日通では 国鉄と同時期に中形大形汎用コンテナについても研究を重ね、昭和33年(1958年)に富士重工で6個製作されたのが、この4.5t有蓋コンテナーです。
言ってみれば国鉄の3000形3tコンテナー後期形を倍寸にしたもので、断面形状は同じ。自重0.95tで総重量は5.45t。中途半端に感じるサイズですが、無蓋車やトラックへの積載を考慮したジャストフィットな寸法です。
国鉄が5tコンテナの導入に踏み切ったので、このコンテナは増備されませんでしたが、後の国鉄5tコンテナの開発に技術が生かされたそうです。
なお、モノクロ写真しかないので絵の色は想像です。トラ30000形に載せた姿を描きましたので、貨車の絵 その2を参照してください。
国鉄 5000形5100番代 妻一方開き 有蓋コンテナ
上記 3000形コンテナーの試行を経て、昭和34年(1959年)に5000形5tコンテナが10個試作され、各種試験が行われました。
5tコンテナの構想自体は、まだ3000形コンテナーを試用中の昭和33年(1958年)には 新幹線計画と絡めて検討中の旨、当時の部内紙に書かれています。
そこで、当時の5tコンテナの長さは 将来の新幹線への横積積載を考慮して3300mmとされ、チキ5000形に5個積載する事になりました。
最初の5tコンテナは東急と富士重工に10個づつ(各々鋼製7個、アルミ製2個、木製1個)が試作発注され、5000形を名乗りました。
そしてその鋼製試作形をベースに、同年中に 東急車輛で量産試作されたのが、5000形5100番代有蓋コンテナです。
東急製は何といっても亀甲模様のプレス外板が特徴で、新しく始まる国鉄コンテナ輸送の宣伝に もってこいでした。
ただ、この構造は破損の際の修理が難しかったようです。
※コンテナ車については貨車の絵 その5及び貨車の絵 その11を参照してください。
国鉄 5000形5500番代 妻一方開き 有蓋コンテナ
東急製5100番代と同時発注で 富士重工によって量産試作されたのが 5000形5500番代有蓋コンテナです。
東急製と同数の165個が作られましたが、これは競作であり、国鉄では あと一歩 煮つまらないコンテナの構造について 両社の良いとこ取りを考えていました。
富士重工製はシンプルな外観が特徴で、屋根肩に若干の丸みがあります。
なお、初期の国鉄5tコンテナの塗装ですが、黒い貨車の中にあって圧倒的に明るい色の淡緑3号としてPRしています。
しかし当時は塗料の性能が悪く すぐに色あせてしまったため、昭和39年(1964年)製のものから黄緑6号に変更し、従来色の5000・6000・7000形も昭和40年(1965年)には塗り替えられています。
国鉄 6000形 妻一方開き 有蓋コンテナ
コンテナ輸送の本格展開にあたり、国鉄5tコンテナの完成形として昭和35年(1960年)から量産されたのが、6000形コンテナです。
5180個製作で、側面上部肩に通風口があるのが特徴です。
右絵は雨漏りのため通風口をカバーしたタイプで、この改造は淡緑3号時代に既に見られます。
なお、初期の国鉄コンテナに見られる「戸口から戸口へ」の表記は、コンテナ輸送で先行していた西ドイツ国鉄のコンテナに書かれていた表記を訳しただけの 完全な模倣です。
国鉄 7000形 両側開き 有蓋コンテナ
初期の国鉄コンテナは妻扉一方開きが普通で、これは当時のトラックの使用方法に由来していると思われます。
つまり、昔はトラックと言えば無蓋で、屋根が必要な場合は幌を張ります。
幌を張るという事は、構造上 開口部は後端となり、荷役施設もそれに適したレイアウトとなります。
当時は能力的にもトラック1台にコンテナ1個が主流でしたから、必然的にコンテナも妻開きになるわけです。
が、鉄道貨車は当然の事ながら側開きであり、有蓋車をコンテナに置き換えようと思い至った時に、側二方開き(両側開き)の7000形コンテナが登場しました。
昭和37年(1962年)から200個の製造で、主に支線区の小口混載輸送に使われ コラ1形との組み合わせが似合います。
国鉄 R10形(100形) 妻一方開き 冷蔵コンテナ
国鉄R10形は昭和35年(1960年)の試作を経て昭和40年(1965年)から量産された冷蔵コンテナです。
設計的にはレム1形冷蔵車の構造を応用したもので、一般コンテナと同じく妻一方開きです。
製作期間が長かったため 構造や塗装にバリエーションがあり、また、当初は100形を名乗りましたが 途中でR10形に改番されています。
国鉄ではのちに私有コンテナ制度を作り、後継冷蔵コンテナは私有で まかなわれています。
国鉄 C10形 妻一方開き 有蓋コンテナ
国鉄C10形有蓋コンテナは、6000形コンテナの後継として昭和41年(1966年)から量産の国鉄 主力コンテナです。
コルゲート鋼板を使用しました。
また、大型フォークリフトの無い駅へコンテナが進出するにあたり、クレーン荷役に対応するために側面上端に吊り金具(フック掛け)が設けられ、全体の構造も強化されています。
ちなみに、この頃までの5tコンテナには側面端中頃にフックが付いていますが、これは緊締装置の無いトラックの荷台に積載した時にワイヤーを掛けるためで、現在のように専用トラックが揃っていなかった状況がうかがえます。
国鉄 C11形 側妻三方開き 有蓋コンテナ
国鉄C11形有蓋コンテナは、7000形コンテナの後継として昭和41年(1966年)から量産されました。
ただし、こちらは使い勝手を考慮して妻扉も開く側妻三方開きとし、クレーン荷役用吊り金具も備えて 大変使い勝手の良い箱となりました。
C11形は主力コンテナが12ftのC20形に移行した後も作られ、そのため塗装が2パターンあります。
国鉄 C12形 妻・屋根開き 有蓋コンテナ
コンテナ輸送の発展により、機械や石材等の重量物の積載のために天井の開くコンテナとして昭和41年(1966年)に誕生したのが C12形コンテナです。
屋根の展開はスライド方式で約8割開口し、また妻扉も開くので安心してクレーンで重量物を積み込めます。
