貨車の絵 その4
これらの絵は 素材として使う事も考慮して描いているため、使用色数が少なく軽いのが特徴です。トロッコ等は小形鉄道車両のコーナーへ。
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なお、絵や解説文の根拠たる参考文献等は ここに記載しきれないので、直接私にメールか掲示板で問い合わせて頂ければ幸いです。また、基本的に解説文は作画当時に書いたものなので、情報が古い場合があります。
このページの絵は特記以外1ドット50mmで描いています。
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チ1形(初代) 長物車
長物車の祖先は、こんな感じでした。材木車と言った方が ふさわしいでしょう。
材木車は、ボギー車が未発達の明治時代、2軸車で長大貨物を運ぶために考案された貨車です。
構造は平床の2軸車もしくは3軸車の中央に 回転台を設けています。
材木車は2車跨りで貨物を運ぶのが前提で、回転台に貨物を載せて 曲線に対応します。森林鉄道で活躍した運材台車に似ていますが、官鉄・国鉄の場合は 前後の車両を連結するのが基本です。
車両が きちんと連結されているので 列車分離は起きませんが、連結器緩衝器があるので その前後動に対応するため、積荷の回転台への固定は片側のみ厳重にします。
下段の絵のように2車で足りない場合は 前後や中間に遊車を挟みます。
この回転台を使った輸送方法は、絵でも分かるように 積荷中間部が浮いた状態なので、レールや竹などの大きく しなる貨物は運べません。
それに この積み方は、積載効率が悪く、重心が高くて荷崩れの危険も大きいので、大形の無蓋車や チキ車の登場と共に それらの使用が推奨され、廃れていきました。
材木車の別の使用方法として、幅広の濶大貨物を運ぶ場合があり、その際は回転台を外して使用します。遊車として使う時もそうですが、外した回転台は貨物の邪魔にならない車端部床面に括りつけておきます。この辺の資料は「特種貨物取扱の実際」(昭和16年1941年)に詳しいです。
さて、チ1形ですが、これは雑多な2軸材木車を 昭和3年(1928年)の改番の際に まとめたもので、旧チ724形や旧チ880形が多いです。元形式間の差異よりも 1両毎の個体差の方が大きいです。
荷重は10tで、改番によってチ1形となったものは 435両くらいです。
チ1形は、戦後もしばらく残りましたが、存在理由は濶大貨物を運ぶ際の遊車としてで、本来の回転台を使用した輸送は無くなっていたと思われます。
チラ1形(初代) 長物車
明治37年(1904年)開戦の日露戦争では、多量の貨車が 官鉄・私鉄から戦時供出されて大陸に渡りました。
しかし 在来車だけでは不足するため、国は米国・英国に貨車の緊急発注をして これに対処しました。
それらの中で、18t積ボギー無蓋車も多数取り寄せました。米国ミドルタウンカーワークス社製のムボ501〜750号車(→フホト5620形)と、アメリカンカー&ファンドリ社製のムボ1〜500号車(→フホト6005形)(※貨車の絵 その2を参照。)です。
日露戦争後は北海道に集中配備されたようですが、のちに材木車に改造されるものが現れ、71両が 18t積材木車 ホチ20000形に化けました。
これらは当初、無蓋車のアオリ戸受けが残されていたことが 図面から読み取れます。
ホチ20000形は 使い勝手が良かったらしく、国鉄旭川工場でも25両が新製されました。
ホチ20000形は、昭和3年(1928年)の改番では なぜか製造メーカー毎に形式が分けられ、旭川工場製がチラ1形、元フホト5620形の改造車がチラ30形、元フホト6005形の改造車がチラ85形となりました。
絵は 残された写真から昭和17年(1942年)頃のチラ1形を描きましたが、チラ30形も チラ85形も大差ないと思われます。
チキ1形 長物車
チキ1形は、国鉄初の25t積 材木車 オチ21090形として大正3年(1914年)に登場しました。
ボギー材木車は 米国式のものが北海道に導入されて以来 ボチボチ開発されてきましたが、オチ21090形から量産が始まりました。
まず、本土向けとして、絵の上段のタイプの初期車15両(21090〜21104号車)が製作されました。
当時の長尺木材輸送は もっぱら2軸材木車が担っており、どうやら鉄骨等の転動しやすい(すべりやすい)貨物の輸送を想定したような感じです。ロープ掛けも妙にゴツイです。
平床部長さ10668mmは、10m定尺レールが ちょうど乗る長さです。
つづいて、北海道向けに21105号車以降 85両が増備されました。
絵の中段のタイプで、柵柱(さくちゅう)を長くして数を増やしました。これは北海道で細くて短い坑木の輸送が活発だったためでしょう。
北海道では自動連結器が採用されていましたが、当時は まだ取り付け位置が低いです。
大正3年(1914年)の下期には、早くも改良形としてオチ21190形が作られました。
資料が少ないので 違いがよく分かりませんが、外見では柵柱の数が再び減りました。
下段の絵がそれで、絵は空気ブレーキ装備後。149両製作されました。
オチ21090形、オチ21190形は昭和3年(1928年)の改番で、チキ1形 長物車としてまとめられ、戦後しばらくまで活躍しました。
