貨車の絵 その12
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スム1形 鉄側有蓋車
大正時代に入り、国鉄(鉄道院・鉄道省。※ 鉄道省当時には既に愛称は“国鉄”で定着。私鉄国有化以前は官鉄と呼ばれていた。)は 有蓋車の荷重15t化を成し遂げましたが、次の課題として車体外板の鋼製化をする事になりました。
木張り車体は、雨水の進入で荷物が濡損事故を起こさないように 張り替え等の小まめなメンテナンスが必要ですが、どうしても完全にはいきません。
同じ木板張り車体でも、横張りではなく縦張りにすれば 雨漏りに強くなりますが、それでも完璧ではなく、なにより製作費用がかさみます。
産業が発達するにつれ、この頃には鋼板の入手がしやすくなってきた事もあり、当然の成り行きとして客車・貨車は鋼製化の方針となりました。
スム1形は、ワム3500形の鋼体化版として、大正14年(1925年)にワテ45000形(ワ45000形)として登場しました。
構造は側・妻板張りを鋼板に替えたもので、床板・屋根は木造です。板の厚みが薄くなった分、車内容積が増えたので その分車高を少し下げています。
そして3500両以上製作されましたが、結果的には失敗作でした。国鉄が求める次期“汎用”有蓋車には なり得なかったのです。
というのも、鉄板は太陽の熱を もろに吸収し 夏場は車内が灼熱してしまうのでした。
さらに そこに動植物等 息をするものを積むと、換気性能を上回って湿度が高くなり 車室内外の気温差で結露して 濡損事故を起こしてしまいます。
木製なら断熱効果や吸湿効果があり そのような心配は少ないです。
これは困ったということで、昭和3年(1928年)製作分からは改良形のワム20000形式(貨車の絵 その1を参照。)に製作が移行しました。
ワ45000形は 汎用有蓋車として期待されたのにもかかわらず 積荷を選ぶ結果となってしまったため、配車上の混乱を避けるため、昭和3年(1928年)の貨車形式改正の際には新たに“鉄側有蓋車”形式“ス”(スチールのス)という貨車種別を起こして、スム1形となりました。
以降、鉄側有蓋車は熱に影響されない貨物を積んで活躍する事になりました。
東武鉄道 スム521形 鉄側有蓋車
国鉄で汎用有蓋車として失敗した鉄側有蓋車ですが、無機物や木製品の輸送には何ら問題が無く、木の内張りが無い分 安く製作できるので、石灰石関連の輸送が盛んな私鉄では好んで製作されました。
東武鉄道は栃木県の葛生に石灰鉱山があった関係で、セメント輸送用に鉄側有蓋車を利用しました。
東武鉄道スム521形は、昭和12年(1937年)に70両が製作されました。
製作時期が違うものの 国鉄のスム1形と同形車で、古い設計のままです。
もともと足廻りはシュウ式でしたが、国鉄の貨物列車が高速化したヨンサントウ ダイヤ改正に合わせて2段リンク台車へとグレードアップし、国鉄線に乗り入れて活躍しています。
東武には他に 10t積みのス1形や、日本鋼管私有車のスム2001形等があったようです。
秩父鉄道 スム150形/スム300形 鉄側有蓋車
秩父鉄道は秩父山地の石灰鉱石輸送が本業なので、やはり鉄側有蓋車を用意しました。
スム150形は65両、スム300形101両で、下廻りが大正期の設計なので同時期の新製、もしくは後日中古車を改造したのでしょう。
国鉄の一般貨物列車を75km/h化した昭和43年(1968年)のダイヤ改正では、両形式は走行性能に劣ったものの 両数が多かったためすぐに廃車とはならず、65km/h制限の黄帯を巻いて国鉄の乗り入れ区間を制限したうえで活躍をしました。
秩父鉄道 スム2000形 鉄側有蓋車
私鉄貨車(社車)の世界は、各鉄道個別に歴史を紐解かなければならないので、素人には分からない事だらけです。
秩父鉄道 スム1000形は昭和26年(1951年)製で100両、スム2000形は昭和31年(1956年)製で75両、スム3000形は昭和35年(1960年)製で180両、スム4000形は昭和38年(1963年)製で50両製作されました。
どれも国鉄のスム1形と同形車と言え、製作年次毎に改良されたので形式が変わったのでしょうが、どれも同じに見えます。
