貨車の絵 その10
これらの絵は 素材として使う事も考慮して描いているため、使用色数が少なく軽いのが特徴です。トロッコ等は小形鉄道車両のコーナーへ。
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なお、絵や解説文の根拠たる参考文献等は ここに記載しきれないので、直接私にメールか掲示板で問い合わせて頂ければ幸いです。また、基本的に解説文は作画当時に書いたものなので、情報が古い場合があります。
このページの絵は特記以外1ドット50mmで描いています。
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ツ1形 通風車
通風車とは、野菜・果物・苗・花卉(かき)等 その呼吸によって多量の蒸気を発生し、また発熱し、密閉空間において急速に腐敗・劣化が進行するような貨物を積むために作られた貨車です。
通風構造とする事により結露を防ぎ、また日光による蓄熱を防ぎます。
ツ1形は、ツワ22500形として大正5年(1916年)にワ19110形の改造で48両が生れたとされる 最初の通風車です。
と言っても、種車のワ19110形は大正元、2年(1912、1913年)製であり、ツワ22500形の形態は通風機構以外はワ17000形と酷似しているので、最初から通風車として作られて、とりあえずワ19110形を名乗っていたものの、配車上不便なので 通風車=ツを新たに制定して改番しただけなのかもしれません。
通風車とは名乗らないものの、通風構造を持つ有蓋車・有蓋緩急車は以前から存在していました。
車体の構造はワ17000形と同じく種車の縦張り式の側・妻板に、鎧羽目式の通風口を組み込んだものです。屋根にはトルペード形ベンチレーター。
荷重10トンで、昭和20年代初期まで活躍しました。絵は、列車の空気ブレーキ化後の昭和5年(1930年)以降の姿です。
家畜車は鉄道黎明期から、冷蔵車も明治41年(1908年)には作られているのに 通風車の登場時期がずいぶん遅いと思われるもしれませんが、もともと野菜類は地産地消が基本であったので 輸送需要が無かったのです。
青果を運ぶ場合は、家畜車などが使われていました。
ただ、文化レベルが向上するに従い、まずは各地の果物等特産品を長距離輸送する需要が生まれ、さらに都市の発展(国家と交通網の発達による地域ごとの役割分担の進展。)に従い このころから ごく普通の野菜を 農村から都市部へ運ぶ需要が生まれたのだと思われます。
ツ100形 通風車
ツ100形は、ツ1形に続いて大正6年(1917年)頃に三角屋根の山陽鉄道引継車 ワ7543形を改造して生れた通風車です。
当初の形式はツワ22550形で、荷重は10トン。147両改造。
通風方式はツ1形とほぼ同じですが、通風器は羽目板より出っ張っているようです。
絵は昭和4年(1929年)の車体表記変更後〜昭和6年(1931年)の空気シリンダ未装備車表記制定前の姿です。
ツ100形の生きた時代は、増トン工事に始まり、連結器交換、ブレーキ方式変更、車体表記変更、車票挿しの変更などが立て続けに行われていて それぞれの移行時期もあり 姿が安定しないので、絵を描くにも模型を作るのもやっかいです。
山陽鉄道引継の三角屋根の有蓋車は 国鉄では異端だったので多くが他形式に改造されましたが、改造後も整理の対象となり どれも寿命が短かったです。
ツ100形も昭和8年(1933年)頃には形式消滅しています。
ツ400形 通風車(登場時)
ツ400形は、12トン積の通風車として、大正9年(1920年)に余剰のフワ30000形を改造して作られました。
当初の形式はツワ22720形で、130両製作。
側板の通気方式は繊細なもので、一部側板を組木細工でよろい戸式に互い違いに組み合わせて、雨水が入らないように考えられています。
ただ、通気量が不足したのか、この通風構造は後に改造されています。
通風車は 換気性能ばかりが強調されがちですが、実は あまりにも外気温が高いと その熱が車内に流入して かえって積荷が加熱されてしまう危険があります。
そこで、屋根を2重構造として間に断熱材を入れて、直射日光で蓄熱しないようになっています。少なくともツ400形式には すでにこの構造が採用されています。