また、このコンテナ自体もクレーンで吊り上げる事を考慮しており、脚部にそのための折り畳み式吊り金具を備えています。
内装は積荷の性格上 内張板が省略されており、どちらかと言うと屋根付き無蓋コンテナに近い存在です。
このコンテナは 古い登場時期にもかかわらず特定の荷主から人気があり、JR化後もしばらく現役であったのが特筆されます。
国鉄 R13形 側妻三方開き 冷蔵コンテナ
R13形は、R10形が冷蔵コンテナの主力として増備されるなか、昭和45年(1970年)に登場した側妻三方開き冷蔵コンテナです。
当時 釧路から東京への鮮魚輸送の高速化が考えられましたが、遠距離のため 冷蔵車では空車回送の無駄が大きく、コンテナ化が図られました。
冷蔵車は高床ホームで荷役するものであり、側扉としたものです。
ただ、欲張って妻扉も開くようにしたため保冷性能はいまいちだったようです。
国鉄 C20形 妻一方開き 有蓋コンテナ
C20形コンテナは コキ50000系と同時に開発された妻一方開きの汎用コンテナで、一貫輸送や20ftコンテナとの整合性を考慮して大形化し、T11型標準パレット(1100mm×1100mm)が6枚収まるようになりました。
長さは従来形式の3300mmから3658mm(12ft)と長くなり、この影響でコキ5500形及びコキ10000系の積載量減少を伴う5t緊締装置の移設改造が発生しましたが、荷主からは好評をもって迎えられ、昭和46年(1971年)から鉄道コンテナ最多の37934個が製作されています。
※もっとも、コンテナは貨車に比べ寿命が短く、初期生産分を後期生産分で置き換えているので、同時にこの数が在籍していたわけではありません。
このサイズのコンテナは国鉄では2種規格とし、従来のタイプは1種規格とされました。
なお、国鉄が12ftコンテナの導入を検証する過程で、コキ9200形試作車ではISO規格10ftコンテナと12ftコンテナを両方積めるようにしたため、なんやかんやで混乱し、以降、旧来の1種規格国鉄コンテナの事を、10ftコンテナと誤って記憶されるようになってしまいました。
また、そのことを知ってか1種規格コンテナをわざわざ11ftコンテナと言い換える人もいますが、そもそも誤りです。
ISO規格10ftコンテナ、国鉄1種規格コンテナ、国鉄2種規格コンテナのサイズ感の違いは、↓のとおり。
国鉄コンテナは、JR移行時は 国鉄表記とJNRマークのNだけを塗りつぶしたりして新生JRを祝っていましたが、しだいに更新整備され、また老朽化により徐々に廃止されていきました。
国鉄 C20形 妻一方開き 有蓋コンテナ(簡易通風)
C20形・C21形コンテナ簡易通風タイプは、九州や北海道の おいしい野菜を消費地に届けるためにJR発足初期に改造されたもので、読んで字のごとく簡単な通風改造がなされています。
これらは50000番代を名乗り、改造箇所こそ目立ちませんが、独自の塗装で各支社に所属していました。絵のものは九州支社タイプです。
国鉄 C21形 妻一方開き 有蓋コンテナ
C21形コンテナは、国鉄の“めまいのするほど”壮大な 貨物近代化計画の一端として検討された コンテナ自動荷役システムに対応するコンテナとして、C20形の上部4隅にISO規格の吊金具を備えたタイプです。C20形の白帯に対して、こちらは青22号の帯を巻いています。
コンテナ自動荷役システムとは、トラックが所定位置に着いたら勝手に巨大な門型クレーンが動きだし、所定のコンテナを認識し、コンテナを吊り上げ、コキ車の所定位置に積載する。コキ車の方もコンテナ自動緊締装置を装備していて・・・。という、1文字数字を打ち間違えたなら・・・、緊締装置の一つにでもゴミが詰まって作動不良なら・・・、結局人手が掛るという素敵なシステムで、1970年代に真剣に考えられていたものです。
もっとも、C10形以前のコンテナには フォークリフトの無い地方駅での荷役用にクレーン用の吊金具は備えられていたので、C21形はこれらの後継として無駄な存在ではなかったと思われます。
自動化計画破綻後はC20形と混用されて活躍しました。
国鉄 C95形 妻一方開き 保冷コンテナ
C95形コンテナは、C20形の内部に断熱材を装備したタイプで、昭和52年(1977年)に登場しました。
塗装は熱を反射する白と、青22号で明るいイメージに。
保冷コンテナは冷蔵コンテナ程の能力はありませんが意外に需要があり、試作のつもりで形式に9を入れたのが そのまま量産となりました。
以後 同様の構造で私有保冷コンテナも作られています。
日通 ND形コンテナ
このコンテナは日通が引越便等の輸送に使用した小形コンテナのうち、有蓋車に積載して使われたものです。
当時は既にコンテナ車全盛時代でしたが、通運が混載便輸送用として傭車したワキ10000形やワキ50000形がコンテナ特急に併結されていましたので、これに積み込まれました。
形式のNDの意味は 日通のD形という意味だと思われ、次にNE形へ発展したことを考えると、過去にNA〜NC形もあったのかもしれません。
なお、同クラスのトラック便輸送用としてM形があったようです。
国鉄 C31形 側妻二方開き 有蓋コンテナ
C30・C31形コンテナは、国鉄末期の車扱貨物のコンテナ化により ホーム上荷役が増えたためにC20形・C21形に側扉を設置したもので、C30形が改造、C31形が新製ですが、両者ほぼ同じものです。
昭和58年(1983年)登場なので、JRでの活躍の方が長いです。
国鉄 C35形・C36形 側妻二方開き 有蓋コンテナ
C35形コンテナは、国鉄末期のヤード集結貨物の全廃により離れていく荷主を 少しでも鉄道につなぎ止めようと、昭和59年(1984年)から2年間に11600個も作られた側妻二方開きコンテナです。
当時の国鉄はジリ貧であったため 従来の設計基準を洗い直し、国鉄工場の余剰能力を活用し 徹底的に製作費を抑えています。
コンテナブルーキャンペーンと銘打って、イメージチェンジでコンテナの色も青22号に変えました。高さは2438mmと少し高くなっています。