特にスム1000形、スム2000形が2段リンク式台車化されたのちには、4形式の見分けがつきません。
関東鉄道 スム1000形 鉄側有蓋車
関東鉄道スム1000形は、昭和38年(1963年)に常総筑波鉄道が常総線用に5両新製した鉄側有蓋車です。
外見は同時期の秩父鉄道スム4000形と まったく同じで、リベットの少ない すっきりした姿をしています。
何を運んだのかよく分かりませんが、2段リンク式の国鉄乗り入れ承認車で、のちに鉾田線(→鹿島鉄道)に転属となりました。
スム4500形 鉄側有蓋車
昭和30年(1955年)。国鉄には老朽車のワム3500形が8200両(国鉄有蓋車の16%)も残っていました。
木造車体で雨漏りのメンテナンスが大変で、この頃には修繕用木材も 良質なものは入手困難になっていました。
かと言って、有蓋車が不足している中 これをすべて置き換える新製車の投入は予算上不可能なので、延命処置をとる事にしました。
こうして誕生したのが、鉄側有蓋車スム4500形です。
つまり、汎用性を犠牲にしてでも車体外板を鋼板にしたのです。合わせてブレーキ装置も若干改良しました。
ただ、改造は200両にとどまり、足廻りは古いままなので ヨンサントウを期に廃車されました。
西武鉄道 スム101形 鉄側有蓋車
西武鉄道スム101形は、トム1001形(元国鉄トム5000形)を改造して鉄側有蓋車にしたものです。
また、新製車も存在するようです。
下廻りはともかく、車体は国鉄スム1形の古めかしい設計をそのまま使っています。
スム101形は ワフ101形(貨車の絵 その8を参照。)に改造されたものもいます。
テ600形 鉄製有蓋車
鉄製有蓋車とは鉄側有蓋車と紛らわしいですが、鉄側有蓋車が略汎用形有蓋車なのに対し、まったく違う目的で誕生しました。
鉄製有蓋車の祖先は、油脂類の缶輸送の際に 貨車車体の木部を汚損させないように、木造車内面に鉄板を張ったものでした。
それが進化して、車体に木材を使わないで鉄製となり、当時は木造車しか無かった時代でしたので鉄製の有蓋車“テワ”として区別され、これが鉄製有蓋車の誕生経緯です。
鉄製有蓋車の初期の積荷は 缶入り油脂類でしたが、油の輸送は次第にタンク車に移行しました。
代わって鉄製有蓋車の積荷となったのが、生石灰(酸化カルシウム)です。
明治末期から農業の近代化と共に 土壌改良剤として生石灰の需要が高まり、輸送機会が増えました。
またさらに 鉄鋼業が盛んになると、溶鋼の不純物除去のための生石灰の輸送も活発になりました。
しかし 生石灰は水と触れると数百度の高温を発し、近くに可燃物があると発火する恐れがあるため木造車は適さず、その専用車として鉄製有蓋車を採用しました。
なお、たまに 生石灰は水と触れる発火すると勘違いされますが、それ自体は燃えません。
生石灰輸送用の鉄製有蓋車は、可燃物の排除に主眼が置かれ、当時木製が一般的で雨漏れもしやすかった屋根はもちろん、床も鉄板剥き出しです。引戸等にも防水の工夫があります。
テ600形は、明治時代に作られた鉄製有蓋車のうち 車軸が長軸のものを寄せ集めた形式で、元形式はテワ1035、テワ1056、テワ1062、テワ1112、テワ1135等です。
絵のタイプは その中の主流派。昭和30年代末まで活躍したようです。
テ900形 鉄製有蓋車
テ900形は、山陽鉄道引継の鉄製有蓋車で旧テワ1187形、70両と数がまとまっていたからか、テ1形に含まれず別形式となっています。
戦後まで活躍しました。
テキ1形(初代)鉄製有蓋車
テキ1形(初代)は、ホテワ1形として明治43年(1910年)に5両が製作された25t積 鉄製有蓋車です。のちにオテワ1450形をへてテキ1形となりました。
当時としては このような大形車は非常にまれで、製鉄用生石灰の大量輸送用に製作されたようです。
下廻りは前年製作のオト6199形(→トキ1形)無蓋車(※貨車の絵 その2を参照。)をベースにし、留置ブレーキは車端裾に横向きで 丸ハンドルを配置しています。
のちに空制化と合わせて側ブレーキ化されました。
絵で左のやつが昭和1桁時代の姿で、右が戦後の姿。