※ちなみに近年の通風コンテナでは側板の間にも断熱材を挟んで 簡易保冷コンテナとしても使えるような試みがなされています。
なお、絵に描いたような空気ブレーキシリンダー装備を示す白帯は、大正14年(1925年)8月〜昭和6年(1931年)2月まで書かれていました。
名古屋鉄道 ツ600形 通風車
沿線に常滑野菜等 農産品の産地がある愛知電気鉄道では、通風車を多数配備していました。
名鉄ツ600形(ツ601〜610号車)は愛電ツ600〜609号車の引継ぎ車で、大正11年(1922年)製の12t積車。
ワ610形(貨車の絵 その1を参照。)の同形車で、通風構造は木造有蓋車の側板を単純に間引いただけなので、雨は凌げません。
ただ、知多半島は土管に代表される常滑焼の産地でもあるので、雨に濡れても問題ない農閑期の陶器輸送にも活躍した事でしょう。
ツ600形には空気ブレーキは装備されず、昭和39年(1964年)まで国鉄乗り入れ車として活躍しました。
名古屋鉄道 ツム5500形 通風車
名鉄のツム5500形通風車は、元々は愛知電気鉄道で大正12〜14年(1923〜1925年)に製作されたワ5000形有蓋車の一員ですが、ワ5000形63両のうち10両は当初から透かし張り構造で作られており、これを昭和3年(1928年)の改番で正式に通風車ツム5500形としたものです。
愛知電気鉄道は昭和10年(1935年)に名古屋鉄道と合併してツム5500形もそのまま移籍。戦後に空制化されて昭和43年(1968年)まで活躍しました。
絵は左が愛知電鉄ワ5000形時代。右が名鉄晩年の姿です。
ツ700形 通風車
これまでの通風車は通風輸送専用でしたが、青果等はシーズンに偏りがあり、また帰り荷を運べた方が効率的なので通風・有蓋車兼用車が作られる事になりました。
通風車は空気流量を確保するため、開口部が多く 有蓋貨車の仲間ながら雨水が侵入しやすいのですが、通風・有蓋車兼用車は有蓋用途使用時に 通風口を塞ぐシャッターを備えています。
なお、有蓋車兼用車と似たような用途で、有蓋車代用という言葉もありますが、こちらは汎用有蓋車が足りなくて 仕方なく雨濡れ対策等を施した一般貨物を汎用有蓋車以外の貨車で運ぶ事です。
ツ700形は 昭和2年(1927年)に作られた通風・有蓋車兼用車で、フワ30000形が種車のツワ22100形 87両と、ワフ20500形 有蓋緩急車改造のツワ22850形 163両を、昭和3年(1928年)の称号改正で統合したものです。荷重12トン。
種車によって羽目板が縦張りか横張りかの差がありますが 両形式は同時進行で計画されました。
改造内容も同じで、一般有蓋車の構造を基本として、引戸を通常と通風鎧戸付きの2種類用意しました。また、妻面に換気窓、床板に閉鎖可能な通風口、屋根に水雷形通風器を備えています。
絵は 上段がワフ20500系の元ツワ22850形、下段がフワ30000系の元ツワ22100形ですが、左から通風状態、通風口閉鎖状態、開扉荷役中を示します。
ただ、ツ700形としての活躍は長くなく、需要の関係で昭和10、11年(1935、1936年)に 棚付き10t積のツ400形通風車に再改造されました。
ツ400形 通風車(改造後)
ツ400形は、12トン積として登場したのですが、どうもこの荷重は当時の青果の取引単位としては大きすぎたようです。
また、青果を段積みしすぎると良くないので、昭和9年(1934年)に折り畳み式の棚を設置して、荷重10トンの車に生まれ変わりました。
棚の設置に合わせて車体も改造したようで、柱の内外に側板を互い違いに張った構造で、通気量を多くしています。
この改造は的を得ていたようで、フワ30000系から追加改造されると共に、昭和10年(1935年)からはツ700形も 全車がこのタイプに再改造されて編入されています。
結局 改造後のツ400形は、フワ30000系がツ400〜786号車の387両、ワフ20500系がツ787〜945号車の159両、計546両の所帯となりました。
絵は何種類か描きましたが、ワフ20500系の改造車は写真が見つからないので、想像図です。