が、内張板を省略してしまったのは 室内が蒸れて やはり失敗で、昭和61年(1986年)の量産は、外見まったく同じで内張付のC36形(7500個製造)に移行しました。
国鉄最末期の登場なので、JRでの活躍の方が長いです。
私有 NC1形 側妻二方開き 有蓋コンテナ
NC1形コンテナは、昭和60年(1985年)の5tコンテナの私有開放施策により 国鉄C31形をベースとして誕生した日通所有のコンテナです。
正確には、国鉄に お金が無いので、後日国鉄が買い取ること前提で 民間資本で汎用コンテナを作ってもらったものです。
が、JR移行後すぐにJRが購入したため、JRでの活躍の方が長いです。のちに全面塗替えられたため、他の国鉄タイプのコンテナと見分けがつかなくなってしまいました。
私有 ZC1形 側妻二方開き 有蓋コンテナ
ZC1形コンテナは、NC1と同じ経緯で 国鉄C35形をベースとして誕生した全通所有のコンテナです。
やはり新製数年でJRが買い取ってます。のちに全面塗替えられたため、他の国鉄タイプのコンテナと見分けがつかなくなってしまいました。
私有 UC1形 側妻二方開き 有蓋コンテナ
UC1形コンテナは、昭和60年(1985年)の5tコンテナの私有開放施策により 国鉄C35形をベースとして誕生した私有コンテナです。
所有者はいくつかありますが 絵は佐渡汽船所有のもので、書いてある文字は、「佐渡が島への貨物輸送はコンテナでどうぞ! 一旦停止し、フォークを差せ 直江津港(黒井駅)⇔小木港新潟港(沼垂駅)⇔両津港・・・・・・」で、電話番号まで書かれています。
国鉄 C40形 側妻二方開き 有蓋コンテナ
C40形コンテナは、5tコンテナ大形化の試作を兼ねて、国鉄最末期の昭和61年(1986年)に100個作られた側妻二方開きコンテナです。
積荷にタバコの段ボールを想定し、高さを限界(2500mm)まで高くし、従来より1段多くタバコ段ボールを積めます。
汎用コンテナとして使い勝手がいいサイズで、JR5tコンテナへの橋渡し的存在と言えます。
私有 NC2形 側妻二方開き 有蓋コンテナ
NC2形コンテナは、タバコの段ボールの積載効率アップのため昭和61年(1986年)に登場しました。国鉄C40形の私有版です。
タバコは香りの商品なので、匂い移りを防止するためにコンテナを限定して運用するのが望ましいです。
JR 18A形 側妻二方開き 有蓋コンテナ
18A形コンテナは、昭和62年(1987年)のJR貨物創業時に2500個が作られた 側妻二方開きコンテナです。
基本的にはC40形コンテナのマイナーチェンジ量産版で、高さは2500mm。青22号にクリーム色の帯が入りました。
平板な外見と明るい塗装は、折からの自然環境保全意識の高まりもあり、鉄道コンテナのイメージアップに大きく貢献しました。
JR 18C形 側妻二方開き 有蓋コンテナ
18C形コンテナは、18A形の増備として 床面を下げて容積を拡大した側妻二方開きコンテナです。
昭和63年(1988年)に6500個が製作されました。
なお、この頃からコンテナは国際入札品目に指定されてしまい、外国製コンテナも導入せざるを得なくなりました。
海外メーカーは海上コンテナの製作実績はありますが、開口部が多く構造が全く別物の日本の鉄道コンテナの製作ノウハウは無く、性能は劣ると言わざるをえませんでした。
当初は それら輸入コンテナのメンテナンスに苦労したようですが、現在は ようやく外国製コンテナも ある程度品質が向上してきたようです。
JR 18D形 両側開き 有蓋コンテナ
18D形コンテナは、従来のコンテナより長さをギリギリまで伸ばして ビール用パレット8枚積みを実現したコンテナです。
ビールは従来 専用線車上荷役だったので、両側開きとなりました。
18D形式は平成元年(1989年)に開発されましたが、汎用として使い勝手が良く 23600個が量産され、初期JRコンテナの中心的存在となりました。
ただ、コンテナ車に積んだままの車上荷役ならともかく、汎用コンテナにしては急に長さが長くなったため、登場当時は「左右間隔が狭くてコンテナ車に積みにくい。」と、フォークマンから苦情が出たりしました。
両側開きコンテナが平成になって急に 持てはやされるようになったのは、トラックの荷役設備が やっとパレット向きの設備に整備されたからだと思います。
7000形コンテナの所で書きましたが、トラックは従来後部から荷役するものでしたが、この頃は ウィングボデーのトラックが増えてきた時期でもあります。
以降のJRコンテナは両側開きが主流となりました。
なお、従来のコンテナは検査票挿しが両側面にありましたが、C35形式辺りから片側面に省略されました。この片側面に残された検査票挿しが、18D形式以降は重要な役目を持ちました。
それはコンテナの向き(部位)を知る際の目印で、従来の妻開きのコンテナは妻扉のある方が後位でしたが、JR以降は 検査票挿しのある方が4位と決まっています。
日通 NE形/NEL形2tコンテナとUM9A形 アダプター無蓋コンテナ
JR移行後、JRのワキを使用した日通の混載便輸送のコンテナ車化の方針により 平成元年(1989年)に開発されたのが、NE形2tコンテナとUM9A形 無蓋コンテナです。
見ての通り、NE形は上で紹介したND形コンテナによく似ていますが、コンテナ車に積載するためのUM9A形アダプターパレットコンテナに親子コンテナ状態にできるように 脚部に緊締金具を内蔵しています。また、ND形に比べ全高と幅も少し大きくなりました。
NE形は妻1方開きですが、続いて側妻2方開きのNEL形も仲間に加わりました。
日通のUM9A形は分類上は無蓋コンテナで、2tコンテナを固定するツイスト緊締装置を備えています。また、回送の際は6段まで重ねて輸送できます。
当初NE形/NEL形は2トンコンテナと呼ばれていましたが、JRに合わせて最近は6フィートコンテナと呼ぶようになりました。
NE形/NEL形は、現在も引越貨物他に良く利用されているようで、マイナーチェンジをしながらUM9Aともども 時々増備されています。