チキ300形 長物車
チキ300形は オチ21190形材木車の改良形として、大正8年(1919年)から445両が作られました。
当時の形式は オチ21350形材木車で、標準化が進んで大量製作した事により 戦後も長らく活躍しました。
荷重は同じく25tで、平床部長さは メートル法を採用したためか ちょこっと伸びて、11000mm。台車はTR16。
絵は 上からバッファー時代、戦前、戦後の各仕様です。もっとも、長物車は同時期でも けっこう細かな個体差がありますので 参考程度に・・・。
絵でも分かるように、柵柱の長さがオチ21190形よりも後退して短くなってしまっていますが、やはり登場時は 木材の輸送よりも鉄骨等の輸送がメインだったからだと思います。
柵柱は後年の改造で長くなりました。
丸太の色について。
模型化の際もそうですが、絵を描くにも積荷の丸太の再現には苦労します。
元々 樹木というものは樹種によって色合いが違いますが、生えているものは 茶色というより思いのほか灰色っぽいものです。
しかし伐採され苔等が一皮剥けると 本来の樹皮の色になります。
そして輸送距離が長ければ長くなるほど樹皮が剥げていき、また色合いも変わってくるのです・・・。木場で海水に漬かれば、また変わることでしょう。
つまり伐採されて森林鉄道で運ぶのと、海外から輸入されて来たものでは、同じ品種の木でも全然違って見えるのです。
私の未熟な作画能力では、うまいこと描き分けられません・・・。
チサ100形 長物車
炭鉱が沢山ある北海道では、坑木(坑道が崩れないようにするための補強材。)に使う2間材(2間=12尺=3636mm)の輸送需要がかなりありました。
その輸送には、米国式ボギー無蓋車が出自のホチ20000形が ちょうど良く、活躍していました。
しかし、同クラスの長物車は3軸車でも可能で、車軸を強化すれば20t積にもできるので、増備車として開発されたのがチサ100形長物車です。
大正13年(1924年)にチ30500形として登場し、500両が増備されました。
絵の最上段が登場時で 連結器の位置が低いですが、いつでも内地と同じ高さに上げられるように設計されていました。
北海道の自動連結器高さは 当初673mm(空車時 レール面上〜連結器中心高さ)で、大正8年(1919年)3月に698mmに、大正13年(1924年)8月に内地と同じ876mmに上げられたので、絵の状態は新製時の極短期間にのみ見られた形態です。
その後、幾度か改造され、1970年代まで北の大地で黙々と働きました。
樺太鉄道 チサ1000形 長物車
製紙会社の出資で 昭和2年(1927年)に開業した地方私鉄 樺太鉄道では、原料の木材輸送のために 国鉄チサ100形と同等の3軸長物車を 多数所有していました。
中でも最大勢力のチサ1000形は 昭和4〜16年(1929〜41年)に210両が製作された 20t積み長物車です。
一見して国鉄チサ100形と同じ造りですが、全長が少し長くなっています。また、側ブレーキは1軸しか利きません。
樺太の鉄道の連結器高さは700mmなのですが、国鉄チサ100形と同様に、いつでも内地の鉄道の880mmの高さに上げられるように作られました。この構造は 内地のメーカーから鉄道で出荷する時にも役立ったようです。
連結器高さを内地と揃えるのは 北海道よりも遅れたようですが、写真を見る限り 少なくとも戦中には 内地・北海道と同じ高さになっていたようです。
絵は樺太鉄道時代ですが、最終的には空気ブレーキを装備したのでしょうか?
樺太鉄道は昭和16年(1941年)に樺太庁に買収されて 樺太庁鉄道の一部になり、さらに昭和18年(1943年)に鉄道省に編入されました。その際にチサ1000形の形式は変わりませんでしたが 車号は少し整理されたようです。
戦後はソ連に占領されたため状況は不明ですが、同じように木材運搬に活躍していた事でしょう。
チキ1000形 長物車
チキ1000形は、昭和4年(1929年)から200両が製作された 長物車です。
この長物車は、木材輸送に便利なように考えられたようで、床は逆落とし荷役(3m位の高床ホームから丸太を転がしてドスンと荷役。)に耐えるために鋼板張りとなり、その上に桟木を設置しています。
荷重35tは 当時としては大形で、床全長は定尺木材の輸送に効率の良い12800mmとなり、以降の標準寸法となりました。
なお、尺貫法でいう定尺木材とは、1間(1818mm)もしくは その倍数の長さの物を言い、日本の建材としての標準寸法です。
ただ、これは加工された材木の寸法であって、丸太の段階では やや長めに切り揃えられます(規格に地域差があり、2間材用の丸太では 関東では13尺(3939mm)で、関西では14尺(4242mm)のようです。)。
切り揃えられた定尺物の丸太は 無蓋車での輸送も行われますが、長いまま運ぶ場合は長物車の独擅場となります。
チキ1000形から柵柱が鋼製の長いものになり、柵柱受も沢山備えられ 最適な位置に柵柱を立てられるようになりました。
中央の絵は 2間材用丸太を積んだ 鉄道省時代の姿を描きましたが、備えつけの柵柱で足りない場合は、このように適当な材木で柵柱を増設して対処します。
戦後は、右端の絵のように備えつけの柵柱が12本に増えました。