ツ400形は、昭和20年代後期まで活躍しました。
ツ1400形 通風車
ツ1400形は、昭和4年(1929年)からワフ8000形の改造により、300両が作られた通風・有蓋車兼用車です。
この車で特徴なのは通風口の閉鎖方式で、側・妻面のシャッター式通風口を外からテコによって操作します。JR初期の通風コンテナと同じ方式ですね。
屋根は断熱構造で通風器を設置、床下に通風口と、他の通風車と共通の仕様。
なお、同じ車体で牛乳缶輸送用として棚を設置したツ1300形も同時に10両誕生していますが、外見からは見分けがつきません。
ツ1400形、ツ1300形は、昭和20年代後期まで活躍しました。
ツ2000形 通風車
ツ2000形は、カ1000形 家畜車から昭和7年(1932年)に86両が改造された10トン積 通風車です。
カ1000形の種車はツ400形等と同じフワ30000形なので、ツ400形、ツ700形(旧22100形)、ツ2000形は兄弟形式と言えます。
車体は すかし張りとなり、屋根にガーランドベンチレーターが4つ乗っています。
ツ400形のような凝った側板の張り方ではないので、片寄った柱配置が露出しています。
この車の明瞭な写真は見つかりませんでしたが、昔の記録映画に 特徴的な側柱配置のこの形式が チラッと映っています。
ツ2500形 通風車
ツ2500形は、昭和7年(1932年)から戦後の昭和21年(1946年)にかけて1045両が製作された、通風車としては初の新製形式です。
荷重10トンで、通風口はプレスによる鎧状となり、通風・有蓋兼用に使えるように内部にシャッターがあります。
使い勝手の良い車でしたが、老朽化もあり 貨物列車高速化の改造不適格とされて昭和43年(1968年)までに廃車されました。
ツ1000形 通風車
ツ1000形は、昭和11年(1936年)にカ1形・カ500形家畜車を改造して生れた通風車です。
側板の張り方はツ400形改造後の車と同じです。荷重10トンで、146両改造。
昭和20年代後期まで活躍しました。
ツム1形/ツム1000形 通風車
ツム1形は、戦後の昭和25年(1950年)から製作された荷重15トンの通風車です。
従来の通風車と並べると巨大で、ワム車よりも大きいです。
基本的にはツ2500形に似ていますが、こちらは通風専用車として床板のすかし張りの面積を増やしています。
また、折り畳み式の棚も備えています。
ツム1形は 昭和28年(1953年)までに600両製作されましたが、同年からは同じ車体で足廻りを改良したツム1000形に製作が切り替えられ、こちらは昭和39年(1964年)までに1000両製作。続けてツム1形もツム1000形に改造されました。
ところで、理由は不明ですが 小海線の高原野菜輸送などでは、絵のように通風車なのにわざわざ開扉輸送をするケースもありました。
ツム1000形は、昭和50年代には両数が急減したものの、国鉄末期まで活躍しました。
ツ4000形 通風車
ツ4000形は、高速化非対応のツ2500形の代換として昭和30年(1955年)から670両が製作されました。
ツ2500形と同じ10トン通風・有蓋兼用車ですが、若干車体を大形化したため、荷主から喜ばれました。
ただし、その後のトラック輸送の発展と 荷主の国鉄離れによって、昭和55年(1980年)に形式消滅しています。
カ1形 家畜車
家畜車とは、読んで字のごとく家畜を運ぶための貨車で、鉄道創業時から存在しました。
ただ、家畜と言っても馬はデリケートなので付添人同乗で有蓋車を利用し、豚や鶏はそれ専用の貨車がのちに誕生しているので、もっぱら牛の輸送に使用します。
用途別に分けると、
有蓋車は馬をメインに象からなにまで 載せられるものなら何でも。輸送効率は落ちますが牛も運べます。
家畜車は牛、子牛、ミツバチを基本に、豚、ヤギ、羊など。
豚積車は豚、ヤギ、羊など。
家禽車は鶏、アヒルなど。
となります。
また、家畜車、豚積車、家禽車は通風車代用として青果の輸送にも使用し、場合によっては有蓋車の代わりにも使われました。
ただ 牛は背が低いので、家畜車の屋根は有蓋車よりもかなり低いです。