JR 19A形 両側開き 有蓋コンテナ
平成6年(1994年)に製作された19A形コンテナは、18D形をベースに さらに床面を下げ 幅をギリギリまで広げた両側開きコンテナです。
19A形式は 容積が19立方メートルになったのが最大の売りで、大いに宣伝されました。
が、幅がトラック輸送時に制限を受けるため、製作は1001個に留まり、少し幅を狭めた19B形に製作が移行しました。
塗装はイメージアップを狙ってワインレッドと黒のツートンになりましたが、帯熱しそうな色ですね。
また、某広告代理店の勧めで 新たにJRFのロゴマークが制定されましたが、JRグループの一員である事を強調するより、JRFという物流会社であるという事を強調するうえでは良い事だと思います。定着すればよかったのですが・・・。
JR 19B形 両側開き 有蓋コンテナ
19B形コンテナは、19A形の欠点である幅を少し狭め 運用しやすくしたもので、平成6年(1994年)から4640個が製作されました。
塗装はワインレッド一色に変更されました。
なお、19B形には19C形の見込み生産分を新古品として採用した5000番代が上記の他に50個存在します。構造は19C形のセキ板を撤去しただけです。
19B形の容積は18.7立方メートルで、形式には18が適当と思われますが、約19立方メートルだから19らしいです。
左の絵がオリジナルで、右の絵は内張板を張り替えて、外装を再塗装したリニューアル仕様。
しかし、再塗装したところで腐食や防水機能の劣化は直らないので、最近は外部塗装に手を加えずに、内張板のみを更新しています。
それでもやっぱり コンテナの寿命が延びるわけではありませんので、JR貨物では コンテナを新製後10数年で計画的に新陳代謝させているようです。
コンテナは用廃後も頑丈な物置きとして売れるので、無駄にはなりません。
JR 19D形 両側開き 有蓋コンテナ
平成7年(1995年)1月、阪神・淡路大震災が発生しました。
この時、JR貨物は船舶代行輸送をして輸送力を補ったのですが、JRコンテナは船舶へのクレーン荷役で手間が掛る事が分かりました。
そこで災害に備えて、以後の新製コンテナにはISO規格と同じコンテナ隅金具を取り付けて、クレーンで吊りやすいようにする事になりました。
現在は JR貨物も幾多の災害を乗り越えて輸送障害時の代行手配のノウハウも確立し、通年で一部区間で船舶輸送を利用するなどして 災害に備えています。
19D形コンテナは、19B形にコンテナ隅金具を装備したタイプで、平成8年(1996年)に登場しました。
このコンテナ隅金具はJR20ftコンテナと基本的に同じものですが、上部のものは側面に穴の無い簡易形となっています。
また、コンテナ隅金具の導入は 将来 コンテナ緊締装置をISO規格に統一するための布石でもありました。
その後19D形は、両側開きコンテナの決定版として メーカー間の仕様の統一とか、価格抑制のための工夫とか目立たないマイナーチェンジを繰り返しながら量産を重ね、現在は古い19Dを新しい19Dで置き換えている感じです。
外観の変化で目に付く部分では、19D形の生産途中からフォークポケット下に下枠が追加されました。
これはフォークポケット下板という名称で、フォークリフトの操作ミス(チルト不足やバウンド)によるコンテナ落下事故を防ぐためのものです。
しかしこの枠は かえってフォークが引っかかりやすく、邪魔だというフォークリフトオペレーターの意見もあり、また、実際に曲損しやすいです。
最近製作のコンテナは、この部分の板厚を増して強度を上げています。旧タイプのものは破損したものが青函トンネルで落するのを予防するため 撤去されました。
なお、増備途中で80000番代のものが見られますが、これは調達方法の違いにより区分されたもので、同時期製作のコンテナと設計上の差異はありません。
右から2番目の絵は平成21年(2009年)に50個製作された「鉄道コンテナ50周年記念カラー」の箱です。
右端の絵は平成26年(2014年)から製作の最新仕様。
海上コンテナの考え方を取り入れ、過剰な広告装飾を排除し 小さなパーツを一つ一つを吟味し省略するなど 徹底的な製作コスト削減を図ったため、シンプルな外観になり、かつ再びJRのブランドイメージを前面に出したものです。装飾シールを貼るのも お金が掛かるのです。
コンテナは 輸送のための機能が維持されていれば、それで良いのです。しかし なぜかエコレールマークは存置されています。
ちなみに現行のJR12ftコンテナの総重量は6.8tですが、実はコンテナ車の荷重には余裕があり、またフォークリフトも8tまで扱えるので、特認で総重量7.8tまでいけます。
ただ、汎用コンテナの床板は木なので、ボックスパレットの脚でドッカンされると強度不足が心配ですが・・・。
最近は5トンコンテナという呼び方は減り、12フィートコンテナという呼称が用いられるようになりました。
JR 19C/19E形 荷崩れ防止装置付き 両側開き 有蓋コンテナ
18D形以降、コンテナの床面積が増えたのですが、荷物を沢山積める利点があるものの、別の問題が発生しました。
それは、従来 C20形とかではT11型標準パレットに合わせて作られていたのですが、その後の12ftコンテナは床面積が大きいので、T11型パレットでは 当然隙間が大きくなってしまったのです。
荷物に隙間ができると荷崩れしますので、ストレッチフィルムやエアバック等の各種緩衝材や ラッシングベルトでしっかり荷物を固定(養生)しなくてはなりません。
隙間が大きければ大きいほど 沢山の養生材が必要ですし、養生に手間取るようなら、パレット化しないで手積みの方が良い という結果になりかねません。
そこで全国通運連盟が中心となって開発したのが、コンテナに荷崩れ防止パネル(セキ板)を吊り下げる方法で、これを装備したJRコンテナとして平成8年(1996年)に19C形が400個製作されました。