チキ1000形は後続のチキ1500形やチキ3000形に比べ両数が少ないので地味な存在ですが、国鉄末期まで活躍しました。
チキ1500形 長物車
チキ1500形は、軍用混合列車を旅客列車速度(急行貨物速度)で運転するために製作された高速長物車です。(軍用列車については貨車の絵 その3のワキ1形の解説を参照してください。)
チキ1000形と同じ車体に TR24台車を履いて、昭和9年(1934年)から昭和18年(1943年)までに918両が量産されました。国鉄の長物車では最多製作数です。
途中、チキ1630号車以降は 設計が小変更されています。
絵は、上段から戦前・戦中、戦後、末期の各仕様です。製作数が多かったので 国鉄末期まで そこそこ残りました。
高速走行を念頭に開発された車両ですが、もちろん年がら年中 戦車等を運んでいたわけではなく、通常のお客さんは一般貨物です。
97式中戦車は、アイコン&お絵描き工房の、酒匂135画伯の絵をお借りしました。
ところで、戦車の積載方法ですが、当時は枕木など敷かずに直積みだったようです。97式中戦車チハは全備重量で15tとの事ですが、この程度なら 枕木を敷いて荷重分散する事もないのでしょう。
35t積み長物車(戦時中は40t積み)は チハなら2輌積めますが、1輌積みの場合は前後の空いたスペースに 別の物資を積む事もできます。
なお、長物車への戦車の積載方法は3通りあります。
まず、縦ホームから自走で積載する方法。
これはク5000形やピギーバック輸送でもおなじみの方法で、車両間に渡り板を渡して 連続で積載します。
欠点は縦ホームの設置場所に制約がある事と、他の車両に長物車が挟まれている場合は 連結を放さないと荷役できません。
次に、横ホームから自走で積む方法。これは積み降ろす際に方向転換するスペースが1台分位必要で、積載効率が劣ります。
また、積荷の移動時に変なふうに荷重がかかるため、貨車にそれなりの設計が必要です。
縦ホームにしろ横ホームにしろ、戦場では人海戦術で枕木を積み上げて対処します。
最後に、起重機によって吊り下げて積む方法。
上記2つが船舶で言うところのRORO荷役(ローロー荷役、Roll on、Roll off荷役)なのに対して、こちらはLOLO荷役(ロロ荷役、Lift on、Lift off荷役)に当たります。
この欠点は荷役に時間がかかり 大型クレーンが必要ですが、貨車に対しては いちばんやさしい方法で、基本的に自衛隊機材輸送では これによります。
チキ800形 長物車
チキ800形は、昭和12年(1937年)から製作の長物車です。製作数が26両(資料によっては86両)と少なく、荷重も25tと特殊です。
この車両はどうやら簡易線建設のレール輸送用に作られたらしく、貧弱な簡易線でも走れるように荷重を減らしたようです。
営業用ではないので構造も簡略化されているそうですが、よく分かりません。チキ800形の写真は ぼやけた1枚しか見つかりませんでした。
昭和42年(1967年)には2両のチキ800形が ロングレールの軌道更新職用車のヤ300形に改造されましたが、そちらの写真は何枚か残されています。
チキ2500形 長物車
チキ2500形は、昭和17年(1942年) 樺太向けに作られた35t積 長物車のうち、樺太に渡り損ねた34両を、内地に振り向けたものです。
基本的にはチキ1500形の樺太向けといえますが、柵柱受けの配置はチキ3000形に近いです。
樺太はツンドラの針葉樹林帯であり、同島に多数あった製紙工場への丸太輸送が特に多く、製紙用の木材は細く短いものでも良いので 柵柱の本数が多いです。
チサ1000形でも書きましたが、樺太の鉄道は 自動連結器の高さを内地に合わせるのが 北海道より遅かったらしく、形式図は連結器の取り付け位置が低く描かれています。
ただ、昭和17年(1942年)時点で 本当に まだ連結器の高さが低いままだったのか疑問であり、もしかしたらチキ2500形の設計自体は もっと古いのかもしれません。
チキ2500形は 昭和50年代初頭まで活躍しました。
チキ3000形/チキ4000形 長物車
チキ1500形は昭和18年(1943年)まで製作されましたが、大東亜戦争が苦境になると、資材を節約した戦時設計の長物車であるチキ3000形、チキ4000形に製作が移行しました。
車体は、床面の鋼板張りをやめて 木板張りとして鋼材を節約しました。
その際、戦車を横ホームから自走積載するために 骨組みを強化したとされていますが、鋼板張りをそのまま木製床にすると 強度が劣る心配もあったのかもしれません。
下廻りは チキ1500形の贅沢なTR24形高速台車を、旧来のTR20形に戻しましたが、これは製作コストを抑える事はもちろん、当時の列車ダイヤは貨物列車中心の遅いスジに組み直されたため、軍用列車を 旅客列車のスピードに合わせる必要が無くなったためでもあります。
登場時の荷重は 戦時増積の40tで「ホチキ」と称しましたが、戦後35t積になりました。
チキ3000形は昭和18年(1943年)から640両製作され、さらに車軸をトキ10形と同じ短軸にしたチキ4000形が、169両作られました。
戦後は 板張りが貨物の固定に便利なため、板チキとして転動防止貨物の輸送に重用され、国鉄末期まで働きました。