カ1形家畜車は、昭和3年(1928年)の貨車形式大改番で荷重10トンの主々雑多な家畜車をひとまとめにしたものですが、この頃にはすでに基本的な構造は確立して量産車もあり、どれも似た形です。総数240両。
牛は枕木方向に積むのが積載効率が良く、口綱は窓の柵のようになっている横棒に結び付けます。
給餌などの世話をする付添い人は 国鉄としては荷主に乗車を求めましたが 必須では無く、乗車する場合は窮屈な思いをしながら牛の狭間で同乗しました。
ついでに、家畜輸送について ここに書き残しておきたいエピソードとして、輸送中に たびたび仔や卵が生まれる事があったそうで、「着駅で頭数が合わずに係員を慌てさせた。」り、「仔牛が柵の隙間から沿線に落下したものの 持ち主が見つけられなくて 仕方なく付近の民家で飼ってもらう事にした。」などの話が残されています。
カ500形 家畜車
カ1形とカ500形は、実は形式図では見分けがつきません。
全部カ1形で良さそうに思いますが、スペックを見ると、どうやら車軸が標準軌対応の長軸なのがカ500形に分けられたようです。総数287両。
左絵2つは標準タイプ。右絵2つは窓棒が1段で 開口部が少ないタイプの昭和3年(1928年)の改番前(カ5840形)の姿。
カ1000形 家畜車
カ1000形は、大正末期に空気ブレーキの採用で余剰化したフワ30000形を改造して作られた家畜車です。
カ1形の車体を伸ばして12トン積にしたようなデザインで、150両が作られました。
ただ、昭和7年(1932年)には86両がツ2000形に、33両がウ100形に再改造されてしまいました。
写真も見当たらないので、絵は形式図からの復元です。
※フワ30000形は、貨車の絵 その1を参照して下さい。
カ1500形 家畜車
カ1500形は昭和8年(1933年)から製作の初期車50両、昭和10年(1935年)から製作の後期車175両からなる10トン積 家畜車です。
カ1500形の特徴は まず、従来の家畜車の設計を改め、車体幅を広げ、肉牛10頭、役牛15頭の積載を可能としました。
側板は すかし張りにして換気を良くし、牛が走行中に疲労しないように、牛の頭の部分に目隠しの板が張られました。
この板は 初期車では目の部分も隠していましたが、研究の結果か後期車では頭の部分のみとなって、以降の形式も同様です。
また足廻りのバネを柔らかくして走行時の動揺を軽減しています。
その足廻りは、戦後に2段リンク化改造されて、65km/h→75km/h走行可能となりました。
引戸は ワラ屑等で開閉困難にならないように上吊り式で、下部にレールがありません。
しかし、それでもゴミ詰まり対策は不十分だったようで、戦後に引戸レール部分側板下部開口部を塞いでいます。
また 晩年の改造で、側ブレーキ手すり部分の側板が すかし張りから通常の板張りに改造されていますが、これは ブレーキ係に汚物が掛らないようにするためだと思われます。
絵は上段が1段リンク走り装置、下段が2段リンク。左から初期車空・積、後期車空・積。解説文以外にも時代により いろいろ変化が・・・。
カ2000形 家畜車
カ2000形は、戦後の昭和26年(1951年)に200両が製作された12トン積家畜車です。
この時期はウ300形 豚積車も製作されていますが、肉食の進駐軍の需要や、食文化の変化により家畜輸送が活発になったのでしょう。
設計はカ1500形の後期車をサイズアップした感じで、牛のサイズにもよりますが 肉牛15頭、役牛20頭を乗せられるようです。
従来の家畜車に比べ 屋根も高くなっていますが、これは青果輸送の通風車代用や有蓋車代用(支社長が運用区間を限定)を考慮しての事だと思われます。
カ2000形は 昭和34年(1959年)に在籍全車が下記のカ3000形に改造されました。
カ3000形 家畜車
カ3000形は、カ2000形の2段リンク版増備として 昭和29、30年(1954、1955年)に150両が新製されました。※のちにカ2000形から199両改造 追加編入。
カ2000形とのパッと見の違いは、引戸の板の張り方です。
また、カ3000形も カ1500形と同様の汚物対策が なされています。
カ3000形は昭和52年(1977年)まで活躍し、国鉄の家畜車の歴史は終わりました。