テキ1形(初代)は、小世帯でしたが昭和29年(1954年)まで 美濃地方を拠点に活躍し続けました。
テ1形 鉄製有蓋車
テ1形は、明治時代に作られた鉄製有蓋車のうち 車軸が短軸のテワ1113形とテワ1257形を統合したものです。
テワ1257形は、国鉄が明治45年(1912年)から450両量産した鉄製有蓋車の標準形式で、絵に描いたのもそのタイプ。荷重は当初10tが 大正3年(1914年)から12t積に改造。
テワ1113形は10両程度で、のちの私鉄買収車もテワ1257形と同形のようなので、テ1形と言えばこのかたちと思って良いでしょう。
テ1形は沢山作られたわけですが、防水に有利な張上げ屋根になっているのが特徴で、以降の製作の鉄製有蓋車も この造形を引き継ぎました。
テ1形は 昭和30年代中頃まで活躍したようです。
東武鉄道 テ121形 鉄製有蓋車
葛生の石灰鉱山を抱える東武鉄道では、鉄側有蓋車とともに当然のように鉄製有蓋車も製作しています。
東武鉄道テ101形とテ121形は、国鉄テ1形と同形で荷重は最後まで10tでした。
テ101形とテ121形の差異は車軸でしょうか?良く分かりません。
この他に東武には7t積みで作られたテ3形もいましたが、これも10t化されて外見も良く似ています。
東武の鉄製有蓋車は大事に使われ、戦後に溶接車体に更新しているようです。
絵の右のがそのタイプ。
東武鉄道 テ201形 鉄製有蓋車
東武がテ121形に続いて昭和3年(1928年)に増備したのがテ201形で、国鉄が鉄製有蓋車製作を中断している中、私鉄の鉄製有蓋車は独自進化をしました。
車体規模は従来と同様ですが、骨組みを外側にする事により、室内の出っ張りを無くしています。
生石灰は、堰板(貨車の絵 その3ワキ1形小麦輸送解説を参照。)を利用して バラ積み輸送する事も多かったようなので、この改良でだいぶ荷降ろしが楽になったはずです。
なお、東武テ201形のテ241号車が 現在 上毛電鉄で大事にされているのは うれしい限りです。
テム1形 鉄製有蓋車
テム1形は、昭和18年(1943年)に国策で私鉄買収した時に、鶴見臨港鉄道、南武鉄道、小倉鉄道から国鉄にやって来た15t積 鉄製有蓋車をまとめたもので、総数74両です。
妻面の処理を除けばどれも似た姿で、構造から東武のテ201形と同じ年代に作られたのでしょう。
当時国鉄でテムが作られなかったのは、やはり汎用有蓋車を優先したからでしょうか?
なお、鶴見臨港鉄道からは 同タイプの鉄製有蓋緩急車のテフ1形も2両編入されています。
テム1形は戦後、テム100形、テム300形に混ざって活躍しました。
テム100形/テム300形/秩父鉄道 テム600形/上信電鉄 テム1形 鉄製有蓋車
戦後になると工業は再び勢いを取り戻し、国鉄でもテム形式を作る事になりました。
テム100形は昭和28年(1953年)から製作された15t積 鉄製有蓋車で、200両が製作された後、昭和32年(1957年)からは2段リンク台車のテム300形として850両が増備されました。
テム100形も のちに足廻りを改造して、テム300形に編入されています。
車体構造は、民間で こなれた鉄製有蓋車の設計を溶接車体にバージョンアップしたもので、足廻りはワム23000形、ワム90000形に準じています。
絵は上段がテム100形。私鉄同形車には秩父鉄道のテム500形(30両製作。のちに2段リンク化。)が存在します。
下段はテム300形と、秩父鉄道の同形車 テム600形(50両製作。)、上信電鉄の同形車 テム1形(10両製作。)。
戦後の鉄製有蓋車は鉄道局に専属運用されていて、名古屋鉄道局の美濃赤坂駅や、高崎鉄道管理局の佐野駅、栃木駅、盛岡鉄道管理局の陸中松川駅、その他 長野や金沢管理局に配置されていました。
生石灰輸送貨車は石灰の粉で白く汚れているのが特徴ですが、絵で再現できないのが残念。屋根まで真っ白の写真も見かけます。
上信電鉄テム1形は、下仁田からの生石灰輸送に活躍したものですが、イベント用に現役で、意外にも 鉄製有蓋車は各地に残っていますね。
ちなみに 上信電鉄には 12t積のテ1形6両と、10t積のテ20形6両も 在籍していました。