さらに平成9年(1997年)にはコンテナ隅金具装備に設計変更した19E形が500個 生れています。
外見は19C形は19B形と、19E形は19D形と まったく同じです。
荷崩れ防止パネルの仕組みは 絵に描いたように天井レールに沿ってプラ板が移動し、適当な所で 間に適宜の長さに調整した突っかえ棒で固定するというものです。
なお、突っかえ棒の長さ調整はピンを差してします。
左絵を見てのように 19C,19E形は セキ板格納時にデットスペースができてしまうため、セキ板を通年使うような荷主を 往復で組み合わせて選ばなくては 非効率です。
それに、基本的には養生材は荷主が用意すべきものであり、これらの箱は 特定顧客向けの限定運用になっていました。
また、自重増加を抑えつつ 重いセキ板を屋根に吊り下げているため 設計に無理があり 老朽化が早く、現在は全廃されています。
JR 19F形 側妻二方開き 有蓋コンテナ
19F形は、18C形以来久しぶりに作られた側妻二方開きコンテナです。
C30,C31,C35,C36形等の置き換え用として、平成11年(1999年)から2425個が作られました。
構造は なぜか隅金具は装備せず、19B形に準じています。
製造メーカーによって外見が大きく異なるのが特徴ですが、これはコンテナ設計図が製造メーカーの企業秘密なために、メーカー毎の試行錯誤がそのまま あらわれたものです。
JR 19G形 側妻二方開き 有蓋コンテナ
19G形は、19F形に隅金具を設けたもので、平成13年(2001年)から量産され、現在も19D形と共に増備されました。
JR 20B/20C/20D形 有蓋コンテナ
20B,20C,20D形は、それぞれ特定顧客向けに製作された全高2600mmの背高コンテナです。
全高2600mmと 背が高いので、基本的にはコキ100系に積載するのが前提で、コキ50000形に積む場合は運転線区が限られます。
20B形は、平成11年(1999年)に作られた側妻三方開きコンテナで、簡易通風器付き。
当初製作の150個は妻扉が複雑な構造で、それを普通の構造に戻した1000番代が75個作られました。
20C形は、平成14年(2002年)から製作の両側開きコンテナで、500個製作。
20D形は、平成18年(2006年)と平成25年(2013年)に製作の両側開きコンテナで、20C形に簡易通風器を付けたもの。450個製作。
これら20系列は配置駅が決まっており、前記したように特定顧客向けに運用されています。
背を高くすると 5tコンテナの総重量6.8tのなかで 自重増加を許容するか、多少強度を落としても部材を薄くするか、もしくは製作費が嵩んでも軽い素材を使うかのジレンマに陥りますが、メーカーの設計の腕の見せ所でしょう。
実際に 20形コンテナシリーズの中でも 特に開口部3ヶ所の20B形は、特殊仕様で板厚を薄くして自重増加を抑制していたので 他のコンテナに比べて老朽化が早やかったです。
で、当初は特定顧客向けでマイナーな存在だったJR20系列コンテナですが、平成30年(2018年)になって流れが変わります。
その年のダイヤ改正で、コキ50000形が定期運用を終了し、コンテナ列車がコキ100系列に統一されたため、20系列の運用制限がなくなったのです。
そこでJR貨物は、今後の汎用コンテナの量産は背高タイプで行うこととし、両側開きの19D形式の後継は20D形式によることとしました。
コンテナを背高とすると、たとえ嵩高貨物でなくても コンテナにフォークリフ荷役する時に楽です。
このタイプは汎用なので簡易通風口は無く、時代に合わせ↑のように、外見がシンプルになりました。
19D形の解説でも書きましたが、コンテナはたくさん用意しなければならないため、徹底的な調達コスト削減が図られています。
最近の汎用コンテナ・・・20D形20G形で目に付くのは、背高コンテナの上辺白帯が省略されてきている事。
調達側としては白帯は全廃したいところですが 使用者側としては必要なものなので、折衷案としてまず妻側の白帯が消され、さらに最近は側扉のカム軸内側の帯が省略されるようになりました。
これは白帯のシールの材料費というより、施工単価が1枚何円となっているため、貼る枚数を少しでも減らして1円でもコスト削減をしているのです。
なお、令和になってから20D形に限らず12ftコンテナの脚部3センチほどを黄色く塗るようになりました。これはコンテナが12t緊締装置にうまく載らなかった状態(アグラ)の時に、コンテナ脚部が3センチほど浮くのを 隣のコンテナとの差異で見つけやすくするためのものです。
JR 20E形/20G形 側妻二方開き 有蓋コンテナ
20E形は、平成26年(2014年)から製作の背高側妻二方開きコンテナです。
従来の背高コンテナは、主に特定顧客向けに作られ 運用されていましたが、20E形式は19Gコンテナの背を高くした汎用タイプです。
というのも、8ft6in(2591mm)ないし9ft6in(2896mm)の高さの海上コンテナが 普通に鉄道・道路輸送できているのに、JRだけ2500mmに甘んじているのは おかしな話で、汎用仕様として全高2600mmの背高コンテナを増備して、新規顧客の獲得を狙う事にしました。
もっとも、20E形も配置駅が定められていて、どちらかというと老朽化した20系列の置き換え用に活躍しています。
と、20E形は将来の汎用化を見越して150個ほど製作されたのですが、いざ19G形の増備として本格量産という段になって20G形に形式変更されました。
これは、現場からの「19G形式の後継であることを明確化してほしい。」旨の要望を受け入れたためです。
19Dの後継が20Dなら、19Gの後継が20Gだと とても分かりやすいのです。
この手の現場での分かりやすさは、事故防止上 非常に重要なもので、たとえばコキ車の手摺の形状が形式毎に違うのも、広い構内で遠目で判別できるようにとの配慮だったりします。
コンテナの場合は 荷主がコンテナの希望形式をオーダーするので、ユーザーに対しても分かりやすくする必要があります。