肉や乳製品の需要は戦後どんどん高まりましたが、保冷トラックや道路網の発達により、生きたままの家畜を 時間の掛かる鉄道で輸送する必要が無くなったのです。
カム1形 家畜車
1950年代には、鉄道で牛を輸送する需要が今後急減するであろうことが すでに観測されていました。
したがって、昭和30年(1955年)のカ3000形新製で家畜車の増備は打ち切られました。
しかし 想定に反して家畜車が足りなくなり、仕方なく有蓋車で輸送していたら 仮設の柵が弱かったのか牛が脱柵して、脱線事故を起こしてしまいました。
そこで 急きょ、数年間の間に合わせの家畜車が必要になり、登場したのがカム1形です。
種車は旧形のワム3500形。昭和37年(1962年)に250両も一挙に改造。
改造内容は最低限のもので、側板を一部すかし張りとして、横棒を取付。足廻りの更新はしていません。
ワム改造なので、荷重15トンのワム車に代用する事を見越して、カムの前に小文字のワを追加してワカムの誕生となりました。
牛を積む場合は 荷重12トンの扱いですが、床面積はカ3000形よりも狭いので、牛はカ3000形ほど積めません。
このピンチヒッターは、ヨンサントウの昭和43年(1968年)までに活躍を終えました。
ウ1形 豚積車
豚積車とは、ブタ、ヒツジ、ヤギ等、中型家畜を効率よく輸送するために作られた貨車です。
形式は“ウ”で、昔は魚運車が使っていた記号です。
ウ1形は、中小型家畜輸送用の家畜車として、ワフ20500形有蓋緩急車を改造して、昭和3年(1928年)に70両が登場した 最初の豚積車です。計画時は 豚積車というジャンルは無かったので、カ24850形と名乗る予定でした。
それまで豚等の小ぶりな家畜も 普通の家畜車に乗せて運んでいましたが、輸送効率が悪かったため ウ1形は棚を設けて2階建てとしました。豚は放し積みで約45頭載ります。
なお この棚は引戸部分には無く、形式図を見ると 複雑な棚の配置になっていたようです。
これは当初 中小型動物を家畜車で輸送する場合、動物を檻やカゴに入れて その檻を貨車に積む方法がとられていたようなので、そのなごりかも知れません。
後年には 他の豚積車と同じような棚の配置になったと思われます。
また、豚は汗を掻かないため夏場に水を掛けたり、細かな世話が必要な動物であるため、専用の付添人室を用意。
この付添人室は緩急車時代の車掌室を転用し、横になれる長椅子と その下に水タンクを設置。飼料等もこの部屋に置きます。
ただ、なにぶん豚積車は初めて製作する形式で、しかも空気ブレーキの導入というイベントもあったため、ウ1形は1両毎に形態差がありました。
換気窓を増設するなど試行錯誤が逐次続けられ、ウ100形に発展改造された車両もあります。
ウ100形 豚積車
ウ100形は、カ1000形、ワフ6500形、ウ1形の改造により、昭和7年(1932年)に86両が登場した豚積車です。
ウ1形からの主な改良点は換気窓開口部の拡大です。また、引戸部分にも折り畳み式の棚を設置し、豚は約55頭載ります。
種車のうち、カ1000形とワフ6500形はフワ30000形改造で、ウ1形はワフ20500形の改造ですが、残された資料が少なく どの程度形態差があったのかは不明です。
この頃は まだ、豚積車は発展途上であり、ブレーキ装置の取り付け方法も一定ではなく、車両毎の個体差が多かったようで、判明している形態のみ絵に描きました。
当初は左端絵のような形態ですが、のちにウ200形と同じく防寒用蓋が装備されました。
※ワフ20500形、ワフ6500形は、貨車の絵 その8を参照して下さい。
ウ200形 豚積車
ウ200形は、ウ100形に引き続きワフ6500形を改造して昭和10年(1935年)から50両が登場しました。
一見してウ100形とよく似ていますが、相違点はけっこうあります。
まず、妻面にも換気窓を開口し、換気窓には冬場の防寒のための跳ね上げ式の蓋を取り付けました(引戸部分には蓋は無し。)。
この換気窓の蓋のせいで、車体表記や側ブレーキ手すりが 右往左往しています。
ウ229号車の側ブレーキ手摺位置が高めなのは、掴まった時に豚に手を舐められないように考慮したのでしょうか?