西武鉄道 スム301形 鉄側有蓋車
西武鉄道スム301形は見ての通り国鉄テム300形にそっくりで、他に国鉄テム100形にそっくりのスム201形(のちに2段リンク化。)も存在しました。
国鉄テム300形との外見の違いは妻面に通風口のある事ですが、通風口自体は戦前の鉄製有蓋車には備わっているので、テムを名乗っても良さそうです。
しかし、西武鉄道では生石灰輸送はそんなに無いようですし、もしかしたら床板が木製で、汎用性を狙っているのかも知れません。
西武スム301形のスム301〜304号車は、床に落下口を設置して、ホキ2200形の補完として堰板使用の小麦バラ積み輸送を行っていたそうです。帰り荷に袋詰小麦粉を運んだとのことですから、床の改造は最小限だったと思います。
テ1000形/テ1200形 鉄製有蓋車
テ1000形はテ1形等12t積み鉄製有蓋車の老朽置き換えのためテム100形に続いて昭和30年(1955年)に50両製作されました。
昭和31年(1956年)には2段リンク台車版のテ1200形が100両作られ、テ1000形ものちにテ1200形に改造編入されました。
外観はテムの小型版といった感じです。
西濃鉄道 ワ100形 有蓋車
西濃鉄道は石灰石輸送の本拠地です。
その西濃鉄道のワ100形は 出自の異なる10両が存在しますが、その内ワ101号車を除く9両は、最終的には鉄製有蓋車に改造されました。
内部構造も使用目的も国鉄基準では“テ”なのに“ワ”を名乗っているので紛らわしいですが、改造経緯とかいろいろ理由があるのでしょう。
戦後の改造とあって、国鉄テ1000形に似たすっきりした外観で、もちろん国鉄連絡直通車(ヨンサントウまで。)。
テラ1形 鉄製有蓋車
テラ1形はワラ1形と共に荷重17tの大形化2軸貨車として昭和38年(1963年)に180両が製作されました。
外観は従来の張上げ屋根をやめて、角ばったスタイルをしています。
秩父鉄道 テキ100形 鉄製有蓋車
秩父鉄道テキ100形は、袋詰めセメントの輸送効率化・荷役近代化を目的として製作された鉄製有蓋車です。
この当時のセメント輸送は すでにセメントホッパ車によるバラ積み大量輸送が始まっていましたが、袋詰めセメントによる小規模需要も旺盛でした。
袋詰めセメントは 従来 汎用有蓋車や鉄側有蓋車などで運んでいましたが、手積みが基本で荷重15〜17tと輸送効率も悪いので、秩父鉄道は 昭和33年(1958年)に袋詰めセメント パレット荷役専用の30t積みテキ50形を1両試作しました。
積荷は秩父セメントの製品で、国鉄の私有貨車ではなく秩父鉄道の社車としています。これは従来の鉄側有蓋車スムが秩父鉄道社車だったので それを大形化したものと見なしたのでしょう。
スがテに代わった理由は、もう既に木製屋根の時代は終わっていて、汎用有蓋車の内張板を省略したら結果的に鉄製有蓋車になったまでです。
特徴は 側面を6枚分割の総開きにしてフォークリフトによるパレット荷役の便宜を図った事で、側面総開きは 国鉄ワム80000形(初代)に続いての採用です。
当時の秩父鉄道は貨車の近代化にすごく積極的で、アルミ製のワラ100形とか屋根開閉式有蓋車とか試作していますね。
他の形式にも言える事ですが、袋詰めセメント用 鉄製有蓋車は積荷の比重が高いので、汎用有蓋車に比べて小柄になっています。
そして昭和34年(1959年)にテキ50形の改良形のテキ100形が30両が誕生しました。
テキ100形はテキ50形の幅を少し広げ、荷重を31tにしたもので、荷重の増加分はパレット重量です。
国鉄のワム80000形量産車の場合は パレットは軽い木製を想定しているので車体が大きくなっても荷重はそのままでしたが、袋詰めセメント用のパレットは頑丈で重い(795mm×2100mm 61kg 荷重1.9t)のです。
試作車のテキ50形はその後、積荷を減らして運用したのでしょうか。
秩父鉄道テキ100形は、国鉄末期の昭和59年(1984年)まで活躍しました。
テキ1形(2代目)鉄製有蓋車
テキ1形(2代目)は、昭和37年(1962年)から64両が製作された 袋詰めセメント輸送用鉄製有蓋車です。