なお、従来の20E形は、わざわざ改番しないで引き続き運用されてます。
20D形も20G形もマイナーチェンジを重ねながら、今後も末永く量産されてゆく事でしょう。
次の形式変更の機会は、床板素材の変更か、内張板絡みでしょうか?当分 アルファベットが枯渇する心配はなさそうです。
なお、すべてのユーザーが背高タイプを欲しているわけではなく、倉庫の屋根が低いなど運用困難なケースもあるので、19タイプのコンテナも一定数は必要です。
JR 一般産業廃棄物用コンテナ
平成7年(1995年)に発生した阪神淡路大震災以降、JR貨物は静脈物流に力を入れる事になりますが、汎用コンテナで産業廃棄物を輸送すると、次に荷を積んだ時に臭い移りや汚損が問題となります。
そこで平成13年(2001年)からJR貨物は、老朽汎用コンテナを 静脈物流専用に変更して もうひと働きさせる事としました。
古いコンテナを用途廃止する基準は、防水機能の劣化(輸送の際の振動等で防水ゴムの隙間が広がり 雨水が入ってくるもので、地面に定置した場合は問題ない事がほとんどなので、物置として使える。)、構体の変形・腐蝕・穴あき、床板破損が主で、次いで内張板の破損ですが、このうち内張板破損や防水機能が怪しくなったものを、静脈物流用として形式を分けて運用するわけです。
産廃の荷姿はフレコンバッグやドラム缶が主ですが、結露や荷擦れ、濡損を気にする必要が無いため、コンテナの構体さえしっかりしていれば安全上問題なく輸送できます。コンテナ定期検査の際も、内張板等のメンテナンスは省略されます。
この静脈物流用コンテナは計画的に用途廃止と新規設定が行われていて、用途廃止の際はそのまま売却される事は無く、鉄屑として解体されます。
この静脈物流専用コンテナには運用識別のために元のコンテナ形式の頭にW(廃棄物=Wasteの頭文字。)が追加され、〇に環と書かれたシールが貼られます。「まるかんコンテナ」と通称されています。
産廃と言っても積荷は様々ですが、この箱で運ぶのは主にリサイクル原料のようです。
形式としてはC35形以降の主力汎用コンテナから選ばれ、最近は両側開きのコンテナが使われていますが、側妻開きコンテナを使っていた時代は バラ済み産廃をダンプアップ荷降ろしする使い方もあったようです。
JR W18F形 両側開き 高濃度PCB輸送専用コンテナ
このコンテナは産廃用といっても特殊用途の新造コンテナで、平成20年(2008年)に高濃度PCB輸送専用として10個が製作されました。
PCBとはポリ塩化ビフェニルの略称で、電気的絶縁に優れるうえ不燃性で熱にも強く、しかも劣化しないなど夢のような油で、変圧器やコンデンサなどの中に絶縁油としてタプンタプンに入れられていました。
PCBは1929年(昭和4年)に米国で開発され、日本でも昭和29年(1954年)から量産されましたが、昭和43年(1968年)に食用油にPCBが混入するというカネミ油症事件が発生しました。
そこでPCBの毒性が問題となり、しかも自然界で分解されないということで昭和48年(1973年)に生産や使用が禁止されました。
ところが、それら機材は老朽化で廃棄しようにもPCBの処理技術が確立していなかったため、とりあえず所有者に保管義務が課せられました。
そしてやっと平成16年(2004年)以降、国の出資で広域処理施設が全国5ヶ所に完成して、高濃度PCBの処理が始まりました。
このPCBには処理期限があるので、急いで、しかも安全に処理施設に運ぶ必要がありますが、生産されたPCB使用製品は膨大な数であり、その輸送の一端(室蘭の処理施設向け)をJR貨物が請け負ったわけです。
W18F形の製作当時は19Dコンテナの全盛期ですが、W18F形は内部をステンレス張りにして掃除しやすくし、万一にもPCBが外に漏れないように防水ゴムが3重になっているなど、JOTのURコンテナに近い構造となっており、容積も減っています。
積荷はインナーコンテナやPCB含有電気機器など重量勝ちなので、容積が少なくても問題ありません。
私有12ft 有蓋コンテナ
JR化以降も、私有の12ht有蓋コンテナが若干数製作されています。
紺色のは、日本通運が内航船と鉄道を 相互に気軽に使えるように製作したコンテナです。
基本的には、従来から日本通運が内航船用に使用する12ftコンテナ(このページの下の方を参照。)に JRコンテナの番号も付与・併記したものでR&S(レイルアンドシー)の表記があります。
海上コンテナベースなので、側一方開きのものもあります。
JR 24A形 両側開き 有蓋コンテナ
24A形コンテナは、貨車の絵 その11のコキ110形の解説でも書きましたが、汎用コンテナの大形化を模索するために試作された 荷重8tの15ftコンテナです。
平成13年(2001年)に10個が製作されました。
いろいろ試験輸送したところ、コキ110形以外の貨車や 従来のトラックには15ft間隔の緊締装置が無いため、アダプターとしてM12B形 無蓋コンテナが用意されました。
しかし いくら理想の容積のコンテナだとしても、現有のシステムを塗りかえるのは困難であり、結局 試験輸送に終わりました。
登場後 数年で すべて用途廃止済みです。
国鉄 V11形 妻一方開き 通風コンテナ
国鉄V11形は昭和43年(1968年)に登場の通風コンテナです。
旧来の通風車と同様に 鎧戸式の通風口が無数に開いており、必要に応じて内側からシャッターで閉ざす事もできます。
人気が高かったにもかかわらず、95個だけの製作で、以降は私有コンテナや簡易通風コンテナに移行しています。
私有 UV1形 側妻二方開き 通風コンテナ
UV1形 私有通風コンテナは 国鉄通風コンテナの代わりに作られたコンテナです。
国鉄時代の私有コンテナの常として、同一形式内に様々なタイプが存在します。絵はJR通風コンテナ設計の参考となったタイプ。
JR V18B形 側妻二方開き 通風コンテナ
国鉄からJRとなり、JRでは自前でも通風コンテナを持つことにしました。
V18B形は V18A形の床面を下げて容積を拡大したタイプで、側妻二方開きです。