貨物室は中仕切りの厚みを薄くして、ウ100形より拡張されています。
床は酸性の汚物により床材や台枠が腐食するので、鋼板にアスファルトを塗布したものとなり、さらに車体中央の掃除口に向けて若干傾斜させて、床下のダクトから線路間に落とすようになっています。側板張りも下端に少し隙間を開けました。
また、品種やサイズの違う動物を混載する場合は、上下段に分けて載せますが、右端絵のように4分の1だけ違う品種(絵は微妙な色違いですが・・・。)を載せたい時のために、天井折り畳み式の中仕切を装備しました。
これらウ200形の特徴は、ウ100形にもフィードバックされておりますが、ウ100形もウ200形も資料が少なく、また↑絵右から2番目の絵のような地域改造?の変形車もいるので、全容は不明です。
ちなみに、ウ100形以降から全面2階建て構造(引戸部分は折り畳み式)になりましたが、これに対応して豚の産地の豊橋駅には豚積用の2階建て専用ホームを建設しています。
それ以外の駅では適当にスロープを渡して荷役していた事でしょう。
ウ300形 豚積車
ウ300形は、昭和25年(1950年)からトキ900形の部品を利用して100両が作られた豚積車です。
戦争で疲弊した畜産が復活してきた時期で、また進駐軍の需要もあったのでしょう。戦前に構想されていた豚積車の設計を元に 製作されました。
ただ、工業的には まだ復興途上だったようで、ウ300形の初期車は こんな簡素な作り。
標準的なウ300形とは 上から下まで異なっていて、防寒用扉は省略されています。
絵では、せっかく大幅に開口しているので、白菜を積んでみました(右絵)。
むしろで 一個一個丁寧に くるんであるので、何がなにやら わかりませんが・・・。
そう、家畜車や豚積車 特に豚積車は棚があるため、通風車代用としても良く働きました。
従来の豚積車は荷重10トンでしたが、ウ300形は有蓋車代用を考慮して車体を大形化し、荷重12トンとなりました。
ただし、豚の積載頭数はウ100形と変わりません。
ウ300形の棚は2端側に向かってやや傾斜が付けられ、掃除の汚水が流れやすくなっています。
また、この時代の新製車でも有蓋車とは異なり、家畜車、豚積車の車体は木の羽目板張りなのが特徴です。
現代も豚積トラックはありますが、道路も 冷蔵・冷凍技術も 発達していなかった当時は、食肉用のブタを地方の産地から都市部まで長距離を生きたまま輸送する必要があったのです。
ウ500形 豚積車
ウ500形は、昭和32年(1957年)から170両が作られた豚積車です。
基本的にはウ300形の2段リンク化版ですが、棚の傾斜の仕方がウ300とウ500では微妙に違うようです。
のちにウ300形も 全車が2段リンク化のうえ 編入されています。
昭和40年代末まで活躍しました。
ナ10形 活魚車
戦前の好景気時には さまざまな輸送需要が生まれ、国鉄も物資別適合貨車の開発を積極的に行っていました。
ナ10形は、鮮魚を生きたまま輸送するために製作された活魚車です。
当時は琵琶湖特産の子アユを 全国各地の河川に導入する事が 活発になり始めていました。
広い湖で健康に育った優良な稚魚を買ってきて、地元の河川に放流して 漁獲高を大きくしようという算段です。
従来は、防水布袋に入れて有蓋車で運んだりしていましたが、生きたま運ぶには輸送距離に限界がありました。
そこで水温を低くした水槽で 魚を冬眠状態にして輸送する事が考案され、余っている馬車輸送用車運車のクム1形(貨車の絵 その1を参照。)を改造する事にしました。
クム1形は屋根が高かったのも好都合だったようです。
昭和6年(1931年)に、まず試作車としてクム27号車が活魚車のナ1形ナ1に改造されました。
その試験結果を反映して 量産車のナ10形が昭和7年(1932年)と昭和10年(1935年)の5両づつ、計10両がクム17〜26号車から改造されました。
ナ10形の構造は、車内床上に定水量1400立方メートルの魚槽を4個設置し、天井に容量1トンの水槽を2個設置。
車軸からベルトで動力をとって 揚水ポンプを作動させ、魚槽下部から天井水槽に汲み上げた水を 天井からシャワーして酸素補給と冷却をします。(停車中は手動ポンプによる。)
さらにブレーキ管から圧縮空気をもらい、天井の空気ダメに蓄積、酸素ボンベも搭載し、合わせて魚槽内に噴気します。
旧観音扉側壁面には容積1.2トンの氷槽を設置し、そこから氷を魚槽に適宜投入して冷却します。
これら機器のコック類を 付きっきりで操作して 魚の世話をするために、付添人が搭乗します。
外観は、妻扉と撤去して側板に採光窓を開け、屋根に給水口を設置しました。
荷重は水も含めて10tですが、運賃計算上は どうしたのか分かりません。輸送時期は主に冬場でしょうか?