絵は上から戦時、戦後、末期ですが、チキ3000形とチキ4000形は見分けがつかないですね。
97式中戦車は、アイコン&お絵描き工房の、酒匂135画伯の絵をお借りしました。
国鉄移動変電所
まず初めに。
全然資料がありません。
昔の雑誌から転載された 小さな写真と、同じく転載された 小さな形式図を元に、デッチあげました。
塗装=良く解からない。電線の配線=良く解からない。
ただ各寸法的には、だいたい合ってるはずです。おかしな所に気付かれた方は 教えて下さい。
移動変電所(移動変電車)とは、読んで字の如く 車両に変電器材を積んで 移動可能にした物です。高圧電線の近くの側線に留置して そこで変電して架線に電気を送ります。
主な用途は、変電所の改修工事時や故障時に その代わりをしたり、大きなイベントで 列車を増発した時に 電力不足を回避したり、という風に使われます。
この手のものは自動車に積載した物が一般的で 現在でも存在しますが、鉄道車両に積載した物もありました。
特に高度経済成長期には 急激な旅客の伸びに応えるため 各私鉄で変電所の改修が行なわれ、その折に南海、西武、京阪、小田急等でも製作されています。
さて、国鉄の移動変電所は、戦時中に 変電所破壊に備えて設計されました。
しかし 製作は戦後になってからで、当時不安定だった電力を補助する目的で 元設計のまま製作されたものです。
下回りにチキ1500形長物車をそのまま使い、昭和23年(1948年)に完成しました。
一応、エ1形と言う形式を付ける案もあったようですが、完成後の消息は まだ明らかになっていません。今後の研究が待たれます。
写真は残っているものの、ただ撮影のためにチキ1500形にポン載せしただけで、現車は元の長物車に復旧されたかもしれません。
移動変電所について詳しい事はレイルマガジン誌146〜149号辺りを。
チキ2600形 長物車
チキ2600形は、戦後すぐの昭和20、21年(1945、1946年)に61両作られた 35t積み長物車です。
戦後 進駐軍車両輸送のための長物車が不足したため 急遽製作されたもので、チキ3000形の車体にTR24形台車を組み合わせたものです。
チキ3000形の増備としなかったのは、チキ1500形と同じく やはり軍用混合列車のために高速台車が必要だったのでしょう。
かといって連合軍専用車というわけでもなく、チキ3000形と同様に汎用の板チキとして働きました。
連合軍専用の長物車としては、戦災客車をフラットカーに改造して連合軍専用客車としたホニ90(→チホニ900→チホニ1900)形1〜11号車が存在し、のちにチキ1500形の改造車も延べ2両編入されています。
ただ それだけでは明らかに長物車が不足なので、客車列車速度の進駐軍専用列車には、チキ1500形、チキ2600形も逐次徴用されて混結で活躍した事でしょう。
なお、戦後の混乱が落ち着いてから 鉄道近代化の絡みで車両毎に運用上の最高速度を決めたのですが、35t積み長物車は 高性能なTR24台車装備車も含めて 一括して75km/h制限とされました。
チサ1600形 長物車
チサ1600形は、チキ2600形と同じく進駐軍の自動車輸送のために用意された 20t積み長物車です。
昭和21年(1946年)から トキ900形を改造して400両が製作されました。
進駐軍需要が減ってからは 北海道でチサ100形に混ざって働いたようですが、元が構造に難のある3軸車なので昭和30年代後半には多くが廃車になりました。
ハーフトラックは、アイコン&お絵描き工房の、kiyochan様の絵をお借りしました。
チ500形 長物車
チ500形は、チサ1600形と同様にトキ900を改造して生まれた車両です。
登場は昭和27年(1952年)で、決戦用のトキ900形の転用改造が盛んに行われていた時期です。
この頃には復興と共に“かつ大貨物(=特大貨物)”の輸送需要が盛り返してきました。
かつ大貨物では 遊車としてチ1形を使っていましたが、その老朽置き換えのために チ500形が361両製作されました。
遊車とは、チキ車等の長さを はみ出す積荷がある場合、そのはみ出した分に連結して 列車を組成できるようにするためのスぺーサー車で、荷重は負担しません。
チ500形は 最初から遊車用に製作されたため、柵柱も荷擦木も無く、荷重は10tしかありません。
とは言うものの 中央の絵は、よっぽど貨車が足りなかったのか 本来有蓋車使用が推奨されていた木炭を、無蓋車どころか柵柱も無い長物車で運んでいる姿。昭和30年代前半の大宮操車場を映した映像に記録されています。
ただ3軸車は 一般の輸送には使い心地が悪かった?のか、事業用車に回されるものも多く、元がトキ900形なので、チサ1600形同様 昭和40年代初頭には ほとんどが廃車されました。
右端の絵が 輪軸配給用に改造された例で、床面に 輪軸の転動防止用枕木が固定されています(約1トンの輪軸を6本積載。)。
チ1000形 長物車
チ1000形は、昭和32年(1957年)から トム16000形の部品を流用して200両が製作されました。荷重は10tです。
チ500形と同じく チ1形の老朽置き換えの意味がありますが、こちらは75km/h走行が可能な 近代的2軸車となりました。
構造が単純なため、現在でもレール輸送時の遊車等として 数両が生き残っています。