昭和63年(1988年)に 3000個が製作されました。
私有UV1形ゆずりの通風機構は、ハンドルにより側面の箱状の部分が上下して通風経路を構成する仕組みで、箱状部分の内部迷路を外気が通過する事により、コンテナが水没でもしない限り雨水が入らないようになっています。
これは 従来の通風車や国鉄通風コンテナから格段に進化した方式で、通風口自体は小さいのですが 内張りに多穴合板を使用する事により充分に空気が循環し、閉じた際の気密性も高く、しかも断熱材を挟んでいるので 汎用のみならず簡易保冷コンテナとしても使えます。
絵は左から公式側 開・閉、非公式側 開・閉で、上段が初期仕様、下段が末期仕様です。
末期仕様は各種ペイント・シール類追加、IDタグ取り付け(荷票廃止)と、若干汚らしくなっています。
JR V18C形 両側開き 通風コンテナ
V18C形は 通風コンテナの両側開きタイプです。
平成2年(1990年)に 5400個が製作されました。
JR V19A形 両側開き 通風コンテナ
V19A形は 19D形式の設計要素を取り入れ、容積を拡大すると共にコンテナ隅金具を装備した両側開き通風コンテナです。
平成9年(1997年)に 1350個が製作されました。
通風口は1段減っていますが、通風能力には問題ないそうです。
JR V19B形 側妻二方開き 通風コンテナ
V19B形は 通風装置を室内から操作する内蔵形とした側妻二方開きコンテナで、V18B形の置き換え用として 平成15年(2003年)から製作されています。
外から通風口の状態が見れるように、閉鎖時は 開口部から白い板が見えるようになっています。
通風性能や、断熱性能は良さそうに見えませんが・・・どうなんでしょ?
JR V19C形 両側開き 通風コンテナ
V19C形は 平成18年(2006年)から製作の両側開き通風通風コンテナで、構造はV19B形に準じます。
V19A形の後継としても増備が進められ、また一般有蓋コンテナが背高の20系の量産に移行したのちも、マイナーチェンジされながら製作されています。
通風コンテナを背高で製作しない理由は、20C形コンテナの解説でも書きましたが、特殊仕様のコンテナで自重を1.8tに抑えるのは大変で、まして背高という要素まで盛り込むのは困難だからです。
また、一般の有蓋コンテナを背高で量産するのは良いのですが、一部顧客は構内等の事情で19シリーズを希望している事もあり、普通の有蓋コンテナとしても使える通風コンテナを19形で製作するのは理に適っています。
UV19A形 両側開き 私有通風コンテナ
12ft通風コンテナはJRが増備していますが、私有コンテナも一定数作られています。
UV19A形600番代 両側開き 私有通風 12ftハイブリッドコンテナ
このコンテナは、日本通運が内航船と鉄道に共通運用できるU19A形R&Sコンテナの、普及・本格量産版と位置付けられるようです。
通称ハイブリッドコンテナと言われ、北海道の青果物波動需要などに対応するため、簡単な通風装置を備えています。
色は2種類ありますが、構造に差異は無さそうです。
JOT UR17A/UR18A/UR19A/UR20A形 私有冷蔵コンテナ
日本石油輸送(JOT)では、JR貨物発足後 バブル景気の追い風も受け 冷蔵コンテナの大量投入をしました。
人々が裕福になると、高付加価値の輸送が求められるのです。
俗に「白コン」と言われる それら12ft冷蔵コンテナは、今ではJR私有コンテナの一大勢力に成長しました。
まず最初に作られたのが上のUR17A形で、側妻二方開きです。全高はJRの新コンテナに合わせて2500mmです。
帯色は 水色の他に緑色のものもありますが、何のために色分けしたのか不明です。内部構造とか用途の違いでしょうか?
なお、旧形式はUR4形でしたが すぐにUR17A形に形式変更されました。
次にJR19D形式と同じく 全長を伸ばしたUR18A形が作られました。
これには水色帯(緑帯)の0番代 側妻二方開きのタイプと、赤帯の10000番代 両側開きのタイプがあります。
私有コンテナはJRのコンテナのように細かく形式が与えられないので、仕様の違いを番代で区分しています。
UR18A形の増備は続きましたが、途中から妻面に開閉式換気窓を備えた 簡易通風タイプが登場しました。
側妻二方開きの20000番代となり、帯色は青に変わりました。
側面からは通風口が見えないので、識別のために JOTのロゴの下に 風の意匠が描かれています。
白コンは内部が全面ステンレス張りで、外板との間に断熱材が入っています。
そのため簡単には容積拡大が出来ないのですが、JRの19形式と同じく床板を下げたUR19A形が登場しました。
0番代が青帯の側妻二方開き。その冷蔵・通風兼用タイプが20000番代。
両側開きが赤帯で、基本の10000番代とその冷蔵・通風兼用タイプが15000番代です。
非通風タイプは 標準より若干幅を広くした規格外タイプです。
緑帯・羽根マークのものは両側開きの軽量化試作コンテナで、両側開き10000番代なのに なぜか寒色系に塗られています。
その後量産化されたものは構体を従来より ちょっとだけ(0.07t)軽量化し、0番代 水色帯/10000番代 ピンク帯でシャボン玉マークのものに移行しました。
その後期製造分は船舶代行輸送に備えて 下部にISO規格隅金具が付いています。ただし そこを使ってのクレーン荷役は禁止で、コンテナの固定のみに使用されるようです。
桜をあしらった帯の最新形は、積荷固定のラッシングリングを装備して 汎用性を向上しています。また、床板が木製のものも登場したようです。
側妻二方開きタイプは、雲を描いた帯のものが作られています。
最後に紹介するのは、背高のUR20A形。やはり0番代青帯・側妻二方開きが0番代、赤帯・両側開きは10000番代です。
コンテナ上部の赤帯やトラ柄帯で 背高であることを注意喚起しています。
URコンテナの場合 ただでさえ自重が嵩むので、背高コンテナの製作には工夫が必要で、おいそれと増備できません。おそらく特定顧客向けでしょう。