ナ10形は アユの他にフナやコイの輸送にも使われ、名古屋鉄道局の米原駅を中心に、大阪・仙台・長野の各鉄道局に配置されました。
基本的には淡水魚用の貨車ですが、まれにタイやアナゴの輸送にも使われたようです。
昭和40年代初頭まで活躍しました。
パ1形 家禽車
家禽車はマイナーな形式で まとまったデータも公開されてないので、少しくわしく書きます。ニワトリ大好き。
なお、構造用途記号の「パ」はPoultryのパ。
家禽車とは、鶏やアヒルを 安全に効率よく輸送するために考えられた貨車です。
家畜と言えば 馬は有蓋車、牛は家畜車、豚は豚積車ですが、ニワトリやアヒル等のいわゆる家禽は 家畜よりもかなり小柄であり、鳥籠に入れて輸送します。
輸送単位が小さい場合は荷物扱いや小口扱いで、ある程度まとまった数なら車扱いとなりますが、有蓋車に段積で詰め込むと 圧死や窒息の危険があります。常設の棚もないため 輸送効率も悪いです。
昭和初期は まだ通風車の数も少なく、全面透かし張りのカ1500形家畜車も 豚積車も登場していませんでした。
「棚がいっぱいある通気性の良い貨車が欲しい。」
そんなわけで、名古屋コーチンの産地の名古屋鉄道局によって昭和4年(1929年)に生み出されたのが、パ1形 家禽車です。
古典有蓋車のワフ11800形、ワフ8000形、ワ1形、ワ17000形から軸距3048mm(12ft)のものを種車に改造して30両が誕生しました。当初から空気ブレーキを備えています。
構造は、金網張りの引戸を片側2枚配し、その扉間と車端に枕木方向に5段の棚を設置して、床面と合わせて鳥籠を6段積みします。
ちなみに鳥籠は 写真を見ると直径半間程度の平丸型。これに何羽かの家禽を入れます。
1回の輸送需要が どの程度だったかは分かりませんが、パ1形は このサイズの鳥籠を 公称上70籠運べる事になっています。
パ1形は車体内幅2mちょっとなので、この鳥籠なら2列並べられて単純計算で48籠。扉部床面にも置いて52籠。扉部に棚を仮設すれば72籠運べるという意味なのでしょう。
貨車に どんなに鶏を詰め込んだところで 実重量は たかが知れているのですが、運賃計算上や有蓋車の代用として使う事を考慮して、荷重は10t。
屋根は断熱のため2重張りで、製作簡素化のためか三角屋根となっており、さらにトルペードベンチレーターを千鳥配置。
なお、三角屋根といえば旧山陽鉄道や、旧北海道炭礦鉄道が思い浮かびますが、それらとは直接関係ないようです。
家禽車は名古屋、静岡、鹿児島の各鉄道局に配置されていました。パ1形は昭和27年(1952年)まで在籍していたようです。
パ100形 家禽車
パ100形はパ1形の増備として、越後鉄道引継のワ21000形(左端絵。貨車の絵 その1を参照。)を種車に 昭和7年(1932年)に15両が改造されました。
大正9年(1920年)製のワ21000形は 荷重12tの大柄な車体が特徴で、総数35両の少数派の有蓋車ですが、だからこそ改造種車に選ばれたのでしょう。
パ1形との違いは、パ100形では扉間の棚を壁際レール方向に配置する事により 車体中央に前後連絡通路を確保して荷役の便をはかっています。
また、扉部にも鳥籠を積めるように あらかじめ引出し式の棚を用意しています。
屋根は一般的な丸屋根。パ1形と同じく 荷重は10t。空気ブレーキも改造当初から備えています。
パ1形も資料が少ないですが、パ100形はさらに資料が少ないです。
ただし、大阪の交通科学博物館に 貴重な博物館模型が収蔵されており、この模型は国鉄制作のきわめて忠実な模型なので、とても参考になります。同館閉館で、今はどこに行ったのでせう?