戦後の“チ”形式は遊車用なので、基本的に積荷は積みません。
しかし、ごく稀に 真ん中の絵に見られるように 濶大貨物を運ぶ場合がありました。 これは、無蓋車の内寸より幅広の積荷や、積付・荷役の都合によるものと思われます。
また、長物を運ぶ時の遊車として働きつつ、ついでに少量の荷を載せる事もありました。
ただし、模型で見られるような丸太の輸送をするようには造られておらず、それは 無蓋車のトラの お仕事となります。
チキ2700形 長物車
チキ2700形は、東海道新幹線建設でレール輸送用長物車が不足したため、昭和37年(1962年)から余剰のレキ1形冷蔵車を改造して90両が誕生しました。
改造は 種車の下廻りを生かして平床を構成したもので、全体的に近代的な外観となりました。
柵柱受も仕様が変わり 側枠から大きく下にはみ出すようにされましたが、重量物をワイヤーで固定する際にも使えて便利です。
荷重は従来のチキ車と同じ35t積みで、種車の関係から床全長が13900mmと従来の12800mmより1100mmも長くなりましたが、使い勝手が良いため その後の長物車の標準寸法となりました。
絵の積荷はコンクリート杭です。
チキ4500形 長物車
チキ4500形は、経済の発展で工業関連等の長尺物の輸送需要が増えたために製作された長物車です。
車両諸元はチキ2700形にならい、トキ15000の台車を流用して昭和42年(1967年)から135両が製作されました。
なお、側ブレーキは両側に装備されるようになりました。
チキ5000形(二代) 海上コンテナ輸送兼用長物車
昭和40年代になると海上コンテナシステムが勃興して大発展が始まりましたが、当時 日本は世界の海上コンテナの生産拠点でした。
日本で製作された海上コンテナは 無蓋車や長物車を使って鉄道輸送で港まで運ばれたものが かなりありました。
ただ、汎用の無蓋車や長物車では 転動防止の手配に手間がかかるため、あらかじめ海上コンテナの緊締装置を取り付けた長物車が用意される事になりました。
ちょうどチキ4500形を作っている最中でしたので、それに海上コンテナ緊締装置を追加して100両が製作されました。
こうして昭和43年(1968年)に誕生したのがチキ5000形(二代)海上コンテナ輸送兼用長物車です。形式はコキ5500系列のチキ5000(初代)と混同されやすいのが タマにキズ。
緊締装置は通常は床下に格納してあり、必要に応じて所定の場所に設置します。
積載可能コンテナはISO規格の長さ20ft1C型が1個か2個、長さ30ft1B型と40ft1A型は1個、それから まだ海上コンテナのISO規格が出揃う前でしたので、シーランド型とマトソン型の積載も考慮されています。
ただ、高さ8ft(2438mm)の1A〜1C型でも積載時は高さをオーバーして濶大貨物となるので、シーランド型やマトソン型、のちのISO規格の1AA〜1CC型(高さ8ft6in(2591mm))を積載する場合はちょっと厄介だったことでしょう。
もっとも、昭和48年(1973年)に 円は変動相場制への移行したため、日本での海上コンテナ生産は すぐに尻すぼまりとなってしまい、チキ5000形は汎用長物車としての活躍が多くなりました。
ただ、コキ1000形の代用として働く事もあったようです。
絵は1C型コンテナを積んでみましたが、緊締装置の色はモノクロ写真しかないので良く判りません。
※チキ5000形(初代)についての解説は貨車の絵 その5を参照して下さい。
チキ900形 長物車
チキ900形は チキ4500形と同じく 旺盛な長尺物輸送需要に応えて誕生したものですが、こちらは さらに20mまでの長物を遊車無しで運ぶ事を目的とした試作車です。
昭和43年(1968年)に1両製作されました。
積荷は長さ20mまでのH鋼・コンクリートパイル(コンクリート杭)・鋼板(幅2.5m)の3種を想定し、それらを簡便に固定できる緊締装置を備えています。
この緊締装置は レール輸送用と同じ仕組みの 上からネジで締付ける方式で、伸縮する柵柱に締付梁を渡して取り付けます。
締付梁や それ用の工具は、不要時は床下の引き出しに格納するようになっており、上記3種以外の積荷にも対応して汎用長物車としても使用できます。
また、柵柱は伸縮機能の他に荷役時に邪魔にならないよう考慮して、車側に折り畳む起倒式で設計されました。さらに不要時には根元から撤去する事も出来ます。
絵は18mH鋼を満載した状況ですが、車端の柵柱は使ってないので縮めた状態です。
車長は車運車のク5000形よりも長大になり、21mを超えました。
このままだと 通常の2軸ボギー車では車軸間距離が大きくなりすぎるため TR80形3軸ボギー台車を採用しました。
3軸台車を採用したので荷重に余裕ができ、当初案よりも多く50t積が実現しました。
ただ、車長が長すぎて 急曲線を曲がった時 車体中央部が外に はみ出すため、真ん中辺りの柵柱は取り付けられず、積荷は13m以上のものを運ぶ事にしました。
重量級貨車であり 側ブレーキでは しんどいので 手ブレーキを採用しました。
手ブレーキデッキには 手ブレーキ保護の つい立て があり、これは黄色と黒のゼブラ塗装がされていたようです。
この車は 製作コストが高く付くからか 量産形式が作られる事はありませんでしたが、1両の存在ながら意外に重宝に使われたようです。