JOT UR16A形-70000番代/UR17A形-70000番代 スーパーUR 私有冷蔵コンテナ
俗にスーパー・ユーアールと呼ばれる日本石油輸送(JOT)の冷蔵コンテナは、通常の白コンよりも断熱性能を向上させたものです。
真空断熱パネルを使用し、断熱層が厚くなったため容積は減少していますが、従来 冷凍・定温コンテナで運んでいたチルド貨物の多くが このコンテナで運べます。
スーパーURは、今まで冷凍・定温コンテナをやっていた冷凍機メーカーが事業撤退した事を受け、その代替手段としても増備されています。
形式はURの70000番代となり、側妻二方開きのUR17A-70000番代と、妻一方開きUR16A-70000番代があります。
妻一方開きのUR16Aは平成23年(2011年)登場の新形式ですが、これはさらに保冷性能を高めたものです。
容積は減りますが、内部に冷気循環のスペースを作り 乾電池駆動のファンを装備して、ドライアイスによる冷却をより効率的にしています。
また、開口部を1つにして なおかつ扉内側にロールカーテンを備える事により外気の進入が制限しています。
UF15A形/UF16A形 私有冷凍(定温)コンテナ
国鉄からJRに移行間もない 昭和63年(1988年)。クールコンテナシステムと銘打って、鉄道による冷凍(定温)コンテナ輸送が始まりました。
これにはZG形電源コンテナとコキ50000形57000/57100番代の組み合わせによる集中電源方式と、コンテナ自らに発電機を内蔵した自己発電方式(分散式)が並行して導入されました。
このうち電源集中方式は、運用が煩雑で流行りませんでしたが、12ftと31ftタイプの電源分散式冷凍(定温)コンテナが普及しました。
↑左の絵が1990年代初期に活躍したものです。
ところが、平成22年(2010年)、その発電機搭載の定温コンテナのレンタル・販売をしていた内燃機メーカーが不況で事業撤退してしまいました。
これは業界の大事件で、しばらくはメンテナンス用の部品は供給継続されたものの、12ft定温コンテナの新規製作が困難となってしまいました。
エンジン付きの定温コンテナは エンジンと燃料タンクの分、室内容積が減るのが悩みの種です。特に12ftコンテナでは一般に15〜16立法メートルの室内容積しか確保できません。
31ft定温コンテナ等大形のコンテナは海外メーカーの冷却ユニットを使えば済むのですが、12ft定温コンテナに適合する出来合いの冷却システムは 良いものがありませんでした。
だからといって通運にとって12ft定温コンテナは必要で、老朽化したコンテナをいつまでも使うわけにはいかないので、仕方なくトラックのシステムを搭載して容積12立法メートルになってしまった形式が作られたりしました。
そんな苦難の時代を経て、通運やコンテナメーカーの努力で なんとか16立法メートル代の室内容積を確保して 平成30年(2018年)から量産されたのが右の絵タイプです。
なお、通信技術の発達で 最近の定温コンテナは常に状態監視・制御されながら運用されています。
UF16A形 私有定温コンテナ 氷感SO庫
この絵のUF16A形式は、氷感システムという特殊技術を用いた定温コンテナで、「氷感SO庫」の名が付いています。
通常、生鮮食品や花卉類は冷却していくと凍結しますが、その際、氷の膨張で細胞が破壊されて鮮度の維持には限界があります。
かといって冷やさないと腐ってしまうので、冷却の加減には特段の注意が払われてきました。
この問題を解決したのが氷感システムで、食材等に高電圧・定電流の静電エネルギーをかけて細胞を微振動させて、凍結温度でも素材を凍らせない「過冷却現象」というのを使っています。
この技術を使えば リンゴの鮮度が1年保つと言われており、すでに業務用氷感冷蔵庫として普及しています。
氷感SO庫は蓄電池式の冷凍機と氷感システムを搭載しているのですが、あまり上手くいかなかったようです。
国鉄 T10形 タンクコンテナ
国鉄T10形タンクコンテナは、植物性硬化油専用として昭和39年(1964年)から24個が登場しました。
コンテナ輸送黎明期に国鉄は すべてのコンテナを自前で揃える方針であり、輸送単位の小さい特定の積荷の タンクコンテナも用意しました。
植物性硬化油は マーガリン等の原料です。
積荷の性格からしてタンクコンテナは一般に寿命が長く、T10形もJRに継承されています。
ただ、国鉄の特殊コンテナの製作は昭和45年(1970年)に私有コンテナ制度がスタートしたため中止となり、タンクコンテナの主流は私有コンテナです。
国鉄 T14形 タンクコンテナ
国鉄T14形タンクコンテナは、鉱物油(塩化パラフィン)専用として昭和42年(1967年)から41個が登場しました。
タンクコンテナは積荷の比重により タンクの大きさが様々です。
こちらのタンクコンテナもJRに継承されています。
国鉄 H10形 ホッパコンテナ
国鉄H10形ホッパコンテナは、塩化ビニル樹脂専用として昭和41年(1966年)から登場しました。
ペレット(粒)状の樹脂を運びます。
国鉄のタンク・ホッパコンテナとしては異例の465個もが製作されました。
50口径20センチ砲砲身
日本海軍 93式魚雷
日本海軍 91式航空魚雷
パトカー
気象衛星 ひまわり(GMS型)
誰もが知っている気象観測衛星 ひまわりは、世界気象機関の地球大気観測計画に基づいて東アジア・太平洋西部を担当とする日本の静止軌道衛星です。
昭和52年(1977年)打ち上げの1号から平成7年(1995年)打ち上げの5号までは ヒューズ社量産品のスピン衛星に観測・通信機器を載せた構造で、GMS型と呼ばれています。
後半のものは観測機器の国産化率が高くなっていますが、米国のGOES 4号〜7号と準同型と言えます。
ひまわり6号からは新型のMTSATシリーズに移行しました。
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