家禽車は 活躍当時から総数45両のマイナーな貨車であり、図面も諸元も誤植が目立ちます。
昭和4年の車両形式図集のパ100形とされるものは、パ1形の種車違いのものと思われます(種車違いといっても ほとんど同じ寸法ですが・・・。)。
今回、昭和17年(1942年)の客貨車名称図解という本により、パ1形の細密画と共に、家禽車諸元の信頼できる数値を確認しました。
パ1形諸元 平均自重8.27t 荷重10t 空換算0.8両 積換算1.4両 軸距3048mm 最大長6605mm 最大幅2530mm 車室内部長5767mm 車室内部幅2070mm 車室内部側高2350mm 床面高1067mm 軸数2 車軸10t長軸 軸箱IV 担バネ2種 軸箱守W 自連緩衝装置D 制動装置KD180 種類B 制動倍率5.3 改造開始年 昭和4年
パ100形諸元 平均自重9.05t 荷重10t 空換算0.8両 積換算1.4両 軸距3048mm 最大長7540mm 最大幅2605mm 車室内部長6690mm 車室内部幅2135mm 車室内部側高2350mm 床面高1067mm 軸数2 車軸10t長軸 軸箱IV 担バネ3種 軸箱守W 自連緩衝装置D 制動装置KD180 種類B 制動倍率5.5 改造開始年 昭和7年
パ100形の諸元は、種車のワ21000形とも微妙に異なりますが、誤差の範囲でしょう。ただし、軸距は誤植で、種車のワ21000形と同じく3658mmだと思います。
パ100形は帳簿上 昭和34年(1959年)まで在籍していました。廃車は老朽化のためと思われ、家禽車が代替増備されなかったのは、通風車で代用が利くようになったためと推測します。
有蓋車への家畜積載について。
ここでは、失われた鉄道家畜輸送の文化をしのぶべく、昭和43年(1968年)12月現行「貨物積付方標準」 を参考に 有蓋車への馬と牛の積載方を解説してみます。
この時期は 鉄道での動物輸送の晩年と言ってよく、過去の事故等を踏まえて いちばん硬派に完成された積付方だと思われます。
したがって これ以前の積付方とは若干違う面もあると思います。
まず最初は、ワム車と言えばコレ。有蓋車への馬6頭積載。
この積み方が馬匹輸送の基本で、絵のように馬を入れ、馬つなぎ輪(ワ12000、ワ22000、ワム1形〜ワム90000形、ワキ1形、ワムフ1形に装備のロープ固定用金具。室内側板上下及び天井に装備。)のうち 下部のもの左右に縄を2本以上張り、馬の口綱を結びつけます。
また、有蓋車の中仕切りのパイプを指す言葉として「馬栓棒(ませんぼう)」という用語が ワム80000形辺りまで使われていましたが、元々は口綱を結ぶのに柵を立てていたのかもしれません。
引戸は開扉で固定。基本的に全開のようですが、資料には「引戸止装置を使用する場合は針金で固定」という内容の記述も見られるので、半開や部分開の場合も あったのかもしれません。
引戸口には80mm角以上の角材で3本柱を立て、t15×80mm以上の板材で横桟(ぬき板)を均等に6枚張ります。 これらは有蓋車室内内張り板・床板に釘で打ち付けて固定します。
なお、付添い人の出入りの便を図り 片側の木枠に限って、床面から1600mm以上の横桟は省略できます。
デリケートな馬の輸送ですから 1車につき1名の付添い人(軍馬の場合は当番兵)の乗車が義務づけられていました。
絵では解説目的のため 馬しか描きませんでしたが、車内中央の引戸開口部の部分(中わた)が付添人の居住箇所で、ここに飼料や水の桶・バケツ、ムシロや縄等が雑然と置かれていた事でしょう。
夜間照明として、貨車中央天井にランプ(馬燈)を吊り下げるフックがあります。※ 絵では一応ランプも描き込み。
以上が3歳馬以上の いわゆる成馬の基本的輸送方。
仔馬は縄に結び付けないで放し積みできます。
続いては、有蓋車への牛6頭積載。
牛は家畜車で運ぶのが基本ですが、家畜車が品切れの場合は有蓋車で運んだようです。
絵の例は 付添い人の同乗場所が必要な場合の基本積付方のようです。
引戸口への木柵は 上記 馬のものと同じですが、力強い牛の事。枕木方向にも柵を追加。なお、この柵も細かく寸法が規格化されています。
牛の場合は、子牛でも放し積み禁止です。また、引戸は部分開が多いいようです。
有蓋車で豚や羊等他の動物を積む場合も、この積付方を応用して運んだようです。
絵では付添人や 各種雑然関係を省略。以下も同じ。
お次は「特殊積付方」という 家畜をみっちり詰め込んだ積み方。
左から馬8頭、牛12頭(木柵)、牛12頭(鉄パイプ柵)。
家畜を詰め込んだので、飼料置き場や 付添い人の居住スペースが無く、中2階を増設して寝台としています。
餌は 飼料箱をあらかじめ設置するか、飼料袋を仮設されたパイプに吊り下げて行います。
なお、これらに必要な木材やパイプも 全て規格化されています。
家畜の尾部にあたる引戸口には、柵にムシロを縫い付けて 外部に汚物が出ないようにします。
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