長物車ではなく、大物車として捉えれば1形式1両も よくある話で、国鉄末期まで働きました。
なお、ないねん出版の「国鉄貨車」という写真集には、東武の500号貴賓車を乙種鉄道車両輸送している 貴重な写真が残されています。
チ1形(二代) 長物車
昭和43年(1968年)10月1日のダイヤ改正 いわゆるヨンサントウでは、一般貨物列車の最高速度が75km/hに引き上げられましたが、遊車として働いていたチ500形は走行性能に難があるため、代替車が必要になりました。
ちょうどそのころ 欠陥品のレム1形冷蔵車が余っていたため、この車体を取っ払って長物車に仕立てたのがチ1形(二代)です。
昭和43年(1968年)から レム1形残存車のほぼ全数の 296両が改造されました。
以降、チ1000形と共に国鉄末期まで遊車として働きましたが、元々種車の台枠は軽量化のため強度が劣っており、チ1000形より早く淘汰されました。
チキ100形 ラワン材輸送用長物車
昭和40年代、国鉄は物資別適合貨車の導入に積極的でしたが、なかでも福知山・米子の両鉄道管理局を受け持つ 国鉄 後藤工場は、大形板ガラス専用車をはじめとして、自ら進んで御用聞きするほど率先して 数々の車両を生み出してきました。
この頃、木材の輸入は どんどん増えましたが、その製材は旧来から林業が盛んな内陸地で多く行われていたので、陸揚げ港からの輸送需要が生まれました。
鳥取県 境港もそのひとつで、ラワン原木の陸揚げが盛んでしたが、ラワン原木の中には 従来の汎用長物車では遊車が必要な 全長14mに達するものがあり、これを単独で運べる車両が求められました。
そうして生れたのがチキ100形で、昭和44,45年(1969,1970年)にトキ15000形から7両が改造されました。
当時、同じくトキ15000形から改造されてた 汎用車のチキ4500形は、床全長が13900mmですが、チキ100形は荷重は同じ35t積ながら、床全長15000mmを確保しました。
また、ほぼ部品流用に留まり新製に近いチキ4500形と異なり、こちらは地方の国鉄工場が独自に改造したものなので、トキ15000形を文字通り切り継ぎしたものとなっています。
輸入ラワン原木は 直径60cm〜1mに達するほど巨大で、かつ海水を含んでいて 従来のマニラロープでは伸び縮みして固縛に難があるので 簡単な緊締金具を用意して チェーンブロックで荷を固定しました。
なぜ丸太が海水で濡れているかと言えば、輸入原木は検疫検査を通すため外来害虫等を殺虫する必要があり、当時は水面貯木場(木場)に ひと月ほど浮かべる海水消毒が行われていたからです。
しかし この海水がチキ100形の寿命を縮めました。昭和52年(1977年)には廃車されてしまいました。
おかげでチキ100形の残された写真は少なく、絵の側ブレーキ位置は推定のものです。
なお、そもそも境港駅の木材荷役側線は 非常に海に近く、日本海の荒波の影響か「カキやフジツボを付いけていた長物車があった。」という伝説もあります。
境港からのラワン原木輸送は、「ラワン号」という専用列車を仕立てるほど需要があり、多くの汎用長物車が活躍しましたが、この運用についたくるまは 同様に寿命が短かった事でしょう。
チキ910形 原木輸送用長物車
チキ910形も、輸入ラワン原木の輸送用として昭和45年(1970年)に作られたものです。
こちらは 舞鶴港に陸揚げされるラワン原木輸送用ですが、当地では若干細めの丸太が多かったようです。
細めの丸太輸送は、長物車よりも 無蓋車を使った方が妻構があって積み付けしやすく 一般的でした。無蓋車なら汎用なので 帰り荷が積めるメリットもあります。
しかし 無蓋車の場合は荷重一杯 丸太を高く積むには工夫が必要で、北海道でチサ100形が活躍したように まとまった輸送需要がある場合は 専用の貨車が欲しいところです。
チキ910形は その点を考慮したもので、米国式に言うと バルクヘッドフラットカーという種別のものです。
このタイプの長物車は 積荷の前後方向のずれを抑え込ませる 頑丈な妻構を備えているのが特徴です。
これなら 枠の中収まってさえいれば ある程度無造作に荷を載せても 輸送中の脱落は発生せず、積み付けも楽です。
妻構間の寸法を超える長さのものは積めないので 汎用性に劣りますが、細めの木材輸送には最適で、北米では さらに長手方向中央にも衝立のあるものが存在します。
チキ910形の場合は、ほとんどの柵柱を固定式として頑丈につくりました。ただ、フォークリフト荷役の便を考慮して 先端が ちょっと折り畳めるようになっています。
積荷は4m材,6m材,8m材,12m材を想定して設計されています。
特に問題も無く 量産形式が作られても良かったのですが、量産はトキ25000形を改造したトキ23800形で賄われました。米国流のバルクヘッドフラットカーを試してみたかっただけだったのかもしれません。
以降、国鉄末期までトキ23800形と混用されて活躍しました。
トキ23800形 原木輸送用無蓋車
先に書いたように、舞鶴港陸揚げのラワン原木輸送用としてチキ910形が試作されましたが、量産はオトキの改造車で行く事にしました。
改造内容はトキ25000形の妻構を高くして、柵柱を装備しただけです。
昭和46年(1971年)に35両が改造されました。