秩父のテキと違って側面総開きではなく 古い設計に見えますが、この形式は国鉄の有蓋車不足を補うために私有貨車として作られたので、従来車と同じ構造にしたのだと思います。
荷重は35tで、秩父のテキより沢山積め、特に欠陥はなかったようですが、昭和46年(1971年)には廃車になってしまいました。
テキ1形(2代目)は住友セメント(磐城セメント)の所有でしたが、チチブセメントや三菱鉱業セメントが長くテキ車を運用していたのに対し、セメント会社の戦略の違いが見えますね。
テキ200形 鉄製有蓋車
私のいちばん好きな貨車。現存しているのが嬉しいです。
テキ200形鉄製有蓋車は、秩父鉄道テキ100形の増備車として昭和40年(1965年)と昭和43年(1968年)に10両づつ製作されました。
積荷と荷重はテキ100形と同じで、純粋にテキ100形の発展・増備形と言えます。
テキ100形は秩父鉄道の社車でしたが、こちらは秩父セメント所有で 国鉄籍の私有貨車です。汎用性の無い貨車を 系列会社といえども私鉄所有にしておくのは 好ましくないと判断したのかもしれません。秩父鉄道所有車としては↓のワキ800形が並行して増備されています。
絵は左から前期車 公式側、後期車 公式側、前期車 非公式側、後期車 非公式側です。前期車と後期車の違いは 側ブレーキの数です。
テキ200形は艶のある黒い車体で、独特なコルゲートの側板に黄色の社紋が美しい車輌で、秩父鉄道のテキ100形、ワキ800形とともに 関東を中心に活躍しました。
昭和63年(1988年)に廃車となりましたが、現在でも数両がレールの上に乗ったまま セメント工場構内で倉庫として余生を送っています。
秩父鉄道 ワキ800形 有蓋車
昭和40年(1965年)から 国鉄車籍の秩父セメント私有貨車としてテキ200形が製作されましたが、秩父鉄道車籍車としては昭和43年(1968年)に汎用有蓋車としてワキ800形が製作されました。
専用貨車だと片道が空車回送になってしまいますが、汎用貨車にすれば帰り荷が期待できそうです。実際運んだか不明ですが・・・。
秩父鉄道ワキ800形は、見ての通り国鉄ワキ5000形の姉妹車で 55両も製作されました。
ただ、ワキ5000形は85km/h仕様ですが、ワキ800形の足廻りは75km/h仕様で、代わりに荷重は1トン増の31tです。
テキ200形とともに 昭和63年(1988年)まで活躍し、今も数両が倉庫代用として残されているようです。
テキ401形 鉄製有蓋車 (西武鉄道車籍 私有貨車)
西武鉄道車籍の私有貨車テキ401形は、三菱鉱業セメントの袋詰めセメントを 西武鉄道の東横瀬から 狭山ヶ丘に輸送するために作られた車両です。
昭和44年(1969年)に製作されましたが、運用区間が国鉄に縁がなく、近代的ながらも非常に資料の乏しい車両です。
西武鉄道幹線に運用区間が限られているので、荷重は37.5tと重く、また、国鉄ワキ5000形に似た外見が特徴です。
車体のプレス型は、ワキ5000形と同じものを寸法調整して使っているようです。
ボギー鉄製有蓋車達の 大きさ比較
単体でいると、ちょっと大きさが掴みにくいボギー鉄製有蓋車達。
並べてみました。
上段左からテキ1形(2代目)、テキ1形(初代)。下段左からワキ800形、テキ401形、テキ200形、テキ100形。
貨車の絵 その1は こちら 貨車の絵 その2は こちら 貨車の絵 その3は こちら 貨車の絵 その4は こちら 貨車の絵 その5は こちら 貨車の絵 その6は こちら 貨車の絵 その7は こちら 貨車の絵 その8は こちら 貨車の絵 その9は こちら 貨車の絵 その10は こちら 貨車の絵 その11は こちら 貨車の絵 その13は こちら 貨車の絵 その14は こちら 貨車の絵 その15は こちら 貨車の絵 その16は こちら 積荷の絵その1は こちら 積荷の絵その2は こちら 蒸気機関車の絵は こちら ディーゼル機関車の絵は こちら 電気機関車の絵は こちら 小形鉄道車両の絵 その1は こちら 小形鉄道車両の絵 その2は こちら
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