チキ7000形 長物車
チキ7000形は、チキ3000形等 老朽長物車の置き換えのために作られた 木製床長物車です。
寸法はチキ4500形とほぼ同じで、昭和50年(1975年)に150両が製作されました。
長物車としては新しい車両なので、現在でもレール輸送や自衛隊機材輸送に活躍しています。
チキ6000形 長物車
国鉄末期、長物車の老朽置き換えはチキ7000形で続けるつもりでしたが、財政が厳しい事もあり ちょうど多量に余剰となったコキ5500形コンテナ車を改造して、長物車の増備にあてる事になりました。
それがチキ6000形で、コキ5500形をパーツ毎に分解して再組み立てして、昭和52〜56年(1977〜1981年)に422両が誕生しました。
チキ7000形と同じく木製床でよく似ていますが、部材流用の関係で床面が若干高くなっています。
チキ6000形も やはり現在でもレール輸送等に活躍していおり、チキ7000形よりも製作数が多いので 多く残存しています。
絵の積荷はコンクリート管で、絵では表現しきれていませんが、この手の 滑りやすい貨物の場合は 要所要所に むしろを挟んで滑り止めにします。
チッチキ チー チキチッチキ
積荷の長さが車体から はみ出しちゃう場合には 遊車を噛まします。
かつては こんな輸送が頻繁に行われていたため、チ形式の二軸貨車が沢山必要でした。
現代では古レールや分岐器用レール等、端数レールの輸送で この形態が見られます。
で、この車体から はみ出しても良い寸法は細かく決まっていて、例えば 幅1.7mまでの積荷は4.5m。幅2.3mの積荷なら1mまでです。
それ以上は 2車またがりの輸送になります。
重心が偏っている積荷は 片側だけ はみ出すものもあり、はみ出したところに遊車のチを繋げるわけですが、下段の絵のように遊車を共用する場合もあります。
絵の積荷はチッチキ チーが石油化学工業的な 何か。チキチチキは電柱。転動防止貨物な特大貨物(濶大貨物)です。
チキチッチキのチには ついでに「電柱を並べて置く際の台」を積んでみました。
積荷が転げないように、また所定のクリアランス(遊車上面〜積荷下面=150mm)を確保するためには、止木や台木をかまします。
止木や台木の固定には木製床の車輛が 釘が打てて便利で、木製床のチキ車はイタチキと略称されて分類されていました。
鋼板張りだと ガス溶断で床板にボルト穴を空けて 積荷を固定する場合があります。
また、台木を噛ますと 積荷の重心が高くなるので、同じ種類の積荷でもチキ車単独に積む場合よりも さらに重心を低くする工夫が必要になります。
柵柱は、使用しない場合でも 基本的には長物車の装備なので 後で抜きやすいように まとめて隅に立てたりしますが、貨車の運用がはっきりしている場合は駅に保管していた場合も多いようです。
レール輸送
レール輸送の基本形態を示します。
レールは転動防止貨物であり、また一般に特大貨物でもあります。
転動防止貨物とは 重くて滑ったり転がったりしやすかったり、重心の良く分からない貨物の事で、
しっかり固定しないと、例えばレールの場合はブレーキ時に すっこ抜けて機関車に突き刺さったりします。
レールは形状が決まってて、よく運ぶ貨物なので、あらかじめ専用のレール積付具が用意されています。
この積付具を使って規定通りに積載する限り、輸送の手続きが大幅に はぶけるわけです。
レール積付具は、長さ25mの定尺レールを運ぶ場合、回転台(固定側)×1、回転台(移動側)×1、すべり台×4で 構成されます。
レールの固定は回転台(固定側)1箇所でネジで締め付けるわけですが、これはロングレール輸送も同じです。ただし、積付具は少し違っています。
レールは硬いようでいて実は飴のように簡単に ぐにゃりぐにゃりと曲がるので、ロングレールでも運べます。
ただし、がっちり固定するのは1か所で、あとは はみ出さないように支えているだけで ある程度自由に動くようにし、カーブで脱線しようとする力を逃がします。
さく柱は立てる場合と無い場合があります。これは地域差もありましょうが、レール輸送には備えつけの柵柱は要らないので、基本的には外して貨車の常備駅で保管しているようです。
また、本線上の荷役で機材が搬入しにくい場合は、長物車側に荷役用の巻揚げ機(チキリフト)を仮設する場合もあります。
なお、レール輸送は地域差の他に 時代と共に進化しているので、模型等の再現には注意が必要です。
定尺レールの長さは明治の頃は10mと短く、それが製造技術の進歩により18m・20m→25mと伸びていきました。
時を同じくして ちょうど長物車も大形のチキ車に発展しました。
20m位だったら チ+チキ+チで運べたのですが、25mとなると輸送に問題が出ました。
当初は チキ車2車またがりであっても 回転台は装備せず、チキ車中央にレールをがっちり固定していたので、曲線上で積荷のレールがバネの様に働いて、脱線のリスクがありました。
今のレール積付具の原型は 昭和15年(1940年)に考案されたもので、これにより やっと安全にレールを輸送できるようになりました。
回転台の他に レールを支える すべり台を備えたのがミソです。これが無いと垂れ下がってしまいます。
レールの積み方には細かい規定があって、何キロレールか?長さはどれくらいか?新品なのか中古品なのか?
とかで 色々決まっています。
例をあげると、50キロ定尺レールで最大46本積めます。
⊥T⊥Tと、みっちり組み合わせて積むので、模型で再現するとなると 板状になってしまうかもしれませんね。 実物観察して研究しましょう。
左の絵が新品定尺レール フル積載の姿。
右の絵は定尺レール以外の 分岐器用レールや中古品の端数レールを輸送する姿で、この場合は2組の回転台で がっちり固定します。絵は1段積み(仙台地区仕様)。
長物車は 事業用車的性格も持ち合わせており、大抵の貨物は より汎用な無蓋車で運べてしまえる事もあって、国鉄時代から多くがレール輸送専用で活躍しました。
自衛隊機材輸送
昔から鉄道は軍事輸送を担っていましたが、それは戦後になっても変わりませんでした。
終戦直後や、朝鮮戦争の際には進駐軍の輸送がありましたし、東京オリンピック以前は道路事情も貧弱だったため、自衛隊の車両・航空機その他装備の ほぼすべてが鉄道輸送を考慮し 有事に備えていました。
現在でも 新装備が採用されるたびに 鉄道輸送の可否と方法が 必ず事前検討され、いざとなったらすぐに輸送できるように 積付け方等があらかじめマニュアル化されているはずです。
戦車では 61式戦車までが 簡単に鉄道輸送できる寸法で製作されています。74式以降の戦車は分割しないと運べません。
もっとも、軍隊の物資の輸送需要というのは、車両とかの大物よりもコンテナに収まる程度の火工品を含む雑貨の方が遥かに多く、それらは汎用コンテナで日常的に鉄道輸送されています。
絵の積荷は61式戦車で、チキ車に良く似合います。ないねん出版「国鉄貨車」の写真を元に作画しました。なお、シートカバーは必須では無かったようです。
61式戦車の絵はアイコン&お絵描き工房の、川邑榊 画伯からお借りしました。
冷戦時代は ソ連の侵攻に備えて毎年1回 本州以南の陸自部隊を民間フェリー等あらゆる輸送手段を使って北海道に輸送し、北海道の広い演習場で訓練する「北方転地演習」が行われておりました。
が、冷戦の終焉に ともなって、北海道に大部隊を移動させる必要性が薄れ、今は むしろ西方の脅威が高まってきたため、各地の部隊を柔軟に右往左往させる「協同転地演習」に変化しています。
しかし、移動する装備も軽いものが多く コンテナ化も可能で、また現代は高速道路網も整備され、また、なにより車扱貨車の老朽化が進行したため、平成27年(2015年)を最後に 長物車での自衛隊機材輸送は終焉しました。
貨車移動機を輸送する長物車
この絵はIRORIのD-Foxさんの作品のおすそ分けです。私の絵と同様に非営利目的に限り利用・改変自由の許可をいただいております。
かつて地方駅での貨車の構内入換は、手押し入換がほとんどでした。
しかし、これは重労働で人件費も かさむため、戦後に国鉄が本腰を入れて開発したのが貨車移動機。
最初は少なかった貨車移動機も、昭和30年代となると各地の駅に配備されるようになりました。
貨車移動機の数が多くなって問題となるのがメンテナンスに伴う輸送で、所定の周期毎に指定の工場で整備する必要がありました。
当初はクレーンで長物車や無蓋車に積んでいましたが、これではお金もかかり、転動防止手配も めんどくさいです。
そこで その輸送を効率化するために生まれたのが、上段の絵の、車両移動機輸送用長物車です。
構造・荷役方法は、まず長物車車体上に1067mm軌間のレールを固定。その横に荷役用のレールが積んであり、荷役時には このレールを車端に繰り出して地上のレールに固定。
積荷の貨車移動機は、地上〜車上のスロープ状レールの上を、長物車に設置されたウインチにより引き上げられます。
長物車の上に乗った貨車移動機は、所定の固定方法で転動防止手配が取られます。
これならクレーン車を手配しなくて済みますね。
この手の改造貨車は 国鉄各工場に所属する事業用代用貨車なので 車体に白帯が巻かれるのが一般的です。
国鉄では、鉄道車両を貨物として輸送する場合、その車体そのものを牽引して輸送する事を(規定上は「貨車に積載せずにそれ自体の車輪を使用して運送するもの。」)を“甲種鉄道車両輸送”といい、長物車や大物車等の貨車の上に載せて輸送する場合は“乙種鉄道車両輸送”といいます。※稀に鉄道車両をトラック輸送する事を乙種と勘違いしている人がいますが、おそらく、なんかの法規の用語とごっちゃになってます・・・。
では 絵のような貨車移動機の場合はどうでしょう?
国鉄では貨車移動機は鉄道車両では無く、機械です。
そもそも“甲種鉄道車両”とか“乙種鉄道車両”とかは 単なる営業上の貨物の品目で、“石炭”や“りんご”などと同義です。なので、国鉄が自前で輸送する場合は“配給”ですね。
同じ移動機輸送でも、メーカーからの出荷の場合は“乙種鉄道車両”に当たるかもしれませんが、まあ、この手の貨車移動機は ただの機械扱いでしょうね。
下段の絵は一般の長物車を使った輸送の場合で、車両移動機輸送用長物車を使わない場合の配給や、メーカーからの出荷輸送の形態です。
大形の貨車移動機は 長物車での運搬を考慮して 運転室が分離するように設計されています。
各絵はD-Foxさんに私の絵を加工してもらったもの。スイッチャー単体はD-Foxさんのサイトで公開されています